それに気付かぬは本人ばかり
「リヒト、これが約束のものね」
そう言いながら、栞は目の前のリヒトに紙を差し出した。
『これは……』
それを見て、リヒトは目を丸くする。
そこに描かれているのは、黒い髪、黒い髪の女の姿絵。
チラリとしか見えなかったが、恐らくは栞の絵だと思う。
「約束のもの」ということは、事前にリクエストをしていたのだろう。
「ちょっと急いで仕上げたから、あちこち歪んだりしているかもしれないけど」
『ありがとう。大事にする』
そう言って、微笑んだ。
「あと、これは、『御守り』」
『御守り?』
「法力使いになるリヒトならもっと強力なモノを作れるようにはなると思うけどね」
そう言って、差し出されたのは、色とりどりの石が付いた腕飾りだった。
『これは……』
リヒトがその腕飾りの鎖を持ち上げると、金色の鎖が日の光によってキラキラとその眩しさを増していた。
『この珠からシオリの声がする』
そう言って、大事そうにぎゅっと握るが……。
「いや、それ以外の珠からも声はするはずだ」
その遣り取りを見ていたトルクスタン王子がそう突っ込んだ。
『俺の耳にはシオリの声が一番よく聞こえるのだ』
どこか皮肉気に笑うリヒト。
そう言われて、栞とトルクスタン王子はどこか複雑そうな顔をした。
その腕飾りには、それぞれ、栞、オレ、兄貴、水尾さん、真央さん、そしてトルクスタン王子が作り出した魔力珠が付いていた。
オレたち兄弟を除けば、各国の王族によるものだ。
ある意味、栞の「御守り」並みの価値があるだろう。
特にアリッサムの王女殿下たちが作った魔力珠は本当に混じり気無しの見事なものであった。
それを大神官が用意してくれた金の鎖で繋いでくれたのだ。
「あ~、うん。心の籠め方の違いかな」
栞が照れたように笑う。
「高田が一番、失敗したからな」
「苦手なんですよ、魔力の微調整」
水尾さんの揶揄いにも動じることなく、栞は素直に答えた。
「失敗の次点はトルクだよね」
「し、仕方ないだろう!? 錬石に魔力を込めることはあっても、魔力珠なんて初めて作ったんだ」
トルクスタン王子は真央さんの揶揄いに対して、動揺してしまった。
それでも、投げることなく最後まで付き合ったのだから感心する。
発案者は栞だった。
いや、正しくは、水尾さんに教えを乞い、その上で、それを見ていた真央さんと兄貴、オレが便乗し、トルクスタン王子が巻き込まれたようなものだったのだが。
『ありがとう。大事にする』
周囲の気持ちが直接伝わったのか、リヒトは柔らかく微笑んだ。
リヒトは今から、この島の聖堂に設置された「聖運門」を通り、大聖堂へと行った後、神導を受ける予定だ。
勿論、この聖堂から直接、大聖堂へと向かうわけではなく、ストレリチア城下にある別の聖堂を経由するのだが。
それを見届けた後、オレたちもこの聖堂の「聖運門」を使って、スカルウォーク大陸の港町マルバにある聖堂に行く。
ウォルダンテ大陸の聖堂に直接向かった方が早いのだが、それはしない。
港町を経由し、交通機関を利用する方が、万一、何者かに追跡されても言い逃れがしやすいからだ。
現時点で、オレたちはこの島には関わっても、ウォルダンテ大陸に直接、関わってはいないのだ。
それにあの港町から一度出港し、海難にあったことは、周囲で同じように海獣たちの八つ当たりに巻き込まれた船たちも知っていることだ。
他の漁師たちと同じように、船に備え付けられている緊急避難用の道具で、脱出したと思われているはずだ。
まさか、緊急避難用の道具を使わず、自力で近くの島に……、それも禁域とされている場所に移動魔法で移動したとは思っていなかっただろう。
頭が混乱するような緊急時に移動魔法を使うと考えることのできる一般人は少ない。
咄嗟に移動魔法を使えるのは、常日頃から訓練された兵や騎士団、あるいは日常的に命を狙われるような豪商や高貴な人間たちぐらいらしい。
真央さんが笑いながらそう教えてくれた。
「どこにいても、リヒトを護ってくれるように」
そう言って、栞は目を閉じ、自分の胸の前で祈りを捧げるような姿勢をとった。
その時……。
「「「「「あ」」」」
その場にいた人間たちの声が重なる。
栞の身体から橙色の光が出て、リヒトの手にしていた腕飾りに吸い込まれるように消えた。
「ぬ?」
それに気付かぬは目を閉じていた本人ばかり。
『シオリの願いでさらに強化されたようだな』
リヒトは自分の腕に嵌めながら、苦笑する。
「ほげ?」
いろいろ台無しになるような言葉をさらに続ける栞。
「し、シオリ……、今のは?」
事情が分からないトルクスタン王子。
「強化魔法っぽかったよ」
真央さんがリヒトの腕を見ながら、そう答えた。
この中で、真央さんとトルクスタン王子だけが、栞が「聖女の卵」だと知らない。
もしかしたら真央さんは気付いているかもしれないけれど、トルクスタン王子に伝わるといろいろ面倒だというのが兄貴の言葉である。
だが、これまでに何度か似たようなことをやらかしている栞だ。
バレるのは時間の問題だと思うのはオレだけだろうか?
「今のが強化魔法だと? だが、無詠唱で……」
「高田は結構、魔法国家でもよく分からん古代魔法を使うからな」
今度は水尾さんがそう答えた。
「えっと……? わたし、また、やっちゃった?」
栞がこっそりとオレに確認する。
「オレが例の場所に行く時みたいなやつだと思うが、何を願った?」
「言葉のままだけど……。『リヒトを守ってくれますように』って」
「じゃあ、強化魔法だな」
オレの時のように具体的な効果を願ったわけではなかったらしい。
だが、目に見えるほどの祈りだった。
「それだけ、この島の大気魔気と、栞ちゃんの体内魔気の相性が良いんだろうね」
少し離れた所にいた兄貴がそう口にした。
本来は、精霊族にとって居心地の良い場所。
だが、法力や「神力」を持つ者にとっても、その力が強化されるらしい。
そして、王族たちにとっても。
それだけ、この場所は神の影響が強い場所だと、大神官が言っていたそうだ。
そのために、王族の血を引き、「神力」を持つ栞にとっては、必要以上に強化されていると言えるだろう。
「スヴィエートさんは、見送りに来ないの?」
栞は周囲を見回す。
確かに一番煩いはずのあの綾歌族の女の姿がこの場にないのは意外だった。
『スヴィエートとの別れは既に済ませた』
「へ?」
『いつか、必ず戻ってくると約束して』
「ふわっ!?」
栞の顔が一気に赤らむ。
……真顔で言う台詞じゃねえよな。
『だから、それまで子を守ってくれと』
「「「「は!? 」」」」
その場にいた兄貴とオレ以外の声が重なった。
『意外か? だが、スヴィエートの胎から微かに音が聞こえた。まだ意思はないようだが、あれは間違いないと思ったんだが』
リヒトは周囲の反応を気にせずに続ける。
「いやいや、そこじゃなくて……」
「リヒト、いつの間にヤったんだ!?」
水尾さんの言葉に被さるように、トルクスタン王子が直接的な言葉を吐いた。
その瞬間に、真央さんの見事な肘打ちが、鳩尾に入ったようで、トルクスタン王子が蹲った。
『数日前だな。「番い」と子を成すことはおかしなことではないと思うが……』
「そっか……。リヒトはお父さんになるのか」
栞もどこか複雑そうにそう言った。
「でも、そんな大事な時期にスヴィエートさんについてなくて良いの?」
『綾歌族はもともと一人で出産し、子供を育てるらしい。寧ろ、父親は邪魔だと言われた』
「おおう」
栞の問いかけにリヒトは苦笑いをする。
『だから、三年経ったら、また来いと言われた。それまで会うのはお預けだそうだ』
因みにその別れを告げ合う現場に、何故かオレと兄貴が立ち会わされた。
リヒトは淡々と話しているが、実際はあの女からかなり大泣きされたのだ。
―――― せっかく、「番い」に逢えたのに!!
まさか、本当に一回で妊娠するとはあの女も思っていなかったらしい。
もっといろいろしたかったし、して欲しかったと叫ばれた時は、オレはどんな顔をしていれば良かったのだろうか?
尤も、精霊族の「番い」は妊娠しやすい日を選ぶとオレは聞いていたので、そういった意味では驚きはないのだが。
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