思いは伝わらない
シオリに命を救われてから、自分の人生は本当に幸せなのだと思う。
これまでの長くはない人生の中で、いろいろなことがあったけれど、それでもシオリに出会ってからは不幸だと思ったことはないのだから。
「高田に『好き』だと伝えれば死ぬって本当か?」
そんな水尾さんの言葉に対して……。
「らしいですね」
そう即答する。
その質問が来ることは気付いていた。
オレの気持ちに気付いている水尾さんだ。
その性格から考えて、そのことを気にしないはずもない。
「ちょっと待て。『らしい』ってなんだ?」
だけど、水尾さんはそこが引っかかったようだ。
明らかに伝聞だったからだろう。
「その契約はオレが4歳の頃に結ばれました」
「4歳!?」
魔法国家の王女殿下である水尾さんの知識の中でも、4歳で他者と契約を結ぶのは珍しいようだ。
尤も、シオリに拾われて城で生活することになった3歳の時点で既に、「絶対命令服従魔法」は一度、施されていたのだが。
「そして、オレ、その途中で意識が飛んでいるんですよ」
「なんで!?」
「先に別に結ばれた契約があったからだと思うのですが、理由は不明です。ああ、幼かったからかもしれません」
恐らくそれだけセントポーリア国王陛下の魔法の圧力が強かったのだろうと兄貴は言っていた。
本当にその理由は分からなかった。
当のセントポーリア国王陛下でさえも。
「ですが、一緒にその契約を結ばされた兄貴が言うには『チトセ様及びシオリ様に、心から愛を告げた時には、お前たちは自害を選べ』という文言だったらしいです」
だから、栞に向かって「好きだ」と口にするのは、自殺するのと同意だと思っている。
ただこれまでの経験から、栞自身のことではなく、別の何かに対して「好き」という単語を口にする分には、本人に聞かれても問題はなかった。
そして、栞に対しても、「月が綺麗」程度の曖昧な言葉なら大丈夫だった。
要はその本人に、自分の想いが伝わらなければ良いと言うことだろう。
「なんだ、その極端な契約は!?」
「それは、契約者に言ってください」
まあ、所謂「親馬鹿」と言われるやつだ。
あの公正な国王陛下もかなり人間らしい感情を持っていることは知っている。
ストレリチア城でその一端を拝見させていただいたからな。
「どうして、上に立つ人間ってやつは、そう何でも思い通りになると思っているんだよ」
そう口にする水尾さん自身も王族だった気がするのは気のせいだろうか?
「なんで、そんなことを……」
「原因は兄貴です。ちょっとしたスキンシップをしてしまって……」
眠っていたチトセ様の額にキスをしたらしい。
オレはその現場を見ていないが、当人の弁ではそうだった。
その無防備な寝顔と近付いてもあまりにも反応がなかったから思わず……だったそうだ。
当時はよく分からなかったけれど、今ならめちゃくちゃ理解できてしまう。
やはりオレは兄貴と血が繋がっているらしい。
「先輩の行動の結果なら、九十九は完全にとばっちりじゃないか!!」
そんな男心を知らない水尾さんは、それでも、オレのために怒ってくれた。
そのことは素直に嬉しい。
「そこで兄弟ともどもクビになっていないだけ温情でしょう。本来、高貴な方の愛妾に手を出すなんてありえないのですから」
それに、どちらかと言えば、オレが「発情期」中に、栞に対してやらかしたことの方が年齢的にも内容的にも酷過ぎるだろう。
それがセントポーリア国王陛下に知られないことを祈りたいが、兄貴が報告している可能性はある。
だが、今のところ、解雇宣告はまだない。
「九十九が4歳ってことは、先輩は6歳かそこらだろ?」
「そうなりますね」
その年齢で、女に口付けるという発想はどうかと思う。
人間界ほど参考となるものもなく、オレたちに母親もない。
一体、どこで学んだんだろうな。
「心、狭すぎないか?」
言われてみれば、確かに大人気ない行為ではあるのか。
6歳のガキに悋気……。
いや、ある意味そこで止めたのは正解だったのかもしれない。
あのまま、見逃せば、年上女性への敬愛が異性への慕情に変わる可能性が絶対になかったとは誰も言えないのだ。
兄貴が本気でチトセ様に迫るようにならなくて済んだと考えよう。
「九十九は、それで良いのか?」
水尾さんは契約内容が気にかかるのだろう。
そんなことを聞いてきた。
「はい。その契約のおかげで、年頃になった今も変わらず傍にいることを許されてますからね」
あの契約がなければ、「発情期」の危険性があった男から引き離していただろう。
普通に考えれば、その兆候があった時点で、縁がなければ「ゆめ」を利用すべきだと、この世界の男たちは知っているのだ。
それでも、オレは「発情期」の兆候があった時点で、「ゆめ」を利用せず、大聖堂を借りて耐えるという道を選んだ。
そんな選択肢は、普通、神官以外にありえない。
もしくは、絶対に手を出してはいけない相手に惚れ込んでしまっている時だ。
だから、もしかしなくても、あの時点で、セントポーリア国王陛下に気付かれていたと思っている。
それっぽい台詞も何度か頂戴していたのはそのためなのだろう。
それでも、あの頃のオレ自身はまだ全く自覚していなかったけどな!!
「違う。その契約は必要なことは分かるんだ。異性の護衛にある程度の枷は仕方ない。だけど……」
オレの気持ちを知っている水尾さんは、苦しそうに言葉を吐きだしていく。
「嘘を吐きたくない九十九が、高田に本当の気持ちを言えないままで良いのか?」
この人がそんな顔をする必要などどこにもないのに。
「気に掛けてくれてありがとうございます、水尾さん」
だから、オレはこの「誓約」を聞かれても良いと思えたのだろう。
あの女に伝えると同時に、宿をこっそり抜け出たオレを心配して付いてきてくれたこの人にも伝えたくなったのだ。
まあ、その前にあの女の護衛たちを眠らせるための睡眠ガスが防がれていたのは、少しだけ悔しいが。
「だけど、大丈夫ですよ」
オレは笑う。
「自分の気持ちに蓋をするだけで、自分の気持ちに嘘を吐くこととは全然違いますから」
それでもあの「ゆめの郷」で自覚するまでは、その蓋をすることも苦痛だった。
当然だ。
オレは「高田栞」のことは何とも思っていないと、自分の気持ちに嘘を吐いたまま蓋をしたのだから。
だけど、今は本人に隠すだけで良い。
自分に嘘を吐く必要などないのだ。
「まあ、九十九がそれでも良いって言うなら、私には何も言えないけど……」
「そうしてくださると、助かります」
勿論、辛くないと言えば嘘になる。
この先、オレは想いを告げることができないまま、栞が誰かの手を取る姿を見ることになるのだ。
それでも、栞から離れることになるよりはずっと良い。
「じゃあ、もう一つ。なんで、菊江に会うことにしたのかを聞いても良いか?」
「面倒なことはとっとと片付けた方が良いでしょう?」
明らかに栞に好意を持っている相手が、その感情に振り回されて、栞の気分を害することになる。
そこにある歪みを無関係なオレが直せるなんて思ってもいないが、それでも、何も知らない第三者だからこそ介入できる隙はある。
「アレを片付いたというのか?」
水尾さんはジロリとオレを睨んだ。
「最終的に片を付けるのはあの女自身ですよ。あのまま、歪むなら栞から完全に離せば良いし、少しでも改善できるならその方が今よりはマシになるでしょう?」
「ふぅん」
水尾さんはさらに何か言いたげにオレを見る。
「それに、この町の管理者の身内だと分かっているので、力技で解決する方法は選びたくなかったんですよね」
わざわざ暫く滞在する予定の場所の居心地を悪くする理由はない。
「本当に高田を連れて行く気か?」
「そのつもりですよ」
一方的な押し付けた形ではあるが、約束と言えば約束なのだ。
ある程度譲歩した上で、向こう側が何も変える気がないというのならこちらから手の施しようもないし、栞の方も変わろうとしないなら、完全に相性の問題としてお互いに関係の改善は諦めてもらうしかない。
オレとしては、既に目的は果たしている。
だから、これ以上の関りは余計なことだろう。
何より、オレは今、もっと気になることがあった。
「水尾さんが魔法に自信があるのは分かりますが、夜中に1人で出てくるのは止めてください。心臓に悪いです」
いくらなんでも危険が過ぎるだろう。
この水尾さんは確かに魔法は規格外と言えるほどだが、それ以外の部分において、栞よりも弱いところだってあることを、オレはもう知っている。
「ここは貴女の国ほど安全ではないんですからね」
オレがさらにそう続けると……。
「分かってるよ」
水尾さんはそう言って微かに笑うのだった。
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