最終的には本人の意思
「うわあ」
「へえ」
わたしと九十九が、同時にそれぞれ感嘆の声を漏らす。
目の前には褐色肌の青年が、その長い髪を上げ、黒い衣服に身を包んでいた。
「似合っているよ、リヒト」
「褐色肌に、黒い髪に黒い見習神官の装いだからどうかと思ったが、意外と不自然じゃないな」
寧ろ、自然だ。
近年の神官は競うように派手目の神官服になっていたらしいが、この服は見事なまでに黒一色。
目立たないからこそ目立つかもしれない。
黒地に黒の刺繍という黒尽くしの刺繍は様々な草花が描かれていることが、刺繍とかに詳しくないわたしでもよく分かった。
そして、その黒一色の見習神官の服は、端正な顔のリヒトのためだけにデザインされたかのようによく似合っている。
『シオリ……。それは言い過ぎだ』
リヒトが何故か、俯いてしまった。
言い過ぎ?
でも、本当に似合っているんだよ?
「それにしても、よくこんな神官服が都合よくあったな」
神官服は本来、神導をして見習神官となるまで、渡されない物だ。
『大神官猊下から譲り受けた物を、ユーヤが手直しした物らしい』
そのため、迂闊に外に出すことはできない。
聖堂の外部に自分好みの刺繍や装飾を発注することはよくあるらしいが、必ず職位は確認される。
最低限の基準があるためだ。
そして、雄也さんは神官職にはないため、その外部発注という手は使えない。
つまり……。
「雄也さんは、針仕事まで完璧職人なの?」
この世界には当然ながらミシンというものは存在しない。
そうなると、刺繍で言う様々なステッチは自作となる。
「いや、いくら兄貴でもこれは一晩、二晩でなんとかなるような図案じゃねえだろう」
九十九が改めてリヒトの服を見る。
確かにこの島に来てから、雄也さんが針を持った姿を見ていなかった。
九十九がアリッサム城へ派遣されていたため、わたしは雄也さんと一緒に過ごす時間は長かったのに。
だが、この世界には身体強化という恐ろしい手法もある。
行動力を二倍、いや十倍にしてしまえば可能なのではないだろうか?
『ユーヤがしたのはサイズ調整ぐらいだ』
「……だよな」
九十九がほっとしたように顔を上げた。
『だが、大神官猊下より譲り受けたのは、俺と出会う前だったと聞いている』
「へ?」
「あ?」
リヒトの思わぬ言葉に、わたしと九十九は同時に声を上げる。
「見習神官連続襲撃事件の時か」
「ああ、あのストレリチア城下を歩いていた時、見習神官たちが、九十九にバッタバッタとやられた事件だね」
あれはもう二年も前の話。
いや、もうすぐ三年か。
「オレが神官たちを襲撃したのではなく、お前が襲撃されたと記憶しているが?」
「あれ? そうだったっけ?」
なんとなく、ストレリチアでは大聖堂内で九十九が神官相手に立ち回る姿の印象が強いのだ。
神官たちの昇格試験に巻き込まれただけでなく、それ以降の「聖女の卵」になってからも、わたしの近くで神官たちが彼の魔法によってふっ飛ばされる様を見ていた。
そのためにわたしの中で、九十九はかなりの神官嫌いのイメージが強い。
しかも今回の話だ。
九十九の神官嫌いはさらに上乗せされたことだろう。
だから、それでもリヒトが神官の道を志すことに反対しなかったのは意外でもあった。
まあ、わたしがあまりにも情けない態度をとっていたので、逆に、冷静になったのかもしれないけれど。
「最初の襲撃者が兄貴だって言っていただろ? あの時の見習神官の衣装だ」
「ああ、なるほど!」
確かに黒一色の見習神官の服だった。
あの時は余裕がなくて、じっくりと衣装を見ていなかったので記憶に残っていなかったのだ。
「それを今までずっと持っている兄貴もどうかと思うが、大神官猊下は、何故、兄貴に渡したままだったのだろうか?」
「大神官さまが他人に渡した服を再度着たくない人なんじゃないかな?」
恭哉兄ちゃんは、そんな潔癖症っぽいタイプには見えないけれどね。
「それでも、本来、神官以外に神官服を纏えないはずだろう? 渡したままは悪事にも使える」
「それはそうだね」
だから、管理は徹底的にされているのだ。
信者や一般の人が、神官の犯罪に見せかけようと神官服を奪おうとする事件だって、何度か起こっているらしいし。
『ユーヤは便宜上、ストレリチアで動く時にこれを使用していたらしいぞ』
「便宜上?」
いや、それよりも「ストレリチアで動く」の方に突っ込もうよ。
『王族の遣いで城下や近隣に行く時だな。一般人よりは見習神官の服を着ていた方が通りも良いらしい』
「他国の人間に何をさせてたんだ、法力国家」
「それだけの信用を得ているのが、雄也さんの凄い所だよね」
雄也さんが動ける時期なら、最初にストレリチアに滞在した期間だろう。
その雄也さんは今、恭哉兄ちゃんとトルクスタン王子、シンアンさんとお話をしている。
その面々から考えて、この島の今後についてがメインの話し合いだと思う。
水尾先輩と真央先輩は2人で仲良く休憩中。
流石にいろいろなことが起こり過ぎて、2人の顔から疲労感が隠せていなかったので、トルクスタン王子がコンテナハウスに押し込めた……というのが正しい。
その間にアリッサム城についての話もしていることだろう。
「スヴィエートさんはどうしたの?」
『スヴィエートはあの集落に戻っている。いろいろとすることがあるらしい』
「一人にして大丈夫なの?」
まだ集落の人たちは薬が完全に抜けたわけはないらしい。
真央先輩の命令によって、隷属はしたけれど、その効果は永続的ではないと聞いた。
それならば、何か起こり得る可能性はないって言いきれない気がしてしまうのだ。
『「番い」持ちの精霊族に手を出す精霊族はいないらしい。それに、あの正神官が、この島の精霊族たちには既に制裁済みだ。その力の差が分からないほど馬鹿はいないだろう』
「「え? 」」
な、なんか今、「制裁」と不穏な単語を聞いた気がするけど……。
『あの精霊族熱狂者は、精霊族の理を重んじている』
「はあ……」
それは、熱狂者の心理というやつでしょうか。
精霊族の理とかよく分からないわたしには、曖昧な返答しかできない。
『そんな男が人間に踏み荒らされ、歪められたこの島の現状に納得できると思うか?』
「そこは、納得はできないだろうね」
言い換えれば、自分の憧れを無茶苦茶にされたようなものだ。
だけど……。
「そこで、なんで憧れの対象に制裁することになるのかが分からない」
制裁相手が間違ってないでしょうか?
悪いのは、この島を利用しようとした人間たちだよね?
『世の中には「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉があるらしい』
「ああ、うん。理解した」
そして、それは「世の中」ではなく、人間界の言葉だ。
自動翻訳が分かりやすいように訳してくれたかもしれないけど、多分、その情報源は雄也さんか九十九だと思う。
まあ、人間たちのせいではあっても、結局、行動に移したのは、この島の精霊族たちによるものだ。
もしかしたら、王族による隷属を使われた可能性もあるが、それだって長続きするものでもないと聞いている。
この島に頻繁に訪れるほど暇な王族がいたとも思えない。
いくら関わっていたと思われるミラージュの人間だって、そんなにマメに来ていたわけではないはずだ。
つまり、最終的にはこの島の住人達の意思によるものだったと考えるべきだろう。
そして、精霊族……、この島の「狭間族」たちは、人間たちの法で罰することはできないらしい。
そうなると、多少の私刑も已む無しってことなのだろうか?
リヒトに「可愛さ余って憎さ百倍」という言葉は酷く分かりやすく思えた。
「誰でも、信じていた人から裏切られるのは辛いからね」
それが理想の押し付けであっても、やはり、夢が砕け散るのは嫌だと思う。
それが、自分の中で綺麗な思いであるほど、裏切られた時の絶望感は大きいだろう。
『そうだな』
リヒトは賛同してくれたが……。
「2人して、こっちを見るな」
わたしとリヒトの視線を浴びた九十九だけは気まずそうに顔を逸らす。
あの時の、「発情期」中のことを、彼からの裏切りと言って良いのかは本当に微妙なところだ。
彼の意思であって、彼の意思ではない行為。
あれは九十九だけが悪いわけではないと、もう分かっているのだけど、まだそんなに日が経っていないせいか、時折、どうしても思い出される。
何度も抗おうと努力したのに、今まで感じたこともない種類の恐怖と、逃げられないほどの絶望。
そして――――――、その後に表れた女としての渇望。
これらの感情は、九十九が傍にいる限り消えないのか。
それとも、もっと時間が経てば薄れてくれるのか。
今のわたしにはよく分からないのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




