マイナスでもプラスでも構わない
「随分、遅いお帰りだな」
窓際で何かを記録していた兄貴が顔を上げる。
「朝、昼、夕、夜と回ったが、巡回隊の数が明らかに増えている」
「ああ、外にいたのか」
「おお。一人で出歩きたくてな」
それでも通信珠で呼び出されれば、戻るつもりではあった。
だが、兄貴も栞も通信珠を使うことがなかったから、緊急事態は起きなかったのだろう。
「兄貴はあの女をどこまで調べた?」
「調べるも何も、ここでは手掛かりが少なすぎるからな。実際に会って会話したお前の方が情報を持っているのではないか?」
「オレは会話してない」
あの時、一言も口を開かなかった。
挨拶すらまともにしていない。
だが、先に会って良かったとは思っている。
真央さんから話を聞いた後では、どうしても怒りが先に起こったはずだ。
「兄貴は、どこまで知っていた?」
「そうだな。生徒会の投書の件は、あの中学に通う知人から聞いたことがあった。まさか、自分の主人の話だと思わなかったがな」
「どんな風に伝わっていた?」
「見るか?」
そう言って、紙を渡される。
この世界とは違う質の紙だ。
そして、今と少しだけ文字の感じも違う気がした。
「当時の……15歳時の記録だ。まさか、5年も経って必要となるとは思ってもいなかったがな」
「そんな話を記録していることも、保管していることに驚きだよ」
しかも栞と関係がある話かどうかも分からなかったのに。
「あの中学での話は、できる限り記録していた。どうしても他人を通すことにはなるが、何がどう関わることになるかは分からなかったからな」
それが、実際、関わっているのだから不思議だ。
そして、周到すぎるだろう。
オレはその記録に目を通す。
真央さんから聞いた話以外のことも書かれていた。
なんでも、小さくて小学生にしか見えない先輩を、それが理由で気に食わない後輩が強く当たっていたらしい。
その長い髪を引っ張ることは日常茶飯事で、足をかけようとしたり、後ろから体当たりしたりされていたそうだ。
だが、物を隠したり、傷付けたりするようなことはなかったらしい。
「立派に苛めじゃねえか」
これで気にしないとかどれだけあの女は大物なんだ?
「それが一概にそうとも言えないらしい」
「あ?」
「真央さんの話では……、その女性は少しばかり……、身体能力に難があったと聞いている」
兄貴が言葉を選んでいると言うことは、実際はもっと違う台詞だったのだろう。
「……というと?」
「足をかけようとして逆に自分が転んだり、目当ての先輩に近付いたらバランスを崩して転びかけたり……」
それは、運動神経が鈍いと言うことか?
そう言えば、栞からも、キャッチボールがあまり上手ではなかったと聞いていた。
「そんな人間がなんでソフトボール部に入ったんだ?」
ソフトボールって結構、激しいスポーツのイメージがある。
あまり運動神経が鈍いと向かないんじゃないか?
「好きだからだというのが、当時の当人の言だ」
そう言われては、誰もやめさせることはできないな。
実際、部活動の入退は当人の自由意思だ。
当人がやりたがっているのに、周囲が無理にやめさせることは問題にもなる。
「入学直後は、帰宅部予定だったらしい。だが、新入生への部活動紹介で、考え方が変わったと当人は言っていたそうだ」
「部活動紹介?」
「勧誘PRのことだな。それぞれの部が与えられた時間内で、デモンストレーションを行っていたと聞いている」
「へえ……」
そう言いながらも、兄貴はいつの間にそこまで詳しく話を聞き出していたのかが気になった。
「そのデモで、ソフトボール部は何をやったんだ?」
「例年は主将の紹介の後ろで、キャッチボールや素振りぐらいだが、その年と次の年は違ったらしい」
オレたちが二年と三年の時だけ違う趣向だったということか。
「特に、その年は例年にないことを試みたそうだ。『捕手要らず』と呼ばれる少女がいたからな」
「捕手要らず?」
捕手って……、キャッチャーだよな?
兄貴がやっていたやつ。
ピッチャーの投げる球を座って受け止める役目……だっけか?
だが、気のせいか、どこかで聞いたことのある異名だった。
「例年通りのキャッチボールや素振りの後、当時の生徒会長とその後輩は、狭い体育館でバントと呼ばれる技術を披露したそうだ」
「バントって……確か、バットを振らずに前に構えたままの姿勢で来たボールを当てるヤツ……だよな?」
野球には詳しくないんだ。
だが、兄貴は少し迷いながらも頷いた。
「狭い体育館のステージにマットを引いた上で、生徒会長がボールを投げ、それを落として止めたそうだ」
「落として、止める?」
「ボールをバットに当てて、全く転がさないという高等技術だ」
「それって、可能なのか? 生徒会長……、水尾さんが魔法を使ったわけでもないだろう?」
ボールがどんなにゆっくりと投げられても、バットというものに当てて跳ね返せば、反発して転がるだろう。
マットという吸収力のある素材が床だったとしても、全く転がさないなんて不可能とは言わないが、かなり難しいことは野球に詳しくないオレにだって分かる。
何よりも狭い場所でと言うことは、互いに距離が近い。
それだけ、ボールの勢いも変わってくる。
「可能らしい。是非、それを目の前で見せてもらいたいものだ」
「人間とは言え、凄いヤツがいたもんだな」
オレが二年生の時っていうと13……、誕生日が来ていれば14歳か。
「呑気なことを言っているが、主人のことだぞ」
「あ?」
「その高等技術をやったのは、俺とお前の主人だと言っている」
「あぁあ? ちょっと待て!? 主人って……、栞のことか!?」
「それ以外に、そんなことができる選手に心当たりはないな」
なんだ?
栞ってそんなに凄いヤツだったのか!?
え?
つまり、「捕手要らず」って栞のことなのか!?
いや、確かそんな話をオレは真央さんから聞いたことがあった。
水尾さんからそう呼ばれていたとかなんとか。
「しかも、彼女は男の俺が放る球を臆することなく、ことごとく当てたのだ。その集中力や胆力は賞賛に値する」
それはあの「ゆめの郷」での魔法勝負。
そして、オレが立ち入ることができなかった……、いや、あれを素直に魔法勝負って言って良いのか?
魔法を使っているだけの別の勝負だったよな?
「それだけのことをやったのだ。恐らく、その女性が歪んだきっかけはそれだな」
「歪んだ?」
「魔法を使わずに魔法以上の技術を見せつけられたのだ。普通の魔界人ならその自信ごと陥落してもおかしくない」
「そこまでのことか?」
話を聞いた限りでは、確かに凄いし、簡単にできることでなはいと思うが、そこまで大袈裟なこととも思えない。
技術を磨けば、栞以外にできる選手だっていることだろう。
「少なくとも、その女性にとっては」
兄貴が不敵に笑った。
「それで、その歪んだ結果が、その技術を持った人間への苛めか? オレにはその思考が理解できん」
その相手が妬ましいなら努力をすれば良い。
確かに簡単にその域には辿り着けないだろうが、努力をした分、もっと相手に近付けるはずだ。
「小学生の頃、栞ちゃんに似たようなことをやろうとした男の子を覚えているか?」
「ああ」
オレが空手道場に入るきっかけになった男だ。
栞を苛めるために、割と彼女の近くにいたオレを巻き込もうとした。
そして、うっかり手加減できずに返り討ちにして、治癒魔法を使うことになった覚えがある。
その結果……、精神修行のために、空手道場に放り込まれたわけだ。
まあ、我流よりも型を覚えることの重要性も分かったからそれは良いのだろうけど。
「理由はそれと同じだ」
「あ?」
「真央さんも言っていただろう? 『好きな子ほど苛めちゃう典型』だと」
ああ、話を聞いた時、オレも少しだけ思ったんだ。
あの時の男みたいなことをしてやがると。
「じゃあ、栞に対する暴言の数々は、好意からくるものだと?」
「相手の気を引くには効果的だからな」
兄貴はそう言うが……。
「マイナスじゃねえか?」
何より、好きな相手って大事にしたくならないか?
「そういう手合いは、マイナスでもプラスでも良いんだよ。単純に『相手に構われたい』だけなのだから。もしくは、『反動形成』の可能性もあるか」
「自分の本心を隠すために、本心とは逆の行動を取ってしまう……ってやつだな」
好きな子を苛める小学生の心理はこれに近い。
単に羞恥心からくるのもあるが、相手に自分の気持ちが伝わるのを恐れているとか、相手のことを好きだと気持ちを認めたくないというのも理由だ。
自覚前のオレのことかよ?
いや、オレは苛めるなんて阿呆な行為は……、ゼロじゃなかった。
苛めてはないけれど、たまに酷いことは言ったりしている。
「兄貴……」
「なんだ?」
「過去ってやり直しできねえかな?」
「……自身に頭を抱えて反省すべき点があるのならば、過去改変を考えるより、素直に次へ活かせ」
そんな尤もな言葉を返されて、さらに落ち込むのだった。
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