嫌いにはなれない
「栞ちゃん、キミは『椎葉菊江』さんという女性を覚えているかい?」
「へ?」
雄也さんが通信珠で連絡を受け、一時的に離れた後、わたしにそんなことを尋ねてきた。
その名前の並びから、間違いなく日本人だし、わたしが知っているその名前の人間は中学時代の後輩である。
「部活の後輩に同じ名前の人がいましたけど……」
苗字はともかく、名前の読み方が珍しかった。
いや、言葉の響きはそこまででもないのだけど、「菊江」と書いて、「あきこ」と読むのだ。
俗に言うキラキラネームとは違うのだけど、ちょっと変わった読み方で、当人の性格や言動も手伝って、妙に印象に残った後輩であった。
「その後輩さんが、この町にいるとのことだ」
「ふへ?」
な、何故に!?
「先ほど、水尾さんと会って会話したらしいよ」
トルクスタン王子があの島に残って、少しの期間、訪れる予定のウォルダンテ大陸の人たちの対応をすることになった。
その間、わたしたちだけでローダンセに行っても意味がないので、この町に滞在すると決めたのは、雄也さんだったはずだ。
だから、本当に偶然だと思う。
「う~ん」
でも、ちょっと考えてしまう。
「どうしたの?」
「わたし、その後輩にちょっと嫌われていたみたいなんですよね」
だから、正直、少し苦手だったのだ。
「嫌われていた?」
雄也さんが意外そうな声を出す。
「なんというか……、揶揄われているのは分かるのですが、その言い方がちょっと……」
具体的には小馬鹿にするというか。
ワカとかも結構、わたしを揶揄うような言葉を口にしてはいたのだけど、それはきつい物言いではなかった。
でも、あの後輩はもうちょっと鋭い棘が刺さるような言い方だったのだ。
「どんな言い方をされていたの?」
そう問われたので……。
「えっと……、二塁手の割に反応が鈍くて、鈍臭いとか」
「は!? 栞ちゃんが!?」
何故か雄也さんに驚かれた。
まあ、確かに自分のボールに対する反応は良くなかったことは認める。
だから、飛びつかなければ間に合わなかったりしたわけだし。
「二番打者だからって、自分があっさり死ぬような手を抜いたバントをしてるとか」
これはあまりにも犠牲バントが多すぎたためだろうけど。
「二番打者なんだから、監督の指示に従って犠牲バントをするのは当然だろう?」
ソフトボールではなく、野球を知っているからこそ雄也さんは眉を顰めながらそう言ってくれた。
「その他にも、ちっこいとか忘れっぽいとか……。ことあるごとにマイナスなことしか言わないような後輩でした」
彼女から、「『高田先輩』って言うほど、先輩のことを尊敬できないので、『シオちゃん先輩』って呼んでも良いですか? 」と言われた時は、当事者であるわたしよりも、その近くにいた他の後輩を含めた部員たちが激怒したのだ。
わたしは呼び名なんてどうでも良かった。
先輩風を吹かせたくはないので、好きに呼べと答えたのだ。
でも、あの余計な一言で、彼女は孤立して、まあ、少しだけ仲間外れみたいな扱いを受けて、その結果、マネージャーとして部に残った。
そこはちょっと申し訳なかった気がする。
わたしがもっとちゃんと対応できていれば、彼女は孤立しなかったかもしれないのに。
それでも、わたしが卒業するまでソフトボール部にいたのだから、ソフトボールという競技が嫌いなわけではないのだと思っている。
単にわたしのことが嫌いだっただけなのだろう。
「は~」
雄也さんが口元に手を当てて息を漏らした。
「じゃあ、栞ちゃんはその後輩には会いたくない?」
「向こうの方がわたしに会いたがらないと思いますよ」
水尾先輩には懐いていたと思う。
先輩が部活を引退するまでの数カ月という僅かな期間の付き合いだったけれど、素直に笑顔を向けていたのだ。
だけど、わたしは鋭い目で何度も睨まれていた。
それは、敵意とも違う気がしたけれど、その瞳にかなり強い感情が込められていることぐらいは分かる。
「それなら、お互いのためにも会わない方が良さそうだね」
「そうですね。互いにストレスが貯まるだけでしょうから」
わたしは溜息を吐いた。
この世界に来てから悪意に晒されたこともあるし、敵意を向けられたことも、害意を向けられたどころか殺意を向けられたことすらある。
それを思えば、彼女のアレはそのどれとも違う気がすると今なら思う。
だけど、その感情が何から湧き起こっているのかはよく分からない。
でも、わたしは「聖人」ではないので、意味なくマイナスな言葉を向けられてもさらりと流せない。
いや、知らない間にわたしが彼女に何かしてしまった可能性もあるのだけど、それならそうとはっきり言ってくれれば良いのだ。
「栞ちゃんがそんな風に言うなんて珍しいね」
「そうですか?」
「うん。嫌悪感を露わにする栞ちゃんは珍しいと思うよ」
「これは嫌悪感……なのでしょうか?」
自分ではよく分からない。
確かに苦手意識はあると思うけど、嫌悪を抱くほど、わたしは彼女のことをよく知らないのだ。
好きか嫌いかではなく、正直、どうでも良いというか、関わってくれるなというか。
「でも、ソフトボールが好きで下手なりに頑張っていたことを否定されるのは確かに嫌でしたね」
下手だから努力をしていたのだ。
それなのに、「その小柄な身体でどんなに頑張っても上手くはなれませんよ」と、言われた時は……、確かに頭に血が上った気がする。
これまでの自分の努力を否定された気がして……。
「なかなか見る眼のない女性もいたもんだね」
「いや、見る眼はあったんだと思います」
確かにわたしの体格では限度はあった。
どんなに努力しても、人より少しだけ体力でカバーできる程度までしか上がれなかったのだ。
あの年代の女子としては平均以上の筋力と体力。
でも、それだけ。
専門的にスポーツをやるには全然届いていない筋力と体力、そして、技術。
「それでも、努力を否定する言葉を吐く人間は感心しないかな」
わたしの思考を断つように雄也さんはそう口にした。
「それが本心でなくても、相手を傷つけるから」
いつもは落ち着いているはずの雄也さんの声に妙な熱を覚えた。
そうか。
この人も努力の人なのだ。
普段の言動からは一見、そうは思えないけれど、陰に隠れて相当な努力をしている。
だから、努力を否定するような物言いに対して思うところはわたし以上にあるだろう。
「大丈夫ですよ。それも今は昔の話ですから」
わたしはそう言って笑って見せる。
大丈夫。
今のわたしは昔のわたしとは違うのだから。
「ああ、でも、その後輩のおかげで、部活のアルバムが充実したものになったんですよ」
「へえ」
あれ?
でも、あの写真って、確かあの後輩の保護者によるものだったと記憶している。
練習試合とか、大会とかの写真をいっぱい撮ってもらって……。
でも、彼女がこの町にいる……、つまり、本当は魔界人なら……、あれって実は、本物の保護者ではなかったってことになるのかな?
「魔界人は写真好きが多いみたいだからね」
「そうなんですか?」
「水尾さんや真央さんも、人間界で撮った写真をいっぱい持ち帰っていたみたいだよ」
この世界にカメラはない。
いや、正しくは電気を使ったカメラがないのだ。
だから、見たままを写し取ることができる写真は人気が出るのも分かる気がする。
写実的な絵って描くのも時間がかかるからね。
その点、写真は一瞬を、その瞬間を切り取れる。
まあ、勿論、現像に、少しばかり時間はかかるのだけど。
「でも、そうか。本来、見ることのできなかったあの時代の、あの時間の栞ちゃんを見せてくれた相手なら、好きになれるとまではいかなくても、嫌いにはなれない気がするな」
雄也さんは笑いながら、そんな不思議な言葉を口にするのだった。
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