理解できない
自分の想い人にその想いを告げることができることが許されている。
それはどんなに幸運なことか、人間は理解しているだろうか?
―――― チトセとシオリに心からの愛を告げれば……
耳に残るのは国王陛下の声。
オレには、そこから先の記憶がない。
だが、オレと違って、その時の記憶が残っている兄貴が言うには「自害を選べ」と続けられたらしい。
それが、オレたちに施されたもう一つの「絶対命令服従魔法」だった。
つまり、オレと兄貴はシオリとチトセさんに心から好きだと言うことが許されていない。
どれだけ、その相手のことを想っていたとしても、それを口にすれば、待っているのは自分で選ぶ「死」だ。
始めの「絶対命令服従魔法」は、シオリが口にする「命令」という言葉に対して確実に従うだけのものでしかなかった。
オレたちがどちらも幼かったこともあって、国王陛下もその性別の違いというものそこまで危険視していなかったらしい。
だが、まあ、オレが4歳ぐらいの頃に、やらかしたヤツがいたわけだ。
眠っているチトセさまの額にこっそりとキスするようなマセガキが。
今より誤魔化し方が下手だったマセガキの、チトセさまの額にほんのりと残った体内魔気の気配で、国王陛下にあっさりとバレたそうだ。
その結果、呪い……いやいや、「絶対命令服従魔法」と呼ばれる秘術が、新たに追加されたというだけの話。
「私と他の護衛は、その対象に自分の想いを告げれば死を選ぶことになるという呪いがこの身に施されているために、私は『高田栞』にその感情を伝えることができないのです」
だから、そう告げた。
それをミヤドリード以外の人間に告げるのも初めてだった。
しかも、これまで誰にも言ったことのない話を、縁もゆかりもない相手にどうして告げる気になったのかも分からない。
ただ、今、言いたくなった。
それだけのことだ。
「想いを告げれば……、死? それは本当なの?」
「はい。それが、主人の護衛を続ける条件だったので」
オレたちに拒む権利はなかった。
それを拒めば、シオリやチトセ様が望んでも、ミヤドリードが庇ってくれても、オレたちはあの二人の傍にはいられなかっただろう。
この世界ではそんな呪いを施すことは珍しくない。
だが、大体は隷属効果のある魔法具を使ったものとなるが、それが身体……、いや魂に施されていることは珍しいだろう。
「じゃあ、貴方はずっとシオちゃん先輩の傍にいるだけ?」
「そうなりますね」
その傍にいるだけというのがどれだけオレにとって生きる糧となっているか。
出会ったばかりのこの女には分からないだろう。
「本当に恋人じゃない?」
「はい」
そんなものになれるはずがない。
「それだけ、シオちゃん先輩のことが好きなのに言いたくならないの?」
「死ぬと分かっていて、その相手に『好き』だと告げることはできないでしょう?」
それはただの自己満足であり、無謀、蛮勇な行いでしかない。
どんな形で「自死」を選ぶことになるのか分からないが、栞に対して「好き」だと言いたくなるたびに胸の軋みを覚えるのだから、もしかしたら身体がその機能を止めようとする可能性もある。
それを栞の前で見せることができるはずもない。
自分に対する好意はなくても。目の前で心を許した人間が自分の意思で死を選んでショックを受けないほど無情な女ではないのだ。
「それはシオちゃん先輩がやったの?」
「いいえ。雇用主が。自分の大事な人間を護るために仕方なく……、ですね」
こちらの呪いよりも、「命令」の方が栞の身を護っている。
実際、「発情期」の際は、それによって栞に対して、寸前でなんとか留まることができたのだから。
「その呪いを解く予定は?」
「ないです」
簡単に会えるような人間ではない。
それに、「栞に惚れたから呪いを解いて欲しい」というのはオレの我儘だ。
何より、オレたち兄弟の自制を促した意味もなくなってしまう。
「だから、オレは変わらず傍で護るだけですよ」
そう口にしたオレは笑っているのだと思う。
「理解できない」
だが、女はそう口にした。
「好きな女性に告白もせず、ただ傍にいるだけなんて、ありえない」
「そう言われましても……」
オレだって、他人に理解してもらおうとは思っていない。
これは、オレや兄貴にしか分からない感情なのだから。
「シオちゃん先輩から離れる気はないの?」
「ありません」
それだけは即答できる。
始めから少しでも離れるつもりなら、「絶対命令服従魔法」を受け入れることなどしないし、何より、「護魂の誓い」までやる理由なんかない。
オレはこの命尽きるまで栞の傍にいると決めたのだ。
「アホなの?」
「その自覚はあります」
アホだから、栞を何度も傷つけた。
「貴方の行為もただのエゴよ。自己満。シオちゃん先輩の心を傷付けるだけだわ」
そんなことは言われなくても分かっている。
それでも、あの女の傍にいたいのだから、仕方ない。
「まさか、『発情期』狙い? それなら傍にいれば……」
「ご安心を。オレにその心配は既にありませんから」
そんな手を使うために傍にいると思われるのは心外だった。
「不潔!! シオちゃん先輩のような魅力的な女性が傍にいながら、他の女に手を出すなんて!!」
少し、耳が痛い。
それ以上に、心も痛かった。
「その魅力的な女性の心と身体を、自分の欲で傷つけたくはなかったのです」
オレがそう言うと、女はピクリと動いた。
「それとも、『好き』だと囁くこともできない相手を組み伏せて無理矢理、抱いた方が良かったですか?」
自分で口にしておきながら、酷く胸が苦しい。
実際、オレはそれをするところだった。
「そんなわけないじゃない!! ああ、でも、シオちゃん先輩は綺麗なままなのね」
それはどこか陶酔するような声。
本当にこの女は「高田栞」のことになると判断がいろいろおかしくなるようだ。
「いずれ、誰かのモノになりますよ」
それは遠くない未来。
「既に、婚約者候補が名乗りを上げていますから」
正確には紹介されたところだ。
だが、このままなら決まるだろう。
カルセオラリアの王族が仲介し、互いに拒否を示していないのだ。
「それって、セントポーリアの王子殿下……かしら?」
女の目が鋭く光った。
知ってたか。
つまり、それは、このウォルダンテ大陸にも例の手配書が届いているということになる。
「いいえ。私が知る限り、婚約者候補として挙げられた方は、セントポーリア王子殿下とはお名前が違いました。このウォルダンテ大陸の人間だと聞いています」
「……そう」
手配書やその婚約者候補について、もっと根掘り葉掘り聞かれると思ったが、意外にもこの女はこれ以上、追及してこなかった。
「貴方はそれで良いの? シオちゃん先輩が誰かのモノになってそれで、自分以外の誰かを愛するのよ?」
「その覚悟がなくて、護衛なんてできませんよ」
ただ、その相手が異性の護衛を許容しないヤツなら、オレも兄貴もお役御免になってしまうだけだ。
「私は、嫌だった」
「え……?」
「シオちゃん先輩が別の誰かのモノになるなんて嫌だった」
それはようやく聞こえた本音。
「シオちゃん先輩が別の誰かを見るだけでも嫌だった。シオちゃん先輩は誰のモノでもなく愛されるべきなの!!」
それは少しばかり歪んだ感情。
「シオちゃん先輩はずっと皆に愛されるべきなの!!」
それはかなりの極端な考え方で、同時に栞本人の気持ちを置き去りにしていた。
「だから、貴女は中学時代の栞に強く当たったのですか?」
周囲から「高田栞」が愛されるように仕向けるために?
「違うわ」
だが、それは違ったらしい。
「貴方は護衛だから知らないかもしれないけどね。シオちゃん先輩は、辛い思いをした直後の這い上がる瞬間が一番、綺麗なの」
その言葉にゾッとした。
確かに、それは間違いない。
栞は心が折れそうになっても、立ち上がって、前を見据える時の瞳は力強くとても綺麗だと何度思ったことか。
だが、それがオレの問いかけに対する答えなら……。
「その光り輝く瞬間を間近で見ることができるなら、私は、どんなに嫌われたって構わない」
この女が抱いていたのは、オレが考えていた以上にずっと歪んだ感情だということになるだろう。
「それに、あの綺麗なシオちゃん先輩が、私だけに向ける嫌悪に塗れた顔は本当に綺麗なのよ」
そんな言葉を誇らしげに語る女は明らかに危うい表情をしていたのだった。
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