嫌われていると思っていた
「シオちゃん先輩の目をどうしても私に向けたかったんです」
菊江さんは真っすぐ、わたしを見てそう言った。
そこにあるのは覚悟の瞳。
まさか、彼女がそこまで強い感情をわたしに向けているなんて考えたこともなかったし、どれだけの覚悟を持って、今、わたしに思いを告げてくれたのかも分からない。
確かに執着に近い心を持たれていることには気づいていた。
でも、どちらかと言えばそれは嫌悪などの負の感情だと思っていたのだ。
わたし自身、生理的に苦手な人って、どうしてもいるから、彼女に対して、特に何かした覚えはないけれど、それもしょうがないと思って、対話を試みようともしなかった。
「…………」
そんな彼女に対してなんて、言葉を返したものだろうか?
あの当時の菊江さんの言動は、確かに周囲の人間にとっては眉を顰めるものだったと思う。
だからこそ、生徒会への嘆願書って形になったのだろうし。
でも、そんな形でしか、わたしに近付く方法がなかったというのも、いろいろなことを知った今なら、なんとなく分かるのだ。
それは、傲慢な意味ではない。
菊江さんは魔界人の、それも王族と呼ばれるような立場にあった人で、わたしはどう見ても人間でしかなかった。
ワカを見ているとよく分かるのだけど、王族は他者への好意、誰かを特別扱いすることは基本的にはあまり褒められた行動ではないようだ。
それは周囲とのパワーバランス的な話らしいけど、結果として、本当の味方が少なくなってしまうことは避けられない。
王族とか貴族のような高い身分の人間になると、本当の意味で甘えられるような相手は少ないのだ。
だから、ワカはストレリチアにとって害を持たない外部から来た全く無関係な知人たちに救いを求めた……、ような気がする。
それだけの教育を幼い頃から刷り込まれているのだ。
王族に連なる人間が特別視するような人間を作ることは好ましくないと。
それでも、特別な人間ができてしまった場合は、一体、どうすれば良いのだろう?
特別な人間を作るなと教育されても、万一自身にとって特別な人間ができてしまった後の教育はされていないのに。
つまり、自分で考えて動くことになる。
アリッサムの王族である水尾先輩や真央先輩は、特別な人間ができてもそれを咎める人間たちは身近にいない。
カルセオラリアの王族であるトルクスタン王子は、特別な人間がいるように見えてもその人間たちを特別扱いはしていない。
基本的に誰に対しても態度や口調を極端に変えることもしていないのだ。
その辺り、情報国家の国王陛下によく似ている。
真央先輩や水尾先輩に対してはちょっと行き過ぎた過保護っぷりを見せているけど、それは彼女たちがもともと王族ということもあるので問題はないだろう。
どの国だって、王族を賓客扱いするのは当然のことだから。
ワカに関しては、わたしや九十九と接する時に素を見せるのは、事情を知っている人間、具体的には兄であるグラナディーン王子殿下やその婚約者、そして恭哉兄ちゃんの前ぐらいである。
公では流石にあそこまで優遇を見せない。
ワカがわたしを特別扱いする時は、「聖女の卵」の時ぐらいだが、その時はほとんどわたしと接することはしない。
それだけ、王族は自分で考えて意識を割り切るしかないのだ。
その切り替えや自己判断が菊江さんは出来なかったのだと思う。
それは、「人間界」という特殊な場所で出会ったことも悪かったのかもしれない。
困った時にどうすれば良いのか、教えを乞うような相手もいないのだ。
10歳から15歳までの他国滞在期間は、身の回りの世話や護衛をする最低限の従者を連れていたとしても、自分よりも目下の方が多い。
自身の弱みを見せられない相手しかいない可能性が高いだろう。
しかも、自国の人間ではなく、今後、役に立つかも分からないような魔力の欠片も感じない人間に王族が好意を持ったなんて、相談すらできなかったんじゃないかな?
文化や思考が異なる世界に来ても、相談できるだけでなく、助けてくれる相手が周囲に何人もいる今のわたしは、かなり恵まれているのだろう。
でも、菊江さんにはそんな人がいなかった。
だから、焦って人間界にいる短期間だけでも自分でなんとかしようと結論付けたのも分からなくはない。
そして、いつか来る別れは、その期限がはっきりしている。
その時まで、少なくとも、相手の記憶に残ることをしたいって無茶をする人だっているかもしれない。
別れの時に記憶は消すことになっても、それまでは自分の存在を印象付けられるから。
実際、わたしは忘れていなかったのだから、彼女の目的はある意味、達成していると言えなくもないのかな?
「栞」
「ほあっ!?」
後ろからいきなり声をかけられて、叫んでしまった。
「お前が何も言わないから、アックォリィエ様が困っている」
「ふ?」
九十九にそう言われて、彼女を見ると、顔を真っ赤にして、鋭い目を私に向けていた。
でも、その顔は、困っているというよりも怒っているように見える。
「ちゃんと先ほどの感想を答えてやれ」
「感想って……」
自分への想いを語ってくれた人に対して失礼ではないだろうか?
いや、当人を前にして、自分の思考に没頭していたわたしが悪いってことも分かっているのだけど。
「えっと……。菊江さん」
「はい」
改めて、わたしが声をかけると、菊江さんはその口を固く結んだ。
これから何を言われるのだろうと身構えている顔。
そこには、歓喜とか期待とか、そんな前向きな感情はなかった。
「あなたの言い分は理解したつもりだけど、やっぱりちょっと納得できない部分はあるんだよね」
「それはそうでしょう。私の感情表現は明らかに歪んでいます。それは私自身が一番分かっているつもりです」
顔を強張らせながらも、ちゃんと伝えるべきところは言ってくれる。
「あなたのその感情は、『恋は盲目』っていうのに近いとは思うのだけど、それとは違うんだよね?」
シェイクスピアの言葉で有名な「恋は盲目」、もしくは日本語的に「恋は闇」でも良い。
国は違うけれど、いずれも「恋は人の理性を失わせる」という意味に変わりはないのだ。
まあ、「恋は闇」の方は別の意味もあるから、この状況では口にしないけど。
「はい。この想いは恋ではないと思っています。シオちゃん先輩のことは抱き締めたいほど可愛いとは思いますが、それはちょっと愛玩動物的な意味合いが強いかと」
愛玩動物……、ペット……か。
言葉は酷いけど、分かりやすい。
「傍に置きたいってこと?」
「いえ! そこまでは! 鑑賞で十分です!!」
この町は「芸術の都」でもあるから、「鑑賞」だと思うけど、その言葉でなんとなく自分が観賞植物になった気分になった。
美術品を味わう意味でも「観賞」と「鑑賞」では随分、意味が違う。
自動翻訳能力はこういう時、本当に困る。
日本語の表現は多様すぎるのだ。
でも、恋じゃないらしい。
言葉の端々から愛玩動物っぽい扱いではあるけど、先に言った「憧れ」が一番、近い感情なのだろう。
それが分かれば十分か。
わたしは息を一つ吐いた。
誰かの感情に対して、自分なりの答えを口にする時はいつだって緊張する。
それが正解なんて分からないから。
「さっきも言ったけど、わたしは、菊江さんに嫌われていると思っていたんだよ」
「そうらしいですね」
わたしの言葉に分かりやすく、菊江さんはその表情を歪めた。
「だから、さっき知ったばかりのあなたの気持ちを受け止めた上で、自分の気持ちを切り替えて接するっていうのはちょっと難しいのは分かってくれるかな?」
わたしは隠すことなく、自分の気持ちを口にしたのだった。
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