あの日の始まり
千歳の提案により、話は食事をしながらすることとなった。
丸一日まともに食事をしていない水尾に対して、これ以上何も食べさせないというのは酷だろうということだ。
事情がありそうだから、話は少しばかり長くなることだろう。
千歳の提案は何もおかしなことではない。
だが、九十九は思った。
実は、彼女の空腹を理由とした魔力の暴走を防止するためなのではないかと。
千歳なら娘の口から彼女はお腹がすくと、不機嫌になるという厄介な性質を持っていることを聞かされている可能性はあるだろう。
事情は聞けることになったが、その前に九十九が改めて料理を作ることになった。
それについては何も問題ない。
彼にとってはいつものことだ。
今更、一人分増えたところで大した違いはないだろう。
だが、話を聞く際に九十九は一つ、水尾にお願いをした。
「貴女の話を兄にも聞かせてください」
その言葉を聞いた時、水尾はなんともいえない奇妙な顔をして見せた。
まあ、彼女が忌避の感情を見せることは、これまでの経験から九十九にとって予想していたことである。
そのため、こちらからの譲歩案として、兄には通信珠を通して話を聞かせるだけで、彼からは一切言葉を話させないということで、なんとか彼女を説得することができた。
水尾としても、個人的に思うところはあっても、弟に救われた以上、この家を取り仕切っていると思われるその兄にも伝えるべきだということは分かっていたのだろう。
ただ、それでも簡単に私情を他所に置いておく事などできなかった。
その上、あの男の性格上、水尾にとって、答えにくい質問等を発する可能性はかなり高い。
そうなると彼女が話すこと事態を止めてしまうことも考えられた。
だから、九十九は兄にもそう伝えた。
『お前にしては頭を使ったものだな』
とは、その時返ってきた兄の言葉である。
実は雄也にとっても、その方が都合が良い状況にあったのだ。
あれから、彼は城内外で多岐に亘る活動していたため、今は、のんびり家に戻っている暇などなかった。
だが、今は少しでも精度の高い情報が欲しかったのは事実。
弟を通して得たものでは多少精度が劣ってしまうことだろう。
これは弟が不出来なわけではなく、重要だと思うものや、印象強いもの、そして……、嘘偽りのない言葉だと感じるものはそれぞれ違ってしまうものなのだから。
その通信珠を使って、彼女の生の声を兄にも聞かせることを提案したのは、九十九ではなく、実は千歳の案だった。
雄也ならば、声からでも自分たち以上に情報を取得することができる可能性があるだろうということと、大事な話を聞くときは少しでも視点を変えることができる方が良いというのがその理由である。
それを聞いた九十九は感心するばかりだった。
だが、水尾の心境と兄の性格を考え、兄から言葉を出させないことについては九十九の発想であったことは付け加えておく。
それに、話が大きくなりそうな予感がしていた。彼女の発見した状況を考えると普通ではなかったのだ。
だが、九十九自身、兄に正確な情報をどれだけ多く伝えることができるのかという点においてはあまり自信がないところではあったのだ。
だから、この方法は九十九にとっても救いの手であったといえるだろう。
因みに、人間界で先輩後輩の関係にあった二人の再会は、実にあっさりしたものだった。
「は~、水尾先輩も魔界人だったんですね~」
「こっちは高田が魔界人だったって方が驚きだよ」
こんな感じである。
人間界で別れてから一ヶ月ほどしか経過していないのだから、あまり実感がないのは仕方のないことなのだろう。
この再会があまり高くはない確率のものだったことに。
「で、私は何からお話しましょうか?」
パンによく似た焼き菓子を上機嫌で頬張りながら水尾は言った。
彼女は、ようやくお腹が落ち着いてきたのか、その口調は先ほどよりも少し軽くなっているように見える。
さらに目の前の食事を口にするたび、一口目に必ず「美味っ!? 」と驚きの声を上げ、さらにどこがどう美味いのかまで口にする。
このストレートで分かりやすい反応は、作り手であった九十九にとってかなり心地よいものであった。
この家の住人は、何を食べても「美味しい」としか言わないのだ。
そのことは嬉しいのだけど、あまりにも同じ反応ばかりでは、ある意味、張り合いもなくなる。
「そうね……。とりあえず貴女の身に何があったかぐらいは知っておきたいところかしら?」
まず千歳がそう言った。
そこで、水尾はピタリと手を止めて、持っていたものを皿に置く。
どうやら、さすがに食べながらする話ではないと判断したようだ。
「あの日は……、アリッサムの第一王女殿下の20歳の生誕祝いの儀でした」
水尾はあまり抑揚がない口調で、ゆっくりと語り始めた。
その表情は暗く、それだけで「祝い」とう言葉からかけ離れた喜ばしい話ではないことが伝わってくる。
「祝い自体は内々のものでしたが、国中がそれを祝福し、祭事の熱に浮かされたのを覚えています」
「生誕祝い……ってことは誕生日ってことだよね? 王女殿下とは言え、そんなお祭り騒ぎになるものなの?」
栞は横に座っている九十九に小声で尋ねる。
「王位継承権所持者の20歳は一種の節目だ。どこの国でも、国王陛下が隠居して王位を譲ることができるようになる。実際は25歳以降の方が多いけどな。アリッサムの第一王女殿下は王位継承権第一位の人間。国を挙げて祝ってもおかしくはないと思う」
そんな魔界人なら誰でも知っているようなことを黒髪の少年は横にいる少女に丁寧に説明している。
水尾の目にはそれが少し不思議な光景に映った。
「アリッサムにとって、今回の慶事は単純に王女の生誕祝いだけではなかった。その儀式の後、その王女の婚約の儀も控えていたんだ」
「婚約!? 婚約ってあの結婚の約束ってヤツ!?」
「そんなことまで説明しなきゃならんのか、オレは……」
九十九は自分の前髪をくしゃっとして、俯く。
魔界限定の専門用語ならともかく、人間界でも聞き覚えのある単語までいちいち尋ねられるのは辛いことだろう。
「九十九くん。そろそろ娘は無視して良いわ。話のテンポが悪くなるから」
「分かりました」
千歳の言葉に、九十九はほっとしたような顔を見せる。
「酷い……」
その原因となっている自覚はあるけれど、その扱いの軽さに落ち込む栞。
だが……。
「分からない単語は後でまとめて説明するから、暫くは黙ってろ。オレも水尾さんの方の話に集中したい」
「うん、分かった」
九十九の言葉に栞は笑顔を見せて、水尾に向き直る。
水尾が見たところ、この黒髪の少年はこの母子に仕えているといった印象を持った。
尤も、その感覚は、人間界で会った時から少しあったものだ。
この二人は彼氏、彼女……、所謂、恋人の雰囲気をあまり感じさせなかったから。
「その生誕祝いの儀の最中だった。謎の集団が突然現れ、城内外問わず攻撃を始めたんだ。不意打ちということもあったが、ヤツらがどこから現れたのか……、少なくとも私には認識することができなかった」
そこで水尾は額を押さえる。
少し顔をしかめている辺り、彼女にとってあまり思い出したくはない光景なのだろう。
「わたし……、魔界に対して無知なので分からないのですが……、万一の襲撃対策みたいなのはなかったのですか? えっと……、確かアリッサムには結界……があるんですよね?」
「無知?」
後輩が何気なく口にしたその言葉に水尾は引っ掛かりを覚える。
「はい……。わたしには魔界の知識……というか、魔界に関する記憶が一切、ないので……」
「はあ!?」
九十九と千歳が同時に頭を抱えた姿が視界の端に見えた気がするが、水尾はそれを確認する余裕がなかった。
それほど彼女にとって、栞の告白が衝撃的なものだったと言える。
ただ、発言の雰囲気から当人にその自覚はこれっぽっちもないようだが。
「魔界の知識ってか……、記憶がないってすっげえ問題じゃねえか!?」
水尾がそう追求を重ねるが、栞本人はきょとんとした顔をしている辺り、何も分かっていないようだった。
そこには、かなり複雑で面倒な過程と理由があるのだが、それについて、水尾が全て知るのは少しだけ先の話である。




