信頼なのか、なんなのか
夜も更けた頃だった。
―――― 九十九、起きてる?
そんな呼びかけが頭に響く。
久しぶりに通信珠で呼びかけられたらしい。
だが、栞の持つ通信珠は相互通信ではなく、一方的にオレの頭に呼びかけるものだ。
その声に緊急性は感じられないから、移動魔法で彼女のところに移動するのは躊躇われる。
どう答えたものかと迷っていると……。
―――― 外に出たいけど、付き合ってもらえるかな?
どうやら、護衛の任務らしい。
返答のしようがないけれど、栞の場所は掴めた。
どうやら寝起きしている隣室のようだ。
外に出たいと言ったが、既に出ていたわけでもないらしい。
素早く着替えて、隣の部屋の扉を叩いた。
「ごめんね、呼び出して」
栞がすぐに顔を出した。
風呂には入ったようで、少しだけ髪が濡れている。
この女はどうして、髪を乾かすことが苦手なのだろうか?
タオルも乾燥石もちゃんと常備しているのに、それらを使っても、どうしても髪の毛が少しだけ濡れたままになるのだ。
「じゃあ、行こ……」
「髪を乾かす方が先だ」
外に出ようとする栞の言葉を遮って、そう伝えた。
「そのまま外に出たら、風邪ひくぞ」
いくら魔界人の身体が頑丈でも、病気にはなるのだ。
湿った髪をそのままにして、夜風に当たれば、体調を崩すだろう。
「渇いてない?」
「お前、また毛先だけしか乾かしてないだろ? いつも言ってるけど、根元から乾かさないと、駄目なんだよ」
「うぬぅ」
栞はオレと再会する前は髪がかなり長かったことは知っている。
水尾さんのアルバムに載っていた写真でも見たし、話にも聞いているのだ。
そこまで長い髪を持っていたのに、何故、こんなに髪を乾かすことが苦手なのか理解ができない。
「ここで乾かすぞ」
そう言いながら、乾燥石とタオルを取り出す。
「ここで!?」
「この時間にお前の部屋の中に入るわけにはいかんだろう?」
いくら護衛でも、夜中に髪の毛を乾かすためだけに、異性の主人の部屋に入るというのは外聞が悪い。
何度も共寝すらしているのだから、今更だとも思うが、今は、トルクスタン王子も、水尾さんや真央さんもこの同じ建物にいるのだ。
余計な餌……、もとい、疑惑を振りまくわけにはいかない。
栞の黒髪を乾燥石で撫でながら、そんなことを考えていた。
「その乾燥石の調整が難しいんだよね……」
栞がポツリと口にする。
「ドライヤーみたいに、出力調整ができれば良いのに」
「お前は本当に魔石の遣い方が下手だよな」
使用用途が決まっている魔石には魔力を必要としない物の方が多い。
ただ願うだけである程度、使用できるはずだ。
だが、栞にはそれが難しいらしい。
何故か極端なまでに、その効果が強力になったり、微力になったりしてしまうそうだ。
無意識に魔力を通してしまうのかもしれない。
まあ、そのおかげで、こうしてオレは栞の黒髪に触れることができるのだから、別に問題はないのだけど。
「それで、外に出たいってどういうことだ?」
この島の危険はほぼなくなった。
だが、それでも完全に無くなったと断言はできない。
しかも、夜中だ。
個人的には勧めたくはなかった。
「明日には、この島を出るのでしょう? だから、ちょっとだけそこの浜から海を見ておきたくて」
この島に来てからずっと海を見ていた女はそんなことを言う。
「見納め? ってやつかな」
「分かった」
自分の感情から来る感傷について、深く突っ込んでも答えが返ってくるはずもない。
それに当人がやりたいと思うなら、オレは付き合うだけだ。
夜の浜に二人でいられるのはかなりの役得だと思うからな。
特に何か起こることを期待しているわけではない。
寧ろ、何も起こらない方が良いのだ。
平穏が一番。
それが一時の話であっても。
そうして、オレは栞と外に出た。
ドアを開けた途端、陸風が髪を揺らす。
栞の黒い髪もその陸から海に向かって吹く風に煽られて複雑な動きをしていた。
それを見て、ちゃんと髪を乾かしてから出たのは正解だったと心の中でガッツポーズをする。
「思ったよりも風があるね」
栞が自分の髪を押さえながらそう言った。
「髪を纏めるか?」
栞の髪はオレよりも長いので大変だろう。
その髪が乱れる様は不思議な魅力を感じるが、髪を纏めた時の項の白さと細さから感じる色気ほどではない。
「ん~、これぐらいなら大丈夫だよ。今は昼ほど風も強くないみたいだからね」
一般的に潮風と呼ばれる海陸風は、昼と夜の日差しによる寒暖の差で、風向きが変わるのだ。
そして、人間界だけでなく、この世界も昼間の海風に比べて、陸風の方が弱くなる点に差はない。
「昼間も外に出ていたのか?」
「基本的には、温室にいたけど、気分転換のためにたまに出てたよ」
その時には兄貴かリヒトが付き添っていたのだろう。
状況的に仕方がないとはいえ、そのことが妙に腹立たしく思える。
「ちょっと座ろうか」
栞がそのまま、砂浜に腰掛ける。
毎回思うが、尻が汚れるのを気にならないらしい。
まあ、この砂なら、軽く払うだけで大丈夫だから今更、敷物を出すのも変だな。
オレも同じように腰掛ける。
そのまま、暗い海に目を向けた。
この浜からではオレたちが出港した港町の明かりも、もっと近い場所にあるはずのウォルダンテ大陸の港町の明かりも見えない。
人間界のように沿岸灯台や防波堤灯台と呼ばれる目印も、この世界にはないため、もともと沿岸も港町も分かりにくくはあるのだが。
そして、昼も夜も関係なくあれだけ海獣たちによって賑やかだった海面も、「紅月宮」から「蒼月宮」に入ったために落ち着いている。
ただ静かで真っ暗だった。
すぐ横に栞がいるのに、オレの気分は妙に落ち着いている。
それが少しだけ不思議だった。
「何も聞かないんだね」
「聞いて欲しければ、お前はちゃんと口にするだろ?」
それでも、何も言わないならば、栞にとって、今はその時ではないということだろう。
もしくは、切り出しにくい話か。
栞の表情からは分かりにくいけれど、その体内魔気は顔ほど落ち着いていないため、後者だとは思う。
どちらにしても、オレがいない間の話は兄貴からの報告である程度知らされている。
その報告の中のいずれかだろうと当たりは付けていた。
「うぬぅ……。それは信頼なのか、なんなのか」
栞は複雑な顔をした。
そんなもの、オレにだって分からない。
ただ、オレの主人の体内魔気は、少しばかり隠し事が苦手で、必要以上に物語ってくれていることは確かだ。
今、感じられるのは、「困惑」と「不安」、「悲観」だが、その中に「決意」も見え隠れしている。
「信頼だよ。お前は必要なことは、オレに話してくれるから」
だから、背中を押すことにした。
栞は基本的に自己解決型に見えるが、自分が迷った時や、判断できない時は、必ずオレや兄貴、周囲に相談した上で、自分の中で、しっかりとした結論を出す。
その結論がどこか明後日の方向だったりするために、最終的には思い込みで突っ走っているように見えるだけで、周囲の話を聞けないほど頭の固い女ではないのだ。
少なくとも、オレはそう信じている。
オレの言葉に対して、上を向いたり下を向いたり、指を落ち着きなく動かしたり、そんな不思議な顔や身体の動きを見せた後。
「まあ、九十九にも関係あるような、ないような、そんな話なんだけど……」
ようやく、話す気になったらしい。
「オレに?」
関係があるようで、関係のない話。
兄貴から手渡された情報の中から、いろいろと考えてみる。
「勿論、直接は関係ないんだよ。それならもっと早く言ってる。最終的にはわたしが決めるべきことなんだから。でも、その結論次第では、護衛である九十九や雄也さんには確実に影響することだと思う」
オレが考えている横から、意外なほど早口で言われたが、なんとなく、それに思い当ることがあった。
兄貴すら複雑な心境となった情報。
本来なら、三度目の出立前に聞かされてもおかしくなかった話。
「少し前にトルクから結婚相手の斡旋をされた」
そして、それはオレと栞の分岐点となるのだった。
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