残り半分は
わたしはそんなに器用な人間じゃない。
「さっき知ったばかりのあなたの気持ちを受け止めた上で、自分の気持ちを切り替えて接するっていうのはちょっと難しいのは分かってくれるかな?」
だから、素直にそう言った。
人間界には「昨日の敵は今日の友」という言葉があるけれど、ほとんどの人間がそんなに早く気持ちの切り替えなんてできるはずがない。
昨日までの敵をいきなり味方として受け入れることだって難しいのに。
「それは分かります。だけど……」
菊江さんは戸惑いがちに答える。
わたしが知らなかった、気付かなかっただけで、菊江さん自身はずっとわたしへ好意を持っていたのだ。
彼女の方からすれば、人間界での出会いから今日まで抱えていた想いの全てを否定されたような心境なのかもしれない。
「でも、嫌われてなくて良かったとは思っているよ」
「え……?」
菊江さんはその目を瞬かせる。
「理由もなく嫌われるのは気分が悪いからね」
それも本当の気持ちだ。
人間的に合う、合わないがあると分かっていても、やっぱりそこに何らかの意味がないというのは、どこか落ち着かないのだ。
「その上で、わたしだけでなく、周囲に心配、迷惑をかける手段を選んだ点においては、少しばかり許し難いなとも思っている」
本人に悪気はなかった、他に手段が考えられなかったと言っても、周囲の諫める注意を全く聞かずに突進した結果、生徒会への「嘆願書」に繋がったことは良くない。
「他国の滞在期間は目立たず、その地の約束事に従うというのが決まりだったと記憶しているけど、この国では違うの?」
人間界には人間界の規則というものがあって、そこに滞在する以上、それに守るべきだろう。
「違いません」
彼女は大きな法律違反をしたわけではない。
本当の意味で、国の決まりを破ったわけではないのだ。
だが、あの世界、いや、あの国には憲法を基として、法律、条例、規則など、細かな決まりが多かった。
さらに個々の付き合い方となれば、互いの道徳を暗黙の了解とする部分もある。
生まれた頃からあの国にいてもなかなか厄介だと思っている人が多いのに、10歳という分別が付くかどうかの時期に人知れずあの国へ行き、それらの全てを理解して行動することはかなり難しかっただろう。
「だけど……」
「まあ、あそこまで大事になってしまったのは、半分くらいは周囲の暴走のせいだとわたしは思っているけどね」
何かを言いかけた菊江さんの言葉を遮ってわたしはそう言った。
わたしのことを心配してくれたのは嬉しいのだけど、あの時は本気で余計なお世話だと思っていたのだ。
当人が気にしてないのだから放っておけと。
あの当時のわたしが気にしたのは、生徒会や教師たちからの聞き取りや、関係ない人たちからの探りなどで、貴重な部活の練習時間が、それで何度か潰された方だった。
それどころか、チームの雰囲気も一時的に悪くなったことについても腹を立てていたのだ。
余計なことをしなければ、ここまで荒れることもなかったのに……と。
今にして思えば、かなり勝手な思考だと思う。
菊江さんはわたしの気を引きたくていろいろなことを行い、それを周囲が嫌な行動だと意識していた。
本来は、その中心となっていたのはわたしで、わたしが何らかの意思表示をしていれば、周りの人も動きようがあっただろうけど、わたしは無視を決め込んだのだ。
だから周囲は、わたしがお人好し過ぎて何も言えないほど追い込まれていたとか、わたしさえ我慢していればと耐える方を選んだとか誤認したらしい。
だが、周囲がそんな誤解していたことも知らなかったのだ。
そして、事が大きくなり、「嘆願書」と個別指導となった時も、わたしには疑問符しかなかった。
後からになって「今までよく我慢したね」とか「気付かなくてごめんね」と言われても、なんのこっちゃである。
「そして、残り半分はわたしが悪い」
「え……?」
そんな周囲からの同情という嵐の後、菊江さんがマネージャーという補佐役になることで、当事者を置いてきぼりにしていた周りの騒ぎはなんとか収まったけれど、あんなに大きな騒ぎになってしまったのは、当事者意識が欠如していたわたしのせいだろう。
自分のことだったのに、あまりにも無関心すぎたことが悪いのだと今ならよく分かる。
もっと、いろいろな人とわたしが向き合っていたら、そこまで荒れることにもならなかっただろう。
「わたしがもっと今のようにあなたに向き合えていたらもう少し何か違ったとは思うけど、あの頃のわたしにそんな余裕もなかった」
当時、中学二年生だ。
自分の気持ちですら精一杯な時期に、他者の気持ちに向き合うとか難易度の高い話だと思う。
今だって、難しいのに。
「せっかく、この世界を離れて人間界にまで行ったのに、嫌な思いをさせてごめんね」
「シオちゃん先輩は何も悪くないです!!」
「でも、わたしは周囲に対して気を配らなかったのは事実だよ」
あの頃のわたしは本当に部活や漫画、ゲームなど、自分の好きなことしか考えていなかったし、見えていなかったのだ。
一応、将来を見据え、学生の本分として勉強はしていたけど、それでも本格的に学んでいたかと問われたら「全く」と答えるだろう。
それだけ、いい加減だった自覚はある。
「その無関心なシオちゃん先輩の関心を引きたくて、そのやり方を間違えた私が一番、悪いんです!!」
菊江さんはそう言った。
やはり、わたしは周囲に対して無関心に見えたらしい。
ワカを始めとして、そこまで友人が多くいたわけでもないからな~。
いや、ワカやそのいとこの位置にいた高瀬の話や考え方がしっかりしていたから、それ以上多くの友人を必要としなかったというのもあるかもしれない。
まあ、年頃の少女らしく芸能人やお洒落に興味は全くなかったから、ちょっとばかり浮いていたとは思っていた。
それでも、クラスメイトや部活のチームメイトとも普通の会話はできていたから、一人になることもなく、そこまで気にならなかったのだ。
「だから、シオちゃん先輩が謝る必要なんか全然、ないんです。それに、シオちゃん先輩の言う通り、初めての感情に振り回され、あの世界のルールに従えなかった私が、未熟だっただけですから」
そう言って、菊江さんは顔を伏せた。
本当の意味で魔界人ではないわたしには、彼女の気持ちなど分からないのだろう。
だから、ここでどんなに言葉を尽くしたところで、彼女に届く気はしなかった。
「アックォリィエ様」
不意に声が掛けられる。
「何?」
「ご歓談中のところ、誠に申し訳ありませんが、シオン様が……」
九十九の言葉に菊江さんが素早く反応し、彼から、ひったくるようにシオンくんを抱き上げた。
そして、なんとも言えない不思議な香りが漂ってくる。
「きゃあああああああああっ!! シオン!?」
菊江さんが叫んだ。
「アックォリィエ様は、おむつ替えの経験はありますか?」
「普段は乳母に任せているから、ほとんどないわ!!」
その会話で、どうやらシオンくんが粗相してしまったことが分かる。
でも、菊江さんは母親なのに、おむつ交換したことがないらしい。
これは世界が違うからなのか。
単純に元王女さまだからなのかは分からない。
「それでは、差し出がましいとは思いますが、私がやってもよろしいですか?」
さらりと言う九十九に対して……。
「お願い!!」
菊江さんは両手を合わせて頼み込む。
「九十九……。できるの?」
「神官の指導の下、聖堂の『教護の間』で何度もやっている。ちょっと戸外なのが気になるが、このままよりはマシだろう」
そう言いながら、九十九は木の籠を出して、シオンくんを寝かせた。
九十九は洗浄魔法が使える。
だから、わたしの付き添いで大聖堂の「教護の間」に行った時に、大神官やその他の神官たちに重宝されていたことを思い出す。
まあ、九十九は付き添いであっても、聖堂の部外者なのだから、下の世話をするのは男の子だけで良いならと条件は付けていたみたいだけど。
「横から見ても良いもの?」
「……絵の資料なら、やめてやれ。物心ついてなくても、相手は男だ。こんな姿を描き残されたくはないだろう」
「そんなつもりはないよ。でも、覚えていた方が良いかなと思って」
今なら洗浄魔法に近い物は使えるだろう。
それなら、今度は断られないはずだ。
「アックォリィエ様、どうされます?」
九十九はシオンくんの衣服を解きながら、母親である菊江さんに確認する。
「シオちゃん先輩は見ちゃ駄目!!」
「ふぇ!?」
でも、菊江さんは激しく反対した。
「シオンは男の子だから、絶対、駄目!!」
「……だ、そうだ」
「うぬぬ」
「母親の許可がなければ駄目だな。少し、離れてろ。男のは、たまに飛ぶぞ」
「へ?」
飛ぶって何が?
「アックォリィエ様も少し、離れてください。乳児はおむつ交換の時にお漏らしをする可能性が高いです。そして、女児はそうでもないらしいですが、男児は飛距離があります」
「忠告、ありがとう。それは乳母で確認しているから、よく分かるわ」
そう言いながら、菊江さんはわたしの手を引いて、その場から少し離れる。
それを九十九は確認した後、手早く、おむつ交換をした。
この距離からではシオンくんが籠に収まっているために、白い布を取り出したところと、交換された汚れた布が、九十九の魔法で綺麗に洗浄されたことぐらいしか見えなかったが、かなり早かったと思う。
もう、九十九はこのまま父親やれるんじゃないかな?
だけど、それを口にする気は何故かなれないのだった。
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