自分も持っている感情
「結局、よく分からないのだけど、菊江さんがわたしに向ける感情って、どの種類のものなの?」
「それは、自分でもよく分からないって言ったじゃないですか」
菊江さんは戸惑いながらもそう言った。
でも、わたしが確認したいのは、どれぐらいの感情なのかって話ではない。
「じゃあ、言葉を変えよう」
かなり踏み込んだ質問となるので、軽く、気合を入れる。
「わたしにどれぐらいのことを望んでいる?」
「言葉を変えてもよく分からない」
わたしの言葉が曖昧過ぎたのか、菊江さんは首を傾げた。
「えっと、キスとかそれ以上の行為をしたいかどうかって話」
握手や抱擁とかをするのは、男女とも同性間でする行為としては、珍しくない。
挨拶みたいなものだと思えるだろう。
まあ、キスも挨拶に分類できるけど、人間界の知識があれば、割と、そこが分かりやすい線引きになってくれると思う。
そして、同性であるわたしに対して、キスとかそれ以上のことをしたいって言うなら、彼女の想いはちょっと受け入れがたいのだ。
「はあ!?」
だけど、そんなわたしの遠慮のない言葉に菊江さんは明らかに驚愕の顔をしてくれた。
同時に背後でかなり空気を噴出するような音が聞こえた気がするが、そこは気にしてはいけないだろう。
「女同士でそんなことを思うわけないじゃな……」
そう言いかけて、菊江さんは何故か言葉を止めて考え込む。
「思うわけじゃないけど、シオちゃん先輩のことを抱き締めたいと思ったことは何度もある……かな?」
うん。
そこで止まってくれてよかった。
そして、人間界にいた頃、そんなことされてなくて良かったとも思う。
今ほど、スキンシップに慣れていないわたしが、他人からそんなことをされていたら、悲鳴を上げた自信がある。
「それはどうして?」
「好き……だからって何言わせるの!?」
顔を真っ赤にして怒る菊江さん。
でも、それである程度は分かった気がする。
確かに彼女の感情は激しいけれど、それは可愛いものを見て、叫んで抱き締めたくなる女性の正常な感覚だと思う。
自分を可愛いとは思っているわけではないが、この大陸において、わたしのような容姿を好む人が多いのなら、彼女の中ではその「可愛い」に該当するのだろう。
明らかに、誰の目にももっと可愛い赤ちゃんと比較したくなる心理までは分からないけれど、ワカも似たようなことを言ってくれるしね。
だから、その気持ち自体を否定する気はなかった。
「ありがとう」
「え……?」
「わたしはさっきまで本当に菊江さんに嫌われていると思っていたから、言ってくれて良かったって思う」
その感情表現が独特過ぎて、わたしに理解できなかっただけだ。
でも、その行動原理が分かれば、まあ、納得できる範囲ではある。
「知らなければ、ずっと誤解したままだったから」
少なくとも、そこに隠された好意に気付くことはなかっただろう。
「シオちゃん先輩」
「ん?」
「好きです。ずっと、先輩としてではなく、私は貴女を一人の人間として好ましく思っていました」
改めて、菊江さんはそう口にしてくれる。
その言葉は、先ほどまでよりもずっと、わたし自身が受け止めやすくなっていた。
「勿論、男女間のような感情ではないです。でも、その小さな体格で、周囲の人たちも驚くほどのことを当然の顔で行う。そして、そのための努力を怠らない。私は、どれだけの努力をしてきたかを一年と少しの間、ずっと見てきました」
「そんなことをしたかな?」
覚えがない。
わたしは自分がそんな立派な人間ではないと思っている。
「しましたよ!!」
菊江さんはそう叫んだ。
「護衛さん、ちょっとシオンを預かって!!」
さらにその勢いのまま九十九にシオンくんを渡そうとする。
九十九だって、赤ちゃんに慣れているとは思えないけれど……。
「承知しました」
それでも、微かに笑って慌てることなく頭を下げながら、菊江さんから手渡されたシオンくんを自分の手に収めた。
ちょっと待って!?
今、わたしはかなり凄いものを見ているような……?
「シオちゃん先輩!!」
「はい!!」
思わず九十九とシオンくんの方を凝視しようとして、そんな強い叫びにわたしはその声の主の方を向く。
「先輩なのに、後輩に仕事を押し付けなかった貴女が好きです」
「え……?」
シオンくんを抱っこする九十九の方に目線も思考も奪われていたため、一瞬、何を言われたのかが分からなかった。
でも、菊江さんは構わずに続ける。
「監督が見ていないような状況で、皆が気を緩めてダラダラと練習しているような時でも、真面目に練習を続けていた貴女が好きです」
彼女の口から零れ落ちるのは、一つ一つは小さなこと。
「キャッチボールが下手で明後日の方向にボールを投げてしまう後輩に、文句も言わず、笑いながら『気にしないで』と、ボールを取りに行ってくれた貴女が好きです」
口にされなければ、思い出せないほど、ごく自然にわたしの中では日常だった話。
「小さくて軽くて肩がなくて……、体格的にも不利だったスポーツなのに、努力と根性と練習量と知識で、周囲との差を埋めようと頑張っていた貴女が好きです」
それもわたしにとっては当然のことだ。
あの頃のわたしはソフトボールが全てだった。
勉強よりも何よりも、あのスポーツが本当に好きだったのだ。
「『捕手要らず』と呼ばれるほど、バントを含めたヒッティングの技術を高めた貴女が好きです」
それは水尾先輩が言ってくれた言葉だった。
わたしは体格的やスイングスピード的にも、二塁打以上を打てるほどの長打力は難しかったのだ。
だから、少しでもバットに当てる確率を上げるしかなかった。
力のない自分でもちまちまコツコツと練習してできることをやっていただけ。
「犬が苦手なのに、その犬と飼い主を庇うために怪我をしてしまうような貴女が好きです」
ああ、そんなこともあったっけ。
どこの中学校だったかは覚えていないけれど、相手チームの観客の中に、白くて可愛いぬいぐるみみたいな犬を連れて来た保護者がいた。
でも、わたしが邪飛を追うのに一生懸命になりすぎて、打球と場外ラインしか見えていなかったからその飼い主と犬にぶつかりそうになったのだ。
それをよけようとして、怪我をしたことだけは覚えている。
暫く練習できなかったし。
でも、ぶつからないように避けるって、人として当然のことじゃないかな?
「卒業式の時、寝たふりを続けていた私たちを庇って、たった一人であの場所に立っていた貴女が好きです」
あれは、ライトに向かって、椅子を投げてくれた人がいたから、助かったのだ。
あの場にどれだけの魔界人がいたのかは分からない。
でも、あの場で身分を隠しているはずなのに、わたしのためにそんな危険なことをしてくれた人がいたことは確かだ。
そして、わたし自身は九十九が来るまでの時間稼ぎをしただけで、何もできていない。
しかも、ライト自身がゲーム感覚でわたしに耐火マントを渡してくれなければ、それすらもできなかったことだろう。
「他にも私が貴女のことを好きな理由、いっぱいありますよ」
菊江さんはそう言いながら微笑んだ。
それはまるで、先ほどまでシオンくんに向けていたような笑み。
確かにこの感情は男女間にあるようなものではない。
でも、女子特有の可愛い物に向けるような思いでもない。
もっと別の、心に燻る形容しがたい強い想い。
「そんな魅力的なシオちゃん先輩は、私の『憧れ』だったんです」
ああ、それだ。
その感情なら、わたしも持っている。
自分を持って、自分の道を迷いなくまっすぐに突き進むような強い女性たちに対して抱く尊敬の念。
自分の思い描く理想に近い憧憬。
それぞれ憧れた相手は違えども、自分の理想の体現を前して全く心が動かされない人間はいないはずだ。
「だけど、目の前にいきなりそんな理想の塊を見て、なんて、声をかけて良いのか分かりませんでした」
改めてそう言われると面映ゆい気がするのは何故だろう。
「でも、シオちゃん先輩の目をどうしても私に向けたかったんです」
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