渾身の一枚
相手から提示された昔の「高田栞」の写真の数々は、確かに男心を悪い意味で擽るものだった。
「随分、私の知る方と違うものですね」
だが、少なくともオレが知っている「高田栞」という人物は日常的にこんな表情をする女ではない。
……していたら、いろいろ問題だ。
誰も気に留めないような些細なことでも驚き、喜び、悲しみ、感動をした上で、感心、感謝し、ちょっとしたことでも楽しそうに笑う。
可愛くて虫も殺さぬような顔をしているのに、ごく自然に正論という名の毒を吐いて、王族すら絶句させられるようなとんでもない女だ。
「まあ、他者に対して表情や態度を変えることなどよくある話ですが、あの主人は貴女の目から見えてこんな方と理解すればよろしいのでしょうか?」
できるだけ不遜な態度で、目の前の女を煽る。
こんなものではないだろう?
抱いた想いがこんな形なら、もっと分かりやすいものになったはずだ。
「ああ、それとも、貴女は我が主人のこのような表情に惹かれたと解釈すればよろしいのですか?」
稀少すぎるけど、それもないわけではないだろう。
その当時は、水尾さんが近くにいて、それ以外には若宮がいたのだ。
水尾さんは無意識に手のかかる後輩の世話を焼いていた可能性は高いし、若宮辺りは分かっていて周囲を揶揄うところがある。
ストレリチア城で初めてあの王女殿下と会った時に、それをオレは目の前でやられて動揺してしまった。
だが、実際に若宮から触れられていた栞自身は、意外にも平然としていたのだ。
だから、アレが若宮の日常的なスキンシップだった可能性は高い。
「そんなことないわ!!」
女は叫んだ。
「私のシオちゃん先輩はもっと可愛らしくて、清らかで、純真で、姿は幼いけれど、年齢以上の言動をするし、確かな強さを持っていて、機転も効くし、判断も反応も鋭くて、ああ見えて動きも早いし、根性もある、とても逞しくもかっこいい人なんだから!!」
そうだな。
それならオレの知っている「高田栞」にも重なる。
「分かったわ。あの頃のシオちゃん先輩の魅力を最大限に引き出した写真の数々を見て恐れ戦きなさい!!」
そう言って新たな写真を取り出していく。
どうやら、オレたちの戦いはここから新たな展開を見せることになるようだ。
オレは身構える。
「これが! 渾身の一枚よ!!」
そう言って、机上に叩きつけられるように出されたその写真は……。
「あ、これなら持っています」
オレが水尾さんから頂いた貴重な一枚と全く同じものだった。
「なっ!?」
「水尾さんから、以前、頂いたものと同じ写真ですね」
アリッサム城にてあの紅い髪と選んだ一枚と同じものだった。
いつも緩やかな表情をしている栞の真剣で力強い瞳を映し出し、写し撮ったもの。
オレが見ても、あの男が見ても、その手にしたいと願う顔。
この表情は、誰が見ても納得の一枚と言うことだろう。
珍しいのではない。
栞の本質を引き出したものなのだ。
「た、確かに珍しく富良野先輩から焼き増しを頼まれたものだったけど……」
歯噛みをしそうなほど悔しがっている。
本当に渾身の一枚だったのだろう。
良かった。
先に水尾さんから貰っておいて。
何も知らずにこの写真を見せつけられたら、今のオレなら言い値で買いかねない。
「それならこれはどう!?」
そう言いながら出された一枚。
「これは……」
顔を蒼褪めさせながらも何かに懸命に耐えている顔だった。
力強い瞳はそのままだが、歯を食いしばって、いや、唇を噛み締めている。
その写真は見たところ、練習試合中だと思われるが、そんな状況だというのに栞には珍しく集中しきっていない。
集中力が切れているわけではないが、それでも、その表情が普通ではないことは分かる。
「主人は何を、我慢しているのですか?」
思わず、素が出そうになるのを耐える。
「そう。貴方はその顔が、シオちゃん先輩が何かを我慢している時だって分かってしまう人なのね」
それだけ、オレは何度か見ている表情であり、同時にあまり見たくない顔でもある。
「そこは変わってないのか……」
そうポツリと漏らしたのは本人も意識していないような言葉だったのかもしれない。
「それはちょっと遠征……、少し離れた町にある中学校での練習試合」
そして、オレの質問には答えてくれるようだ。
聞いた所、車で1時間半の距離の場所らしい。
試合前の準備運動、練習を考えれば、朝日が昇る前に中学校に集まることも珍しくないことぐらいは、中学時代に野球をやっている兄がいたからオレも知っている。
道具があるために、練習試合場所に公共機関の乗り物は使えない。
たかが練習試合に貸し切りバスなんて使えるのは金持ちの私立中学ぐらいだ。
因みに運転する車も親もない兄貴は毎回、様々な場面で保護者役を買ってくれた世話焼き隣人に車の運転をお願いしていた。
なんでも、野球少年が好きだったらしい。
若い男子中学生に囲まれるのは若返るから役得と言ってくれていたが、それがどこまで本心だったのかは分からない。
まあ、その隣人のおかげでオレたちもガキの頃の写真には困らなかったので、ありがたい話ではある。
「そこにシオちゃん先輩の天敵がいたの」
「天敵……?」
「そう。白くてふわふわした可愛らしい小動物。でも、シオちゃん先輩にとっては、視界に入るだけで分かりやすく動揺するような生き物」
白くてふわふわした小動物。
そして、栞が動揺するほどの天敵……?
「犬……ですか?」
水尾さんの話では栞はかなり犬が苦手だったはずだ。
そして、その頃を知る来島もそんなことを言っていた。
オレがそう答えると、女は満足げに頷いた。
「その通りよ。信じられない話だけどね」
女は大袈裟に溜息を吐いた。
なんとなく、その姿に若宮が重なる。
「普通、中学の校庭にいくら可愛くても犬なんて連れてくる? しかも、ソフトボールなんて、打ったり投げたりしたボールがどこに飛んでくるか分からない競技の、壁やフェンスに守られてもない危険地帯に。そんなの愛犬家じゃなくてただのエゴよ、エゴ!!」
犬によって栞が動揺することが信じられないと言っていたわけではないようだ。
「しかも、試合中にキャンキャン吠えるとかどれだけ酷いのかしら? 犬好きも犬嫌いも関係なく、選手の気を散らせるっての!! しかも、あっちの選手たちはそれに慣れているっぽくて全く止めようともしないし!! どれだけあのクソ親父に掴みかかろうと思ったことか!!」
「口が悪いですよ」
気持ちは分かるが、流石にそれは身分の高さに関係なく、いろいろ問題発言だと思う。
「集中力を切らしていた人間たちの中でも、シオちゃん先輩の顔色の悪さに気付いた上で、その犬を鳴かせていたような畜生にも劣る人間でも? 一塁側ってシオちゃん先輩の守備である二塁手に凄く近いから表情がよく見えたんでしょうね」
間違いなく、クソ親父だな。
オレがその頃に栞に張り付いていなくて良かった。
そんな現場にいたら、今よりもっと短絡的なあの当時のオレなら、何をしでかしていたか分からん。
「だけど、憤っていた私たちにシオちゃん先輩はこう言ったの。『犬がいないと不安な人なんだよ。気にせず行こう』って。本当は誰よりも気にしていたのにね」
それも想像できる。
自分の都合と他人の都合が異なることは当時から知っていたのだろう。
だけど、そのクソ親父は殴って良いと思う。
「でも、その言葉でチームの空気が変わって、さらに、流れが変わったのは、その後」
流れが変わった?
「走者がない状況で、向こうのチームが打ったファウルフライが右翼手の前方、境界線ギリギリのところに高く上がったの」
えっと、多分、ボールが高く打ち上がって、でも、境界線ってなんだ!?
たまに聞くファウルと有効打の判定するファウルラインとは違うのか?
「分かりやすくファウルフライだったから、二塁手のシオちゃん先輩と右翼手の選手がそちらに向かったのだけど……」
ファウルは確か……打ち損じ扱いだが、打ちあがった球が地に落ちることなく、選手によって捕球されれば、打者はアウトになるルールだったはずだ。
それぐらいは知っている。
「その先にちょうど例の犬抱えたクソ親父がいて……」
さっき、栞もそのファウルフライを追いかけたと言ってなかったか?
「打球から自分を庇おうと反射的に持っていた犬を盾にしようとしたの」
本当にクソだな!!
まずそんな状況なら後ろに逃げろよ。
「だけどシオちゃん先輩が『おじさん! 犬が大事なら引っ込めて! 』って叫んで、でも、そのクソ親父は動かなくて、シオちゃん先輩は無理な姿勢で捕球して、足、捻って、病院送り。全治一週間」
どこから突っ込めば良い?
とりあえず、そのクソ親父を今からでも呪うか?
強い想いが力になる世界だから、ここからでも効果があるかもしれん。
「日曜日だから、近くの病院が空いてないし、地元よりも病院が少ない場所だったから、シオちゃん先輩はそのまま先に母親と帰ることになったのだけど、その時にも、『怪我したのが試合を観戦していた人と犬じゃなくて良かったね』って言っていたの」
それはどこまでも自分の知る少女と重なって……。
「私が知る『シオちゃん先輩』はそんな強くて阿呆が付くほど優しすぎる先輩よ」
その胸中が複雑なものとなったのは言うまでもないことだった。
境界線と、野球でよく耳にするファウルラインは別の線です。
境界線はフェンスのない校庭や球場に引かれる線で、そこから出たら野手はボールを追わなくてもよくなります。
勿論、遠くに行ってしまったボール拾いに行く必要はありますが。
もっと詳しく書くと、それだけで短篇が書けてしまうだけの文字数となるので、この辺で。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




