彼女の特別になりたい
誰かの特別な存在になりたい。
それは一度ぐらい思うこと。
自分の中に特別な存在があれば、その相手にとっても、自分が特別な存在でありたいと願うのは自然な流れ。
「恵まれた人には分からないでしょうね。あの人の特別になりたくて、無様なことを続ける私の気持ちなんて……」
その言葉は自分に重なるようで……。
「はい、全く」
不思議なほど重ならなかった。
「は?」
まさか、オレがそこまではっきり言い切るとは思っていなかったのだろう。
女はその目を丸くした。
「あの主人にとって特別な存在になれるはずがないですよ」
自分でも泣きたくなるような現実を口にする。
「あの『高田栞』の中には、好きな人間か、苦手な人間か、それ以外の人間という括りしかないのです」
「それって割と普通の話じゃないの?」
この女はそう言うが……。
「あの主人は、自分の命を狙うような相手……そうですね。貴女も知っているあの紅い髪の男が目の前で死にかけていても治療しようとする異常者です」
「は?」
あれは正直、頭を抱えた。
まあ、結果としてあの紅い髪の男が少し懐いた感はあるので、何とも複雑な気分にはなるのだが。
「さらには自分に暴力的な行為を振るった人間が死にかけた時にも、我が身を顧みず、死ぬ確率が高い危険地帯に飛び込むような異常者です」
カルセオラリア城での行いは、完全に正常な人間ではないと思う。
あれは、相手が王族ということを差し引いてでも割に合わない行動だ。
魔法が効かない材質の塊が自分めがけて落ちてくるのだ。
しかも、助けに来た人間の手を振り払ってまで更なる危険地帯へと向かったなんて、後から聞かされても、正気を疑った。
「そして、それだけのことをするにも関わらず、自分に対して直接、苛めに近い行為を行う女のことは、無関係だからどうでもいいと切って捨てるような女でもあります」
「――――っ!?」
それが何を差しているのかを理解したのか、女は蒼褪める。
本来はオレが言うべきことではないのだろう。
だが、栞は恐らく告げない。
告げるほどの価値を見出していないから。
だから、この女はその事実を知らない。
知らないからこそ、自分でも無様だと思うような言動を繰り返す。
「呆れるほど、自分に無頓着な女なのです」
自分を蔑ろにしているとは違うのだろう。
単純に、自分は二の次なのだ。
「自分より他者を大事にしてしまうのは、貴女もあの卒業式で思い知ったことでしょう?」
「だ、だけど……」
「主人に『格別』を望まないでください」
「!?」
「あの主人にあるのは、自分とそれ以外です。それは、誰もが特別な存在であり、自分だけが特別ではないという極端すぎるほどの他者肯定感の高さと自己肯定感の低さでもあります」
いつから、栞がそんな考えを持っているのか分からない。
小学校の時はそこまで酷くもなかったと思うが、それはオレが未熟で気付けなかっただけかもしれない。
「誰もの考えを肯定し、自己を否定する。それは誰も特別な存在になれないのと同じでしょう?」
それでも、不思議なことに他者の考え方に左右されるのとも違うのだ。
ただ「そんな考え方もあるよね」と他者を否定しない。
そして、自己否定は強いのに、自分を曲げない。
何度も「自分がいなければ良かった? 」と自問自答を繰り返しながら、それでも真っすぐ突き進もうとする矛盾の塊。
「それでも、貴方はシオちゃん先輩にとって特別でしょう?」
「どうでしょう? あの主人の護衛は私だけではないので分かりません。ただ、そう見えるなら喜ばしいことですね」
「そう見えるだけでも羨ましい」
女はどこか寂しそうに微笑んだ。
その態度に少しだけ苛立つ。
欲しがるだけで行動しないのは、ただの甘えだ。
「私は気持ちを隠してはいないので」
「え?」
「確かに主人に対して想いを直接言葉にすることは許されません。ですが、ちゃんと行動はしています。周囲からは『だだ漏れている』と言われるぐらい、愛情は伝えていますから」
本人には「重い」と言われるほどの想いは、水尾さんや真央さんからは、「だだ漏れ過ぎるから控えて」と言われるほどの感情の発露でもある。
文字通り死ぬまで口にできない「好き」だから。
それでも、伝えてはいけないと言われていないのだから、許される範囲の行動はしたくなるだろう。
いつか、「好き」を口にして、その時に後悔しないように。
「不潔!!」
「申し訳ございません。おっしゃる意味が理解できません」
その言葉から妄想系だとは思う。
「シオちゃん先輩にあんなことやこんなことはしているってことでしょう?」
「あんなことやこんなこととは、どんなことでしょう?」
多分、エロい方向性の話だとは思うが、それはどの程度の範囲だ?
「そ、その……、抱擁とか」
思ったよりも程度は低かった。
そして、抱擁は友人同士でもするようなものだろう。
実際、若宮は割としている。
「護衛なので腕に収めて護るしかない時もありますよ」
まあ、それ以外の状況でも抱き締めているけどな。
だが、それはできるだけ我慢している。
感情のまま、抱き締めていたら、オレは二度と栞を離せなくなることは間違いない!
「ほ、ほ、頬にキスとか」
「頬に限らず、親愛の情として口付けぐらいはするでしょうね」
まあ、「発情期」中を除けば、栞とのキスは儀式的な感じのものばかりというのがなんとも哀しい現実なのだが。
いや、十分だ。
それ以上は求めてはいけない。
「口!?」
「キスって口付けることですよね?」
思わずいつもの調子で突っ込んでしまったが、そこまで大袈裟に驚かれることか?
この女の立場からすれば驚くようなことではないはずだ。
「シオちゃん先輩が大人の階段を上っていく……」
「主人は既に18歳ですが……」
まあ、その大人の階段とやらを少しばかりオレが上らせてしまった感はある。
でも、その大人の階段を上り切る前の踊り場で、なんとか足を止めることができただけマシだと思って欲しい。
そこから先はオレ以外の、他の男の役目になるのだろうけど、そこは仕方のない話だ。
「シオちゃん先輩は永遠の14歳なの!!」
「14歳ならまだこの世界に戻れませんが」
「ぐっ!!」
正論を叩き込むと黙ってくれた。
他大陸の滞在期間は10歳から15歳とされている。
14歳ではまだ戻ることは許されないだろう。
そして、この世界は15歳で成人だ。
だから、いつまでも未成年であって欲しいという願望なのだろうけど、それは無理があり過ぎると思う。
確かに栞は小柄で15歳以上に見えないが、その仕草や表情は、立派に18歳のものとなっている。
基本的に雰囲気ブレイカーだから分かりにくいが、時折、不意打ちで脳を揺らすような、心臓を掴みだそうとするような、男心を刺激するような、そんな厄介な色香を感じさせるようにもなった。
もう子供には見えないから、余計な心配も増える。
実際、多少の化粧をしたとはいえ、あの港町では下種な神官に目を付けられる程度には大人の範囲内に入っているのだ。
「それにこの町に居を構える予定もありません」
「それは、分かっている」
この町は観光都市のようなものだ。
花と芸術、そして人で溢れているが、それは不変のものではない。
絵描く者、歌う者、踊る者、奏でる者、創る者。
それらは、時間が経てばまた次の地へと向かって旅立っていく。
「ですから、主人に言いたいことがあるなら伝えた方が良いと思いますよ」
「そんなことできるわけがないじゃない!!」
「『高田栞』が、人間界からその存在を消した後、貴女に後悔は全くありませんでしたか?」
あの世界に行った人間たちの中での約束事。
それは、そこに存在した痕跡を消すことだった。
「なかったわ」
女はそう言い切った。
「始めから決められた別れだったもの」
いずれ、別れると思っていたから、後悔はなかったと。
その強さは少し羨ましい。
「私は、ありましたよ」
「え……?」
「最初に主人と別れた時、伝えきれなかった思いがたくさんあることに気付きました」
記憶を封印する前のシオリが、オレと兄貴に対して「強制命令服従魔法」と命令した後、オレは、その背中を覚えていない。
だけど、人間界で再会した後、オレに気付きもせず、横を素通りされたことは、ショックだった。
その後、不自然なくらい、何度も近くに姿を見せても、シオリはオレに顔を向けることをしなかった。
その時、オレは彼女に伝えるべき言葉を伝えていなかったことに気付いたのだ。
城で過ごした生活は楽しかったとか、シオリとの魔法の練習は大変だったとか、そんな普通のことだけでなく、命を救ってくれたことに感謝とか、ずっとその身を護らせてほしいとか、傍にいることを許して欲しいとか、そんな重い心の内も何一つとしてまともに口にしてこなかった。
ずっとそばにいることが当然だと驕っていたから。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




