語り尽くされても困る
人間界にいた頃、わたしに対して微妙に棘が刺さるような言動を繰り返していた後輩が叫ぶ。
「私がシオちゃん先輩のことを好きだってことに対してはなんとも思ってないんですか!?」
そんな問いかけに対して……。
「特に何も思いませんでした」
わたしは深く考えずに答える。
ああ、そうだったの? ってぐらい?
それ以外なら、ちょっと親愛表現が個性的かな? という印象になる。
「敬語禁止!!」
まず、そこに激しく突っ込まれた。
「シオちゃん先輩は、仮にも、小さくて可愛くても『先輩』なんですから、後輩に対して敬語は駄目です!!」
しかし、彼女の激しい言葉は、やはり褒められているのか、けなされているのか微妙に分からない。
まあ、以前は「可愛い」という言葉がなかったから、少しだけ歩み寄ってくれているのは分かる。
やはり彼女が抱っこしている「シオンくん」の存在は偉大だ。
「そして、私からの言葉に対して無反応、無関心すぎる!!」
「そんなことを言われても……」
これまで敵意に近い感情をぶつけられていた相手から、いきなり真逆の親愛感情を向けられても、すぐに態度を変えられるはずがないだろう。
逆に何の罠かと警戒してもおかしくないと思う。
「これまで皮肉、嫌味を交えた言葉しか口にしてこなかった相手から、いきなり好かれていると言われても、喜べる人って少ないと思うよ」
敬語が禁止されたために、こんな答え方になってしまったが……。
「辛辣!! でも、その思い切りの良さがシオちゃん先輩らしくて素敵だから困る」
彼女にとっては悪くなかったらしい。
まあ、切って捨てるような言葉に対して、恍惚の表情をされているわけでもなく、普通に口にしているので、菊江さんがマゾというわけでもないだろう。
「えっと、菊江さんの言葉? わたしのことを『好き』だって言ってくれたことに対しては先ほど言ったように『なんで? 』という感覚が強すぎる」
正直、違和感しかない。
それだけ180度ターンなのだ。
真逆の言い間違いでしょう? と思ってしまう。
「つまり、私の想いは全く伝わらないということですか?」
「いや、そういうのではなくて、好意を持ってくれているということはなんとなく理解したけど、その程度が分からない」
警戒心がなくなったわけではない。
「つまり、私のシオちゃん先輩への想いを語り尽くせと?」
菊江さんの目がギラリと光った気がする。
まるで、肉食獣が獲物を見定めたような瞳の輝きに思わず、後退りしたくなったが、我慢した。
「それも違う」
そして、語り尽くされても困る。
言葉を尽くされた所で、それが真意かも分からない。
まあ、九十九がいるからその言葉の嘘は見抜いてくれるだろうけど、それも何か違うだろう。
「それは、どの種類の『好き』なのかが分からない」
好きにもいろいろある。
「そして、それをわたしに伝えてどうしたいのかも分からない」
元王族だと言うけれど、王族風を吹かせてわたしに命令して、強制して何かさせようという感じではない。
そんな高慢な考えが透けて見えるようなら、わたしの護衛である九十九がこうして黙っているとも思えないのだ。
「どの程度の好きかなんて、私にも分かりませんよ」
菊江さんは小さく呟いた。
「自分が分からなくなるほど、冷静でいられなくなるほど、常識的な行動ができなくなるほど、誰かを好きになったのなんて、本当に生まれて初めてだったのですから」
そう言いながら、シオンくんに頬ずりをする。
「シオンを抱きかかえている時は本当に落ち着くの。この子のために恥ずかしい姿は見せられないし、この子に間違ったことを教えたくない。でも、シオちゃん先輩に対しては、そんな余裕なんてなかった」
菊江さんは大きく息を吐いて肩を落とす。
「シオちゃん先輩に私を見て欲しかったし、私のことを少しでも特別だと思って欲しかった。笑ってくれるのは嬉しいけれど、それ以上に、シオちゃん先輩が恐らく誰にも見せたことがない表情を独り占めしていることが本当に嬉しかった」
シオンくんに頬を寄せながら、菊江さんはさらに続けていく。
「これが歪んだ感情だって分かっていても、私自身、止めることなんてできなかった」
自分を律することができないほどの激しい感情。
そんな激情で動いてしまった人たちをわたしは何度もいろいろな場所で見てきた。
感情を制御することを教えられ、そう育てられたはずの王族ですら、その波に抗っても流される。
自分ではどうにもできない。
そこまでの感情をわたしはまだ知らない。
―――― 本当に?
うん。
まだ知りたくもない。
頭の中で何かが囁いた気がするが、今のところ、わたしがそこまで想う相手がいないのだ。
周りが見えなくなり、何を捨てても構わないなんて、そんなことはできない。
その道を選べば……。
―――― きっと一緒になってしまう
金色の髪、紫色の瞳を持つ伝説の聖女。
わたしはあの人のようにならないと決めたのだ。
同じ選択をしないと心に誓ったのだ。
それが、いつ、どこで、何故そう思ったのかは分からない。
それでも、わたしは聖女のようにならないと、心の奥底に深く刻んだことは間違いないのだ。
自分の感情だけで動いて、自分の立場や、周囲の思惑を無視しても良い結果など得られないことを知ってしまったから。
「止めることができてるよ」
「え……?」
「少なくとも、今の菊江さんはちゃんと止まっているとわたしは思う」
菊江さんは止めることができない感情と言った。
でも、少なくとも、今の彼女にあの頃の危うさは感じられない。
「シオンくんのお母さんだもんね」
母親として自分の子に情けない姿なんて見せられないって気持ちが、ちゃんと抑止力になっている。
「ちゃんと気付いたか」
すぐ近くで聞こえる低い声。
「直接言ってくれなかったけど、ヒントはかなりあったからね」
この土地の管理者である人、貴族の長男を呼び捨てることは身内ぐらいしかできないと思う。
わたしが年上に対して「敬称」抜きで話すことに抵抗を覚えたり、敬語を使わずに話すことが難しいようなものだ。
それに、そんな立場の子供を連れて、こんな人の多い所に来ることができるほど信用されている人なんてそういないと思う。
ただでさえ、この世界って、怪我はともかく、病気が怖いのだ。
人間界の知識がある彼女が、何の思惑もなく、他人の幼子を連れてくるなんて思えなかった。
それに、菊江さん自身の言葉もある。
先ほど、彼女は「この子のために恥ずかしい姿は見せられないし、この子に間違ったことを教えたくない」と言った。
それがただの家庭教師や乳母の発言とは思えない。
それは母親の立場にある人だから口にできる台詞だ。
「元王族ってそういうことでしょう?」
この町……、リプテラは活気があって、見どころも多く、城下町でもおかしくはないほど栄えている。
自国内の価値がある人に王族を嫁がせるなんて、政略結婚の基本だ。
「でも、自分の後輩が結婚しているだけではなく、既に子供までいるって微妙にショックなのは何故だろうね?」
「知らん」
菊江さんとそこまで仲良くなくてもこれだけの衝撃を受けたのだ。
自分の友人たちが結婚する時は、どれだけの驚きがあるのだろうか?
いや、既に婚約状態の友人がいるのだけど、結婚となれば話は別だよね。
「私は、15歳になると同時に、人間界から帰還し、すぐにこの町の管理者である『シガルパス=テグス=リプテルア』と婚姻を結びました」
「つまり、15歳で結婚?」
ああ、それで二年前なのか。
「この大陸では別に珍しくないですよ。それに、私がアベリアの王位継承権を放棄する意味もあったので、早い方が良かったのです」
それでも、人間界の知識と常識が邪魔をして、ちょっとだけモヤっとした。
いくらなんでも、若すぎない?
日本でも戦国時代では12歳になる前に出産している事例があるのは知っているし、その方は11人も子供を産んでいるという驚異のオマケまで付いてくるけど、そんなのは例外中の例外だ。
「菊江さんは、幸せ?」
そこだけが気になった。
他人のわたしが言えるのはそんなことぐらいだ。
「はい。こんなに可愛い子に恵まれましたから」
だけど、菊江さんは気にしないどころか、そう言いながら、自慢するかのようにシオンくんを見せてくれる。
シオンくんはいつの間にか目を開け、その藍玉のような瞳を見せて、可愛さアピールをしてくれている。
微妙に開かれた口は富士山のような三角形で、歯のようなものは見えない。
「確かに可愛い」
本当になんだろう、この生き物。
やはり目を開けても可愛かった。
「…………そこまで同意されると、我が子ながら妬ましい」
その母親である菊江さんはそんな反応に困るような言葉を口にしながらも、どこか誇らし気な顔を見せるのだった。
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