視点が変われば
いつものように扉がノックされる。
「はい、どうぞ」
わたしが答えると、九十九が険しい顔をしながら入ってきた。
まあ、そこにいるのが九十九だってちゃんと気配で分かっているから許可するのだけどね。
「どうしたの?」
そこまで苦虫を噛み潰したような九十九の顔を見るのは久しぶりな気がする。
「すっげ~、ムカつく話を真央さんから聞いたんだよ」
「はあ」
どうやら、今度は真央先輩と一緒にいたらしい。
なんとなく、珍しい組み合わせだね。
真央先輩は最近、雄也さんと一緒にいることが増えたから。
「どんな話かはわたしが聞いても良いもの?」
まあ、聞かせたいからこんな時間に部屋に来たのだろうけど。
先ほどまで太陽がゆっくりと沈んでいくのを見ていた。
今は、外の景色もすっかり変わって、店の窓から見える光や露店の照明石、公園にある外灯で町明かりが揺れる世界になっている。
「オレが聞きたいことがあったんだよ」
「ほ?」
なんだろう?
真央先輩と九十九のする会話の想像がつかない。
魔法談義?
「体調は?」
「いつものように一時的な発熱だったから大丈夫だよ」
「それなら良かった」
険しかった九十九の顔がいつものように優しいものに変わる。
だが、またすぐ険しい顔に戻ってしまった。
まあ、こんな顔をしていても、九十九の顔が良いことに変わりはないのだけど。
「座れるか?」
「ああ、うん」
そう言いながら、ガタゴトと昼のように机と椅子を動かす。
「メシは?」
「まだだよ」
どうしようかと迷っている時だった。
まあ、わたしの場合、九十九か雄也さんに世話をしてもらうかの二択しかないけれど。
宿泊施設内の食事は当たり外れが激しいのだ。
そして、九十九は朝も昼も、恐らく夕方も外に食べに出ているのだから、まあ、そういうことなのだろうと思っている。
「じゃあ、準備してやる」
「お願いします」
外に行くわけではないらしい。
ちょっとだけ残念だった。
わたしも少しぐらい、九十九とも出歩きたかったから。
いや、九十九の料理は美味しいからそれでも良いのだけどね。
「ふう……」
やっぱり九十九の料理は美味しい。
なんとなく人間界のミネストローネスープを思い出すような感じのスープが特に美味しかった。
トマトみたいな野菜は入っていないみたいだけど、この世界の料理法則だ。
でも、その酸味はどこから現れたものなのだろうか?
「それぐらいで足りたか?」
「十分、十分」
スープ、サラダ、肉料理にパンのような主食。
飲み物もあるし、最後にゼリーのようなデザートまであった。
これだけあって足りないはずがない。
「お前は少食だよな」
「水尾先輩や真央先輩に比べたら、大半の女性は少食になると思うよ」
本当にあの2人を基準にしてはいけない。
「まあ、露店の店員が引くぐらいだもんな」
九十九が苦笑する。
店員が引くぐらい食べたのか。
でも、露店でそこまで立ち食いするのって難しいと思う。
まさか、2人のうちどちらかが、大食い競争にでも出場したとか?
そんなわけないか。
間違いなく優勝してしまうね。
「それで……?」
わたしは食後のお茶を飲みながら、九十九に尋ねる。
「九十九は真央さんからどんな話を聞けば、そこまで荒ぶった体内魔気になるの?」
わたしの食事を見ていた時に、表情は落ち着いたけれど、彼の体内魔気はまだ落ち着いていなかった。
「中学時代のお前の話」
「ほよ?」
中学時代のわたしの話?
真央先輩は確かに中学時代の先輩ではあるけれど、同じ部活の水尾先輩ほどの付き合いではない。
まあ、それでも、他の部活生で、生徒会役員でもなかった後輩にしては、水尾先輩を通して付き合いはあった。
真央先輩は、ソフトボールの試合を観るのは好きだったみたいだから。
一度、ソフトボールの指導者である先生から、「妹のユニフォームを着てこっそり出てみるか? 」などというなかなかに酷い冗談を言われた時に慌てて首を振っていた姿は、先輩ながら少し可愛かった。
「そうなると、ソフトボールの話?」
「中学時代のお前の話はソフトボールしかねえのか?」
九十九が困ったように笑う。
「いや、漫画も読んだし、体育祭は張り切った方だし、文化祭は毎年、裏方を頑張ったよ」
「学問はどうした?」
基本的に真面目なわたしの護衛は至極真っ当な突っ込みをしてくれるが……。
「九十九はやった人?」
「いや、平均の成績をキープはしてたけど、それぐらいしかしてねえ」
もともと世界が違うこともあって、そこまで人間界で熱心に勉強をしていたかと問われたら、明後日の方向を向くぐらいだったようだ。
「まあ、そんな冗談は置いておいて、タイミング的に、『椎葉菊江』さんの話ってことで良い?」
「……おお」
水尾先輩がこの町で彼女と再会したらしい。
そして、雄也さんからも彼女のことを確認されている。
さらに、水尾先輩と一緒に行動していた九十九が、彼女を見て「形容しがたい女性」だと思ったのだ。
九十九なら、少しでも身近な人に更なる確認をすることだろう。
それが同じ部活の先輩であった水尾先輩からではなく、真央先輩という点が少し気になるけれど。
「それで、どんな話を聞いたの?」
真央先輩視点の話というのがちょっと気になった。
あの頃のわたしたちの状況を人から見た図って、どうだったのだろう?
「ガキみたいな悪戯をされてたって話かな」
「ガキって……」
いろいろ言われた記憶は妙にあるのだけど、悪戯? ちょっと覚えてないかも。
「髪の毛を引っ掴まれたとか」
「ああ、『髪が長すぎて見た目にも邪魔だし鬱陶しいから切った方が良いですよ」って言われたことはあったかな?」
その時、確かに髪を掴まれていた気がするけど、よく覚えてない。
人が握っていると黒い縄みたいだな~とは思っていた気がする。
「キャッチボールでわざと変な所へ投げたりされた覚えは?」
「わざとって言うか、菊江さんはかなり面白い方向に投げちゃう人だったね」
なんか、足と手の形がおかしいし、何度言っても変な癖が抜けないかったのだ。
一つの癖を矯正しようとしたら、別の新たな癖ができて、その新たな癖が直ったら、昔の癖が復活するという……。
「手と足がどうしても一緒に出たりとか、ボールを巧く握ってないのか、すっぽ抜けやすかったみたい」
「練習中に野次を飛ばされたことは?」
「野次? ん~? ああ、トスバッティングとかで空振りしたら、『ナイススイング! 』って言われたヤツかな? それとも、凡フライを打ち上げた時に、『ポテンヒット狙いですか?』って言われたやつかな? でも、それぐらいなら、野次には入らないけどな」
割とそんなことを言って互いに揶揄いあうことは、仲が良ければあることだ。
同じように経験者である母からも言われていた。
ぬ?
九十九の表情がまた険しくなってきましたよ?
「身体的特徴を捉えて露骨に馬鹿にされたことは?」
身体的特徴というと……。
「あの当時、ワカを含めて、わたしに対して、『小さい』、『ちっこい』、『こんまい』、『チビ』、『小人』、『低身長』、『小学生並』、「発育不良」、『発展途上体型』、『ミニマム』、『スモールサイズ』のどれかを口にしなかった人はいなかったと思うよ」
ましてや、それに反して長い髪の毛だった。
だから、「髪に栄養を取られている」とも言われていたかな。
「母子家庭であることを嘲って吹聴された覚えは?」
「母子家庭なのは、本当のことだからね。そんなの小学校時代からのことだし、いちいち気にしてなかった」
そんなことを気にしても父親がいないのだから仕方ない。
それに……。
「自分の耳に入らないことなんか聞こえないのと同じだよ」
わたしの友人はそのことで嘲るような人はいなかった。
面と向かって言われたことしか、当時のわたしは気にしなかったのだ。
でも、今なら少しぐらいは気にするかもね。
わたしのことで、わたし以上に気にしてしまう人たちがいるから。
「正直、陰でこそこそ言う人たちのことを気にしても仕方なくない?」
「お前はもっと周囲を気にしろ」
わたしの言葉に対して、わたし以上にわたしのことを気遣ってしまう心優しい護衛はそんなことを言うのだった。
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