空腹時には
八つ当たり同然に、壁を殴りつけるという、客観的に見ても、主観的に見ても、ひどく格好悪いところを目撃されてしまって、オレはかなり居心地が悪かった。
できることなら時間を巻き戻してやり直しを要求したい。
……分かってるよ!
油断していたオレも悪いし、動かない物に八つ当たりするオレも悪いし、いろいろとオレが悪いんだってことぐらい!
「手……、大丈夫?」
だが、高田はそんなオレのそんな状態を気にするより、壁を殴りつけてしまった手の方を気にしたようだ。
「これぐらい大丈夫だ。少し、紅くなっただけだから」
高田の視線から逃れるように、オレは手を後ろに隠す。
「そっか……。ま、九十九は治癒魔法もあるもんね。わたしが気にしなくても大丈夫か」
いつものように呑気そうな……、でも何かを気にしているような高田の様子に少し、身体から力が抜ける。
「ああ、お前の先輩……、気がついたよ」
尤も、また眠ってしまったんだが……。
オレの言葉で、高田はハッと顔を上げる。
「そうか……。やっぱり、あの人、水尾先輩だったんだね……」
そう言いながら、彼女は胸を撫で下ろした。
まだ双子のうちどちらだったとは口にしていないのだが……、迷いもなくそう言えてしまうところを見ると、高田にはやはり見分けがついているようだ。
気になるのは彼女にしては珍しく、すぐに動こうとはしないところだった。
てっきり、あの人が気がついたと分かればすぐにオレを突き飛ばしてでも扉へ向かうと思ったのに。
「会わないのか?」
オレはそう口にしていた。
勿論、少しでも部屋に入ろうとすればすぐに止める気ではいたのだ。
千歳さんが行動不能にはさせたが、それでもあの人に対して安全が確認されたわけではない。また目が覚めた瞬間に、炎の塊が襲ってこないとも限らない。
そうなれば、魔気の護りがないこいつは、あっさりと炭化……、いや、蒸発の可能性すら否定できないだろう。
「まだ……、無理でしょ?」
高田は困った顔で笑いながら、そう言った。
「水尾先輩はまだ混乱しているところだと思う。精神が落ち着かない状態では魔法の制御なんてできないって聞いているから、そんなところに今、魔法も使えないわたしなんかが行ったら、簡単にズドンってされちゃうんじゃない?」
片手で銃を撃つような構えをしながら、彼女は片目を瞑った。
「なんだ……。分かってるのか」
思ったより状況を理解してくれているようで助かった。
余計な説明をしなくて済む。
尤も、多少魔法に自信があったところで、先ほどのあの人の様子では関係なさそうだったが。
「さっき尋常じゃない悲鳴が聞こえた。それも聞き覚えのある水尾先輩の声で、聞いたこともない叫びで。いくらわたしだってそれが普通じゃないことぐらい分かるよ」
そう言いながら困ったような顔で肩を竦める。
千歳さんは高田から騒がしいと聞いて来たとか言っていた。
なるほど、確かにあの叫び声が聞こえていたのなら、非常事態ってことは判断できるとは思う。
「思ったより……鈍くなかったんだな、お前」
「失礼な」
オレとしては褒めたつもりだったのだが、高田は頬を膨らませながら、ぷいっと横を向いた。
そしてそのまま、彼女は自分の胸の前で指を組む。
その姿が、まるで何かへの祈りを捧げているかのように見えて……、何故か、背筋がぞくりとした。
「大丈夫……かな……」
彼女のその呟きは一体、誰に向けられたものだったのだろうか?
「何を心配しているのかは知らんが……、部屋には千歳さんが残った。何が起きても大丈夫だとは思うけどな」
そう言ってはみたものの、オレはいろいろと複雑だった。
自分の立場とか、腕の未熟さ……、何よりも咄嗟の判断とかそういったものがまだ全然足りていないのが分かってしまったからだ。
知識だけ、実技だけではなく、それに伴って経験も積み重ねていかねばいけないのはよく理解できた。
「そっか……。母さんなら、大丈夫だね」
そう言って彼女は笑った。
そこには、母親に対する絶対的な信頼というものが見えた気がして、なんとなく、ますます妙な気持ちになる。
オレや兄貴に対する信用とかとは何かが違うのだ。
だが、そんな彼女の心は既に別の方向へと動いていた。
「九十九は、水尾先輩と何か話できた?」
「あ~、本人確認ぐらいまではなんとか……。でも、オレと会話するより飯、優先された」
さらに詳しく言えば、起きるなり存在を無視されて食事された上、認識されると同時におかわりの要求をされたわけなのだが。
「あははっ、水尾先輩らしいや」
そう言って高田は何故か嬉しそうに笑った。
「ああ、そう言えば……、千歳さんから10分後ぐらいにおかわりを持ってきて欲しいって言われてたっけ……」
そう思い出して、オレは台所へと足を向ける。
高田もなんとなく、会話のついでについてくる形になった。
「おかわり……、既に一杯目の食事をお召し上がりってことだったね」
「一杯目……っつっても、消化器官のことを考え、口にしやすいように流動食を傍に置いていたからな。栄養としては問題ないが、消化しやすいから腹の溜りにはよくない」
「ありゃま、そうなの?」
高田は少し考えて……。
「それは結構困ったことになるかも。お腹すくと水尾先輩、動きが鈍くなっちゃうんだよね~」
「多少鈍くなっていた方が世のためなんじゃねえのか?」
あんな調子で何度も暴れられては、結界もオレの神経ももたないだろう。
「ん~? でも、いろいろ鈍くなる分、自制ができなくなるとかでちょっとだけ怒りっぽくなった覚えが……」
「それを早く言え!」
高田の言葉が言い終わるよりも先に、オレの足は速度を上げた。
「な、何?」
高田も急ぎ足でオレについてきたのが見える。
だが、今のオレは彼女を待つほどの心の余裕はない。
オレの頭の中は今、この家にある食材からできるもので栄養価が高く、腹にも溜まりやすい料理を弾き出す。
おかわりなんだから、先ほどのものと同じヤツを出せば良いが、あれだけでは絶対に足りなくなることは分かりきっている。
二杯目を食わせている間に次のものを……、いや、先ほど見たあの勢いでは二杯目も早々になくなってしまうことだろう。
「いっそ、鍋ごと持っていくか?」
「おお、豪快」
オレが口にした案は結構、とんでもない話なのだが、彼女は気にしないようだ。
「で、お前がおかわりを注げ。オレはその間に次の品を作る」
「あれ? そんなに小さい鍋だっけ?」
「あの料理……。流動食で食べやすい上、腹が減るんだよ」
選んだ食事を間違えた気がした。
「な、なんで?」
「どんな事情があるかは分からなかったからな。倒れていた人間がすぐ食事なんて普通は喉を通らん。だが、食事ができれば元気も出るようになる。だから、食欲を増進させる成分入っているものを選んだんだが……」
まさか、ぶっ倒れて意識を飛ばした状態から復活した後、すぐにガツガツ食べることができる人間がいるとは思わなかったのだ。
あの人の胃の働き、どうなってんだ?
「食欲を増進……? じゃあ……、食べれば食べるほどお腹、すいちゃうの?」
「そういうことだな」
勿論、実際には胃に溜まっているのだから限度はあるはずだが。
「うわぁ……」
高田は何かを想像したらしく、げんなりとした顔をする。
何か思うところがあったのだろう。
そして、彼女のその表情で、あまり良くない状況になりそうなのはよく分かった。
単に腹が減って動けなくなったり、鈍くなってしまうのは良い。
寧ろ、好都合でもある。
だが、不機嫌になってしまうのなら話はまったく別次元の話だ。
あの状態に怒りなどの興奮状態で攻撃力が上がってしまえば、手の施しようがない。
「まったく、厄介なことになったな」
オレは大きな息を吐かずにはいられなかった。
それでも……、いつものほほんとしたこの女の表情が曇らないなら、オレにとっては何の問題にもならないんだが。
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