壊してしまいそうで
中央の広場で踊りを見ていただけのつもりだった。
だから、わたしはこの展開を予想していなかったのだ。
踊っていた中の一人が、わたしに話しかけた。
そのこと自体は本当に偶然……、だったのだと思う。
でも、その人が……。
「アックォリィエ様」
と、わたしの背後に呼びかけたので、反射的に振り向いた。
「え!?」
わたしは驚きの声を上げるしかなかった。
そこにいたのは、ある意味、予想通りの人物……、だけではなかったから。
「菊江……、さん……?」
わたしはこの状況に茫然とするしかない。
そこには、中学時代の部活の後輩である「椎葉菊江」さんの姿と、もう一人、別の人物がいたのだ。
「連れてきたのか……」
だが、わたしのすぐ傍から聞き慣れた低い声。
その声の主である九十九は、このことを知っていたかのような呟きを漏らす。
「えっと……?」
九十九は何か事情を知っているようだが、わたしは何も知らされていない。
なんで、わたしの護衛たちは微妙に秘密主義なのだろうか?
わたしは九十九を恨めしそうに睨みつけたが、彼は慣れたもので、全然、効果を感じられなかった。
それどころか、何故か笑うほどの余裕。
それが、余計に悔しさを加速する。
先ほどの中央広場での華やかな踊りは、わたしたちの中学校に通っていた人間なら誰でも知っているようなものだった。
それを踊っていたおね~さんからの話で、わたしにこの懐かしさと切なさと当時の苦労を思い出すような踊りを見せたかったと言うことは理解できた。
でも、その理由が分からない。
わたしはこの後輩に嫌われている。
直接そう言われたことはなかったが、そう思わせるだけの言動があり、そんな扱いもされていた。
そんな彼女の目的はなんだろう?
確かにこの世界は歌や音楽が少ない。
そんな世界なのに、歌に合わせて、人間界の踊り……、それも集団でするものを教え込んだって相当大変なことだと思う。
そうなると、自分がそれだけの人間を想うように動かせるという一種の自慢なのかな?
でも、確かにわたしに対する態度は、周囲から見て、眉を顰めてしまうようなことだったみたいだけど、そこには上に立っている人間特有の、驕り高ぶった様子はなかったと記憶している。
わたしに対する言葉の数々も、そこまで的外れでもなかった。
寧ろ、あまりにも飾らない表現が多すぎて、その返答に困るぐらいだった。
でも、そんな彼女の目的よりも、わたしは連れてきた人物から目が離せないでいる。
それは、仕方がない。
こんな存在を身近で見る機会は久しぶりなのだ。
「シオちゃん先輩」
いくつかの言葉を交わし、先ほどの集団を解散させた後、菊江さんが、わたしに向かって微笑んだ。
彼女からそんな顔を向けられたのは初めてだと思う。
そのために、自分でも目が丸くなったのはよく分かった。
「栞、顔に出過ぎている」
九十九から小声でそう言われて、慌てて、自分の両頬を掴んで、ぐにぐにと動かす。
わたしはどうも、人間界での知人に会うと、感情が顔に出やすくなってしまうようだ。
「そんなことをしたら、意味がないだろう」
九十九が溜息交じりにそう呟くが、時すでに遅し。
やってしまったものは仕方ない。
そんなわたしを見て、菊江さんは笑いながら……。
「私は、この子の前では変な顔も態度も言動もできないんです」
自分が抱き抱えている存在に頬ずりをした。
「あぅ……」
菊江さんに頬を付けられ、その腕の中の小さな生き物は、小さな声を上げる。
そんな力の無い声すら可愛らしくて、思わず手が動きかけてしまう。
そこにいたのは小さくて、可愛らしくて、弱弱しい生き物だった。
世間一般で言う、「赤子」というやつである。
目を閉じているから寝ているのかもしれない。
「そ、その生き物は一体……?」
「生き物って……」
菊江さんが苦笑する。
確かに、小さな赤ちゃんに対して、「生き物」という言葉はないと自分でも思うが、それだけ混乱していたのだ。
「この町の管理者の跡継ぎですよ」
「跡継ぎ……?」
「はい。シオちゃん先輩にはお初にお目にかかります。この子は、『シオン=アスタラス=リプテルア』。この町の管理者である『シガルパス=テグス=リプテルア』の長男です」
そう言いながら、菊江さんは、その赤ちゃん……、シオンくん? をわたしに向けた。
体勢が変わったためか、シオンくんは一瞬だけ目を強く閉じるような奇妙な顔をしたが、目を開ける様子はない。
少し、残念。
これだけ愛らしい存在だ。
目を開けたらもっと可愛いと思う。
まだ生えそろってはいない髪の毛は金色で、細くてほわほわして、風で空気が流れるたびに微かに揺れる。
それすら可愛すぎた。
「抱っこしますか?」
「そんな! 畏れ多い!!」
その管理者の息子さんということではなく、この小さな生き物をわたしが抱っこしても問題ないかという話だ。
赤ちゃんを抱っこしたことは、ストレリチアの大聖堂内で何度かあるが、ここまで小さくはなかった。
大聖堂にある孤児院のような「教護の間」と呼ばれる場所は生まれて一年、少なくとも、乳離れしていないと預けられないのだ。
それよりももっと小さな赤ちゃんとなると、それぞれの地域にある聖堂の管轄で、そこの神官たちの裁量に任されているらしい。
そして、一応、未婚の「聖女の卵」が、お手伝いさせてもらえたのは、それよりももっと大きくなった幼児期の子たちが多く、トイレとかも自分でできるようになった子ばかりだったと思う。
小さな子のおむつ交換は興味があったのだが、当時、魔法が使えなかったわたしは、その後処理である洗浄ができないので、許可が下りなかった。
でも、一応魔法が使えないことはなくなった今なら、許されるのかな?
「畏れ多い……って、シオちゃん先輩は妙なことを気にしますね」
菊江さんはまた苦笑いをした。
彼女がこんな表情をわたしに向けるのも珍しく、わたしは、彼女を見れば良いのか、シオンくんを見れば良いのか分からず、キョロキョロと落ち着きなく目線を動かしてしまう。
「大丈夫ですよ。もう、首も据わっていますから」
そう言って、菊江さんはシオンくんをわたしに差し出した。
こんなふにゃふにゃした生き物に触れても大丈夫だろうか?
「こ、壊しそう……」
「簡単には壊れませんよ。こう見えても、赤ちゃんって、結構、頑丈なんですから」
さらにそう言って突き付けるから、素直にシオンくんの身体を受け取る。
「うわあ……」
なんて頼りないのだろう。
頑丈って言われたけど、うっかり壊してしまいそうで落ち着かない。
「嫌がっていた割に、思ったよりも抱き慣れていません?」
「もう少し、大きい子なら少し前に抱っこしたことは何度かあるから」
それでも、これまで抱っこした中で、断トツの柔らかさと、落ち着かなさだ。
少しでも力を入れたら壊れてしまいそうに思えてしまう。
でも、温かい。
そして、めちゃくちゃ可愛い。
菊江さんが頬ずりしたくなる気持ちがよく分かる。
これは全体で味わいたい感覚だ。
何度、「可愛い」という言葉を繰り返しても足りない。
「シオちゃん先輩って、子供好きだったのね」
「母親も子供好きだから、その血だと思うよ」
人間界にいた時、母は保育士をしていた。
勿論、保育士は子供を愛でるだけが仕事ではないのだけど、子供好きでなければ耐えるのが大変な仕事でもあるらしい。
尤も保育士の中では、園児たちを構い過ぎて、家に帰って実の子から妬かれるということも珍しくはないそうだ。
自分の子を同じ保育園に通わせる条件として、「緊急時に自分の子を優先させないこと」と約束させられることもあると母は言っていた。
わたしは幸い、母が保育士になった頃には小学生だった。
保育園に通ってはいなかったと記憶しているが、その頃のわたしの記憶はちょっと曖昧なので、はっきりと言いきれない。
「あの、シオちゃん先輩……」
「何?」
わたしが、顔を上げると、菊江さんが一瞬、かなり目を見張った。
それだけ、わたしが締まりのない顔をしているのだろう。
でも、自分でも頬の緩みが抑えられない。
それだけ、赤ちゃんというのは可愛いのだ。
「自分の感情を抑えるために連れてきたはずなのに……。なんだか、シオンに、シオちゃん先輩を取られた気分……」
菊江さんは、頬を膨らませながら、何故かそんな不思議なことを口にするのだった。
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