主人の過去に触れる
「うわあっ!! これ、すっごく美味しい」
陶器製のカップに入った野菜スープを一口飲むなり、真央さんは感動したようにそう言った。
「うん、美味い」
置かれている食材と並んでいる調味料から判断して、これは美味いだろうなと思って買ってみたら、やはり美味かった。
調味料の配合が違うのか、オレの作る物とも違う味に仕上がっている。
「おかわりは?」
「ご自由に。但し、陶器製のカップだから、それを飲んでいる間はここから動けないことも忘れないでくださいね」
露店は防犯の関係上、基本的に高い物を扱わない。
あの魔石売りが扱っていた魔石の質がおかしいだけだ。
そして、この世界には紙やプラスチックのように安価な素材で作られたカップという使い捨て感覚で使えるような器はない。
瓶などに入れて飲料を持ち帰りできる店もあるが、容器の分、割高になる。
一番、安価になるのは自分で事前に器を準備するという手だ。
だが、今回は露店の雰囲気を含めて味を楽しむために、店が準備した容器を使用している。
店が準備した入れ物が一番、間違いがないはずだからな。
「人間界で食べたミネストローネみたいな感じだね」
「ああ、似てますね」
人間界の「具だくさんのスープ」はイタリアの家庭料理だ。
旬野菜や地域によって材料も違い、決められた調理法がないというこの世界ではありえないような羨ましい料理である。
「このスープに丸い根菜を蒸かしてから刻んで入れても面白い味になりますよ」
「へえ~」
この濃厚でこってりとした味が、一気にさっぱりするのだ。
「兄ちゃんは料理好きか?」
「はい、趣味の範囲ですが」
真央さんがおかわりをした時に声をかけられた。
「その丸い根菜ってのはどこの食材だ?」
先ほどの会話が聞こえていたらしい。
店先での会話としてはあまりよくなかったか?
「シルヴァーレン大陸、ライファス大陸、グランフィルト大陸で採れる食材ですね。丸くて栄養価が高く腹持ちする根菜です」
人間界でいうジャガイモによく似ている。
だが、この世界の丸い根菜は、ジャガイモと違って……。
「ああ、生温い地域の食材か」
生温いって……。
だが、暑い所、寒い所では育たないのだから、仕方ない。
ジャガイモなら寒さに強かったんだけどな。
「ですが、寒冷芋ならこの大陸でも採れますよね? それを生のままおろして、食べる直前にそのスープに入れたら、別の味が楽しめます」
「馬鹿言え。寒冷芋なんか、生で食えるかよ」
まあ普通はそうだが……。
「このスープの調味料として使われている『灼け付く草』に反応して、まろやかな味わいになるんですよ」
丸い根菜を蒸かして入れたものともまた違う味にはなるし、少し粘り気も出るが、このこってりした味にはよくあうだろう。
「兄ちゃん、よくこのスープに『灼け付く草』が入っていることまで分かったな~」
確かに「灼け付く草」は辛味が強すぎて苦手とする人間が多いためか、その並んでいる調味料の中にないようには見えるが……。
「灼け付く草が入っていないと、この味は出せないと思いました」
「は~。兄ちゃん、本当は料理人じゃねえのか? それだけの舌と料理の知識まで持っているのに、単なる趣味ってのは勿体ねえぞ」
そうは言われても、周囲から「料理人」扱いされても、オレ自身の料理は趣味の範囲でしかない。
これを生業とする気はないのだ。
「ちょっと店員さん? 私の護衛を口説かないでもらえるかな?」
そこに真央さんが割って入った。
「おっと、なるほど。さっきからいる姉ちゃんは雇い主だったのか。それなら、これ以上、余計なことは言えねえな」
「ついでにおかわり」
すっと陶器製のカップを差し出す。
「もう食ったのか!?」
「スープなんて、ジュースみたいなもんでしょう?」
確かに汁物は飲めるけど!!
その言い方は、流石に店員も唖然としていた。
「兄ちゃん、苦労するな」
何故か、そんなことを言われた。
苦労はしているけど、会ったばかりの店員に同情されるほどの苦労ではない。
だが、真央さんはそのまま、その店のスープを7杯ほど飲んで平然としていたため、店員に改めて同じセリフを言われてしまった。
「始めにスープを選んだのはよくなかったか」
そう言いながら、真央さんは手にしたホットドッグのような物に齧り付いている。
まあ、人間界で言う麺麭に似た粉焼きというものに、細い肉を焼いて挟んだものだから、どちらかといえば、焼肉パンが正しいだろう。
真央さんは頑なにホットドッグと言っているし、見た目も似ているから、呼び名などどちらも良いと思うが。
売っていた者は、そこまで名前に執着はなく、「これしかないから」と名前は決めていなかったようだ。
真央さんのお気に召したようで、20個ほど持ち帰っている。
真央さんの手にある2個を除いて。
しかも、既に3個食っているのはここだけの話だ。
それ以外にもいろいろな店が並んでいるというのに、食べ歩きしやすい物を選んだ結果、こんな形になった。
他の店もこの町にいる間にまだまだ見て回るつもりだから、今、全てを食べなくても良いそうだ。
全てを食べるつもりなんですか?
そう言いかけてその言葉を飲み込んだオレは正しいと思う。
「それで、九十九くん。何をお悩みだったの?」
ある程度腹が落ち着いたのか。
真央さんがようやく切り出してくれた。
「良かった。忘れられていたらどうしようかと思っていました」
「そこは正直に言わなくても良いんじゃないかな?」
真央さんはそう言うが、どう見ても食べ歩きを満喫しているようにしか見えなかったのだから仕方ない。
「その栞と水尾さんの後輩の……、『アッコ』ってどんな人間だったんですか?」
オレが水尾さんと一緒に出会った女は、栞に対して少しばかり常軌を逸した執着っぽいのを見せていた。
栞が可愛いのは同感だが、小動物を愛でる意味での可愛いならオレとはちょっと違う方向性だ。
だが、それに対する栞の反応を見ると違っていた。
珍しく他人の……、それも人間界の部活の後輩だというのに妙に冷めているというか、全く興味を持っていないように見えた。
「私が知る限り、『アッコ』は、特定の人間に対する感覚がおかしい感じだったかな」
「特定の人間……?」
「うん。好きな子ほど苛めちゃう典型って言えば伝わる?」
「……はあ」
なんだろう。
その時点で嫌な予感しかしない。
「まだ私とミオが生徒会にいた頃、ちょっとその態度が問題になってさ。生徒会に嘆願書が上がってきたほどなんだよ」
「は?」
中学生で……、嘆願書!?
「ああ、嘆願書って言っても、本格的なものじゃないよ。生徒会用に目安箱を設置していてね。その中に、生徒が生徒会に好き勝手願う手紙を入れるようになっていただけだから」
「そ、それで……、その嘆願書とは?」
「複数名からの投稿者によると、『後輩が部活の指導に応じない』、『特定の先輩を苛める一年生がいる』、『何度言っても先輩に酷いことを言うのをやめない生徒がいる』、『部活動よりも先輩に絡みたいだけで全く自分のための練習しない』……そんな感じかな」
「い、苛め……?」
話の流れからすると、栞があの女から苛められていたってことか?
だが、想像ができない。
「ぐ、具体的には?」
「その先輩は髪の毛がかなり長かったのだけど、掴んで引っ張る」
そう言えば水尾さんから見せてもらった写真でも、栞は髪の毛が長かったな。
「キャッチボールでわざと変な所へ投げたりする」
「それは単純に、制御できないだけでは?」
「練習中に野次を飛ばす」
「野次って……」
まあ、冷やかしというか、悪口ってことだよな?
「身体的特徴を捉えて露骨に馬鹿にする」
「あ~」
それは栞が嫌がることだ。
特に小柄なことを気にしていたからな。
なんか、小学校の頃に栞に絡んでいた男のやっていることと重なる。
あれは栞に対する好意からだった。
では、真央さんが今、口にしているこれは何からくる感情だ?
「母子家庭であることを嘲って吹聴する」
「それは切れて良いんじゃないですか?」
当人にはどうにもならない家庭環境まで口を出すなら、それはもう怒って良いと思う。
……というか、髪の長さはともかく、キャッチボールとか、母子家庭とか、そんな特徴的な単語を口にしている時点で、真央さんももう隠す気がないよな?
「一つ一つはこんな感じで些細ではあるのだけど、ずっと継続的にやられるのは問題だよね? その部活動内も空気が悪くなっていたからこその訴えだったわけだ」
「些細ですかね?」
母子家庭の件は、多分、兄貴がブチ切れるほどの話だ。
「ただ、それを生徒会として問題に上げることは難しかったんだよ」
「個人間の問題だからですか?」
多対一だったなら学校側としても乗り出すしかないだろう。
「一つは、その部活とその対象となった生徒に生徒会長が関わっていたから」
「あ~」
水尾さんのことか。
そして、ソフトボール部に所属していた上、栞のことを可愛がっていたから、普通に便宜を図る事が贔屓という評価になりかねないわけか。
「もう一つは、その当人が『後輩から苛めなんて受けていないですよ』と完全に否定したから……、かな」
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