願掛け子守歌
「シオン……、すっかり眠っちゃった……」
菊江さんがまた母親の顔となり、シオンくんを抱っこしている。
わたしの歌を聴いている間に、少しご機嫌斜めっぽい動きをしていたシオンくんは落ち着き、そのまま、眠ってしまったのだ。
「綺麗な歌だったわ。でも、人間界の歌ではないよね?」
「あれは、以前、お世話になった神官さんから教えてもらった歌だよ」
ストレリチア国民以外の一般の人たちは「聖歌」という言葉も知らない。
だから、余計なことは言わないようにした。
そして、わたしは嘘を言っていない。
この歌を教えてくれた人は、「神官」という言葉の上に「大」が付くだけだ。
「何故、人間界の歌ではなく、その歌を選んだの?」
「この世界を生きようとする子だから。人間界の歌よりも、この世界の歌の方が相応しいと思って」
それに、この歌を聴いた兄弟が、かなり良い男たちに育っているという実績もある。
弟の方は聴いた期間が短かったとは思うけれど、お腹の中にいた時から歌っていた可能性もあるのだ。
「それに、綺麗な歌だからね」
「可愛い声で歌うシオちゃん先輩を期待したのに」
「歌のリクエストはなかったので。でも、わたしの好きな歌の一つだよ」
基本的に「聖歌」はどれも、嫌いじゃないのだ。
そして、この歌は「この魂に導きを」のように分かりやすく神に祈る「聖歌」でもない。
だから、その兄弟の母親も、子守歌として歌っていたのだろう。
「でも、これまで知らなかったシオちゃん先輩だったから、良いことにする。シオンも落ち着いてくれたみたいだし」
「良い子に育ってね」
わたしはそう言いながら、改めて、シオンくんを撫でると、その顔がふにゃりと笑ったように見えた。
ああ、なんて、可愛いんだろうね。
そんな邪気のない自然な笑いにつられて、わたしのもともと緩んでいた頬はもっと緩んでしまった。
大丈夫。
分かってる。
乳児期は、特に意味もなく笑うことがあるって保育士をしていた母が言っていた。
それでも、わたしは信じたい。
今の表情は、わたしが撫でたから笑ってくれたのだと。
ふと、すぐ傍で優しい目をしている九十九が見えた。
「九十九も抱っこしとく?」
「は? なんで、オレが?」
「能力が高いから」
九十九の話では乳児期に血縁や、貴族などの身分や地位の高い人間、神官など徳の高い人間などの能力のある人間に抱き上げられ、撫でられると、少しだけ能力が向上することがあるらしい。
「わたしが知る限り、九十九より高い能力を持っている人間ってそう多くないよ」
彼より高い能力を持っているのは、どこかの国々を治めているような国王陛下たちとか、中心国の王族たちぐらいだ。
それに、九十九自身が知らないだけで、彼は情報国家イースターカクタスの王族の血が流れている。
条件としては十分だと思うけど……。
「菊江さん、シオンくんをわたしの護衛にも『願掛け』させても良い?」
九十九が渋っても、母親である菊江さんが許可を出せば問題ない。
彼女はこの国の元王族で、さらにはこの町の管理者の妻でもある。
王族の血が流れていても、それを知らない九十九に拒む権利はないだろう。
それに、ある意味、主人であるわたしの望みだ。
それならば、彼は叶えてくれると信じている。
「別に、それがシオちゃん先輩の望みなら、良い……、けど」
そして、意外にも菊江さんは嫌がらなかった。
わたしは思わず片手でガッツポーズをとる。
「アックォリィエ様!?」
その返答には九十九の方が驚いたようだ。
「シオちゃん先輩がそうしたいって言うなら、私に拒むことができるはずがないでしょう? それに、貴方の能力が本当に高ければ、それは、シオンにとっても悪くないことよ」
「ですが、この方は、『シガルパス=テグス=リプテルア』卿の御子ですよ? それを私のように素性が知れない人間に願掛けをさせるなど……」
「それを言ったら、わたしもそうだよね?」
「栞様はどこから見ても身分が高いので問題ないんですよ」
おおっ?
九十九がわたしにも「様」&敬語。
ちょっと新鮮。
それなら、わたしもちょっとばかり主人らしく振舞いましょうか!
「あら? ツクモは、魔力の強さが貴族級だとどこに行っても認められているでしょう? それに、わたしは自分の護衛たちほど能力の高い殿方は王族以外で見たことがない。十分、資格があると思うけど?」
そう言いながら、わたしは菊江さんに手を伸ばすと、微かに笑いながら眠っているシオンくんを預けてくれた。
そして、再びシオンくんを抱っこした後、九十九に向き直ると、何故か彼は蹲っている。
「九十九?」
この反応は意外過ぎてどうすれば良いのだろう?
肩を落とすとか、呆れているとかは考えていたけど、これってどんな反応!?
「護衛さん。シオちゃん先輩は貴方のご主人様なのでしょう? 命令でなく要請という形を取ってくれるような優しいご主人様の指示に従えないの?」
だが、戸惑っているわたしを気にせず、菊江さんは冷たく言い放つ。
「それに、ご主人様にそれだけ認められている羨ま……、いえ、優れた者が、そんな情けない姿を見せても良いと思っているの?」
まあ、九十九がこんな状態になるのって珍しくはない気がするからわたしは気にしないのだけど、やはり、もともと高貴な方というのは、護衛、従者のこんな気の抜けた姿も許せないんだね。
そこまで言われた九十九は、無言で立ち上がって、わたしに手を伸ばした。
「主人の願いに従いましょう」
そう言いながら、どこか寒気のする笑顔をわたしに向ける。
これは、怒ってる……のかな?
笑いながら怒るなんて、器用なことをする男だなと思いつつ、そう言えば、彼は雄也さんの弟だったと思い出す。
「ついでに、子守歌もセットでよろしく」
そう言いながら、シオンくんを九十九に託した。
「なんで寝てる赤ん坊に歌うんだよ?」
わたしの追加注文に、眉を顰めながら、九十九はいつもの調子で返答する。
「わたしが九十九の歌を聴きたいから」
せっかくだから、あの低くて良い声を堪能したいではないか。
あのワカや高瀬が、中学時代に「甘くてホスト向き」とまで言ったんだよ?
そして、あれから三年ほど経って、さらに九十九の声は良くなっているのだ。
聴けるときに聴きたいと思うのは当然だろう。
「オレ、前にも言ったと思うが、『子守歌』なんて全部覚えてねえぞ?」
「一番だけでも良いんだよ。『子守歌』は、わたしの我儘なんだから」
説明を聞いた限り、「願掛け」するなら撫でるだけで十分だと分かっている。
もともと感応症狙いの話なのだから。
単に、わたしが「聖歌」を歌ったのは、リクエストされたこともあるけれど、わたしが歌う歌には「神力」が籠ることもあるらしいので、どうせなら、こっそり何らかの効果が付加されないかな~と願っただけの話。
普通の歌より「聖歌」の方が、「神力」の籠る効果が高く、さらにこの世界の歌でもあるから都合が良かったのだ。
もし、この「願掛け」により、シオンくんが、九十九や雄也さんみたいな良い男になってくれれば、この町の管理者の跡継ぎとしてもかなり有能な男になってくれることだろう。
そう願っただけのことだ。
「へいへい、主人の願いとあれば、なんとかしますよ。一番だけで良いんだな?」
「うん」
それ以上の無理は言わない。
これは、わたしの我儘なのだから。
「間違えても文句言うなよ」
そう言って、九十九は形の良い唇をゆっくり開く。
なんだかんだ言って、わたしの願いを叶えようとしてくれる九十九は本当にいい人だよね。
「ほ?」
だけど、その意外な選曲に驚いた。
九十九がシオンくんを抱っこして、その頭を撫でながら歌ったのは……、「愛しき光はここにあり」。
わたしが先ほど歌った歌だった。
でも、あれ?
こんな歌だっけ?
思わず、そう首を捻ってしまった。
歌詞は間違いなく同じなのに、漂ってくる雰囲気が全然違うのだ。
女声のわたしと違うのはともかく、同じ男声の、それも兄弟である雄也さんから聴かされた時とも違って聞こえるのはどういうことだろうか?
ほら、今の「いずれかの御許に導かれるその日まで」の部分なんて……、特に違った気がする。
雄也さんみたいに歌っている間、ずっと色気が駄々洩れているわけじゃなくて、九十九の歌は色や艶が小出しにチラリズム的な?
これって、無料で聴いて良い歌じゃないよね?
もしかして、わたしは九十九にお金を払った方が良い?
これで切ないラブソングなんか歌われた日には、かなりお金が稼げてしまうのではないかと、わたしはそんな明後日の方向に思考を飛ばしていたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




