綺麗な彼女
「あの綺麗なシオちゃん先輩が、私だけに向ける嫌悪に塗れた顔は本当に綺麗なのよ」
そんな言葉を恍惚の表情で言われても……。
「阿呆ですか」
……としか、オレは返せない。
「貴方のような人には分からない」
「そうですね」
オレの感情は歪んでいるが、そこまで以上思考ではない。
だから、オレは一枚の写真を取り出す。
「そんな考えでは、こんな主人の顔を拝むこともできないでしょう」
「なっ!?」
そこにいたのは、恐らくこの女が一度も見たこともない「高田栞」だろう。
今より二年ほど前の栞が、その顔を真っ赤にさせて、頬と耳を隠すように押さえている。
その顔をさせたのはオレじゃない。
だが、近年、それに近い顔をオレにも見せてくれるようになったのは、オレも喜んでいいだろう。
「な……、え……?」
混乱している女にさらに言葉を続ける。
「それは、若宮恵奈と名乗っていた女から押収した貴重な一枚です」
ストレリチア城で若宮から自慢げに見せられ、そのどさくさで複製させてもらった一品だ。
バレたら、後が怖いともいう。
それでも、その当時、滅多に見ることができない貴重な顔だった。
まだあの当時、自覚がなかったとはいえ、少しずつ育っていた感情はある。
だから、そんな表情を自分も見ていたいと思うのは当然だろう。
それが、自分がさせた表情ではないと知っていても。
「撮ったのは若宮先輩なの!?」
あの頃の栞がそこまで隙を見せるのは、若宮だけだった。
オレにここまでの気は許していなかったのだと今なら思う。
「それが二年前。今の『高田栞』はもっと可愛い表情を見せてくれるようになっています」
「そ、そんな……」
「先ほど、貴女は自分に嫌悪を向ける『高田栞』が綺麗だと言いました。恐らくはそこが魅力だと考えているようですが、その点においては私とは違うようです」
確かに強い瞳を向ける高田栞は綺麗だとオレも知っている。
だが……。
「私は、自分に向かって笑いかけてくれる『高田栞』の方が、愛らしくて好きなのです」
本当に全力で抱き締めたくなるほど可愛くて、胸の奥から鷲掴まれそうになるほど愛しさで溢れるのだ。
勿論、残念ながら、そこに栞からの熱があることはない。
照れた顔とかは向けてくれることは増えたが、それはオレの揶揄いに対して、反応を見せているだけで、異性に慣れていない女の正常な反応でしかないのだ。
そんな栞がオレに熱の籠った顔を向けてくれたのは、「発情期」の時だけではないだろうか?
あれはあれで、異性から与えられる刺激に慣れていない女の正常な反応とも言えるかもしれないが。
当時、完全に童貞だった男からすれば、僅かでも、熱のある反応が返ってきただけでも快挙だと思う。
「それに本当に栞の瞳が綺麗に輝くのは、嫌悪の表情ではないでしょう。そして、それを貴女は知っているはずです」
「え……?」
それを知らないとは思っていない。
この女が魔界人で、「高田栞」の後輩だというのなら、間違いなく、あの日、あの時、あの場所に居たはずだ。
そして、「高田栞」に好意を持つ人間ほど、それは見逃さなかったはずだ。
「三年前の南中学校の卒業式」
「――――っ!!」
オレの言葉で、女は分かりやすくその顔色を変えた。
「あの日のあの姿が、私が知る中で一番、強くて綺麗な『高田栞』ですね」
本当にあの時の栞は綺麗だったのだ。
魔法を使えない身で、どれだけの魔法を食らったのかも分からないけれど、誰かを庇うために立ち上がるその姿は、今でもこの目にしっかりと焼き付いて、思い出すだけで、何度もオレを魅了する。
そして、この女もあの時のことを知っているはずだ。
この女は在校生として、卒業生を送り出す立場にあった。
あの体育館には、卒業生やその保護者たちだけでなく、同じ中学校の一、二年生も当然ながらいたのだ。
そして、この女が大事な「高田栞」の卒業式という晴れの日に、あの場所にいなかったとは到底、思えなかった。
「貴女はあの場で何があったかをご存じですよね?」
「あ……」
「誰の助けもなく、たった一人であの場所に立ち、明らかに異常な気配を放つ相手からの魔法に耐え続けた女を見ていましたよね?」
今でこそ、そこそこ会話を続けることができるようになった紅い髪だが、出会った頃には栞に害をなす攻撃性の強い危険な男という認識しかなかった。
栞の身を狙う危険な男という立ち位置は変わらないが、あっちにも事情があって、行動していることは今なら理解できるぐらいの余裕はできている。
「あ、貴方……、あの時の……?」
ん?
「突然、体育館に現れてシオちゃん先輩を抱き締めた男!?」
体育館ってことは、あの卒業式の日……、だよな?
そんなことしたか?
ああ、確かに倒れる栞を抱え込んだか。
よく考えれば、あの当時から結構、役得ではあったんだな。
「背や雰囲気がかなり変わっていて分からなかった……」
そんなに変わったか?
確かに背は20センチほど伸びているけど、顔はそのままだ。
ああ、体内魔気の気配ならかなり変えている。
この世界の住人の判断基準は容姿ではなく、体内魔気の感覚だ。
姿形などいくらでも変えることができるから、それは仕方がないことなのだろう。
「護衛ならシオちゃん先輩があんなにボロボロになる前に助けなさいよ!!」
それに関してはいろいろ言い訳したいところだが、事実なので黙っておく。
通信珠を渡しただけでなんとかなると思っていたオレの浅慮だ。
まさか、その当人が危機意識もなく通信珠を忘れ、関係のない他人の多い場所で、さらには外部からの立ち入りを排除する大規模な結界が張られているなんて、想像もしなかったのだ。
「あの場にいた魔界人はほとんど動かなかったと聞いています。あの紅い髪の本当の狙いは『高田栞』ではなく、その動かなかった魔界人だったとも」
「――っ!!」
確かにオレは護衛としても失格なのだろう。
本当に「高田栞」が大事なら、傍にいて護るべきだったのだ。
だが……。
「関係なく巻き込まれたはずの『高田栞』は、あの男の前に立って一方的に嬲られました。それを、あの場にいた魔界人たちは見殺しにしようとしたことも」
その事実は覆せない。
あの若宮ですら、栞よりも我が身を優先した。
それだけ、あの紅い髪の男の存在が異常だと分かっていたから。
そして、あの状況を打破したと思われる誰かの存在。
栞自身も、食らったライト自身も、そして、後からのこのこと現れたオレも見ることができなかった椅子を投げたヤツ。
この反応から、それはこの女ではないのだろう。
「あ、あの時のシオちゃん先輩は、確かに綺麗だったけど、それ以上に、怖かった」
女は震えながら、あの時の心境を吐露する。
「怖かった……ですか?」
「魔法を全く使わないの。あんな状況なら自分の身を護るために魔法を使うことは許されるのに、抵抗しないの。それなのに、何度も何度も立ち上がって、炎を防ごうとするの。そんなの、絶対に異常だわ」
確かに何も知らなければあの「高田栞」の存在も異常なのだろう。
いや、知っていても異常な行動だとオレも思っている。
何故、関係のない他人まで身を挺して庇うのかと。
「あの時の『高田栞』は魔法を使わなかったのではなく、魔法が使えなかったのですよ」
「え……?」
「事情があって、魔力を封印していました。そのために、一方的に魔法の的になるしかなかったのです」
「そんなっ!?」
事実を知れば、この女の反応は当然だ。
普通に考えても栞の行動は蛮勇ですらなくただの愚かな行いでしかない。
それでも、そんな無謀な彼女のことが好きで、そんな彼女だから支えたいとオレは思ってしまうのだから、間違いなく歪んでいる。
「事情って、他大陸で暮らすためにそこまでする国があるの?」
「さあ? 私が彼女を追った時は、既にあの状態だったので、その詳細は存じません」
嘘は一切言っていない。
恐らく、その事情を知っているのは当事者であり、記憶を取り戻している千歳さんしかいないだろう。
「そこまで傍にいる貴方は、本当にただの護衛?」
「そうですね。それ以上の関係は望めないので」
望まないのではなく、望めない。
それでも構わないと思ったから、オレは「絶対命令服従魔法」を受け入れた。
「それでも、貴方が、シオちゃん先輩にとって特別な人って言うのは分かった気がする」
この女から言われても嬉しくないけど、口が緩みそうになる。
「だから、そんな恵まれた人には分からないでしょうね」
女は薄く笑って言葉を続けた。
「あの人の特別になりたくて、無様なことを続ける私の気持ちなんて……」
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