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運命の女神は勇者に味方する  作者: 岩切 真裕
~ 異世界新生活編 ~
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夢から現実へ

 ぼんやりとした意識。

 その上、身体がひどく重く感じ、まだ夢の続きを見ているような気がする。


 混濁する思考の中、モザイク模様にも似た視界に奇妙な重圧を覚えたが、瞳がうっすらと開いたのだということだけは、今の自分の頭でも理解できた。


 ―――― 現実味がない。


 私は今、生きているのか?

 そんな基本的なことさえはっきりと実感することができない。


 ―――― 何もかもどうでも良い。


 自暴自棄にも似た感情。

 自身が置かれている状況についてすら考えることも面倒に思えている。


 そのためだろうか?

 先ほどから何かとても大切なことを忘れてしまっている気がするのだ。


 思い出せない何か。

 思い出したくもない何か。

 思い出してはいけない何か。


 尤も、忘れてしまうぐらいだから実のところそれは、私にとっては重要なことではなかったのかもしれない。


 ―――― このまま目を閉じてしまおう。


 恐らくはそれが一番楽なことなのだろう。


 何もせず、何も考えず、何も感じず。ただゆったりとした時の流れにその身を投げ出してしまうだけで良い。


 その結果がどうなってしまおうとも私の知ったことではない。


 この先にあるものを見なくて済むのだ。

 今はそれが最良のことのように思えた。


 だが、現実は甘くない。


 はっきりしない意識の中。

 それでも私の思考は全ての放棄を許してはくれないようだった。


 私自身にとって今、ある意味一番必要なものを知覚してしまったのだから。


 急速に纏まっていく考え。

 熱くなる感情。

 本能的な欲求。


 人間とは単純な生き物だ。


 理性や知性という言葉で飾り立てたところで、結局は動物であることを否定できない瞬間というものがある。


 本能や原始的な欲求が自らの身体を突き動かす衝動となることに変わりはない。


「メシ!?」


 今まで微動だにしなかった肉体が、爆ぜる様に飛び跳ねた。


「は!?」


 そんな自分の(そば)でどこかで聞いたことがある男の声が聞こえた気がする。


 だが、今はそんなことを気にしている心の余裕などなかった。


 私の嗅覚と視覚が的確に少し離れた場所にあった白い器を捉える。


 食欲を掻き立てる鼻腔をくすぐる匂い。

 ほのかに立ち上る湯気。


 間違いなくソレは今、自分にとって最も必要な物だと理解できた。


 つまりは食物(栄養)である。


 睡眠?

 休養?


 そんなものでこの腹は膨れない。


「あれ、食っていいのか?」

「ど、どうぞ……」

「いただきます!」


 両の手を合わせて一礼。

 その後、器を抱えて勢いよく口に流し入れる。


 この食事が作られてどれくらいの時間が経過しているのかは分からない。

 だが、スープ状のソレは、程よく温かく、一気に飲み込んでも火傷することはなかった。


 いや、自分にとって、驚くべきところはそこではなく……。


美味(うま)っ!?」


 正直、私は今までにいろいろなものを食べてきたと思う。


 だけど、それらを全て吹き飛ばしてしまうような味が口の中いっぱいに広がっていくのが分かった。


「なんだ、これ!?」


 今までにない感覚に驚きを隠せない。


 口に含んだものをいつものように喉へと追いやるのが惜しく感じた。

 それでも、一度ついた勢いは止まることなく綺麗に食べ終わってしまうわけだが……。


「おかわり……、持ってきましょうか?」


 すっと差し出された手。


「え? まだ、これあるのか?」


 そこでようやく声の主の顔を見ることとなる。


 そして、私は、この黒髪、黒い瞳の少年に見覚えがあった。


 彼は確か……。


「笹ヶ谷……、弟?」

「……どこからオレは突っ込めば良いんでしょうかね?」


 目の前で大袈裟に肩を落とす黒髪の少年。

 この態度で私は、間違っていないことを確信する。


 彼とは少し前に、人間界で縁があったのだ。


 そこまで多く会話をしたわけではないけれど、可愛がっていた後輩の彼氏とかで紹介された覚えがある。


 だけど……。


「え? 何? これは夢なのか?」


 ここまで味覚がはっきりしておいて夢というのはおかしいとは思う。

 それでもそう考えた方が自然に思えてしまうような状況だったのだ。


「オレもそう思いたいところではあるんですけれど……、()()()()()現実みたいですよ」


 そう言いながら私が差し出した白い器を受け取る。


 何がどう残念なのか問い(ただ)したくはあったが、とりあえず口を挟まずにおく。


 まずはいつも以上に活発に動こうとしているこの腹を、落ち着かせることを優先するべきだろう。


「その反応から……、貴女は人間界で会った高田の先輩、富良野(ふらの)水尾(みお)さんということで間違いはないようですね?」


 彼からそう確認される。


「その問いについて返事する前に頼みがある」

「何でしょう?」

「おかわりを大至急用意して欲しい」


 そう言って、視線を彼が持っている器に向ける。


「…………は?」

「さっき持ってきてくれると言ったろ? 話はそれからだ」

「~~~~~~~~~~分かりました」


 まだ言いたいことが山ほどありそうな顔をしたが、一礼して、笹ヶ谷弟は部屋から出て行った。


 その素直さにほっとする。


 相手が兄の方だったら、一対一の普通の会話も難しいが弟なら話は別だろう。

 そのためにはこの僅かな時間も有効に使ってある程度の現状把握の必要がある。


 あの人ならこんな隙を……、相手に考える時間など与えてはくれなかっただろう。


 空腹というのは人間の、いや全ての動物においての本能的なものだ。

 余分な思考を奪う障害には十分なりうる。


 つまり、話の中で、自分にとって不利な話題になった時にそれを上手く誤魔化すほどの心の余裕がなくなってしまうのだ。


 いや、実際問題として腹が減っているので、持ってきてくれるという彼の厚意、親切心には本当に感謝はしている。


 兄に似ず、良いやつだな、あの少年。


「それにしても……」


 改めて状況を整理してみる。


 彼と出会ったのは、一ヶ月ほど前、人間界で出会った。


 だけど、ここが人間界であるとは思えない。


 この部屋にある調度品や先ほどの食器、何より大気中の魔気の濃度が人間界とは違いすぎるのだ。


 それに、私自身、人間界へ行くための転移門を使用した覚えは……たぶん、ない。


 自分がこれまで生活していた場所とも違うのも分かっている。

 先ほど口にしたものもそうだが、身体に触れる空気から全く違う。


 これも大気魔気の影響だろうが、熱く焼け付くような感覚ではなく、どことなくひんやりとした何かが常に流れ続けているような感じなのだ。


「風の大陸……か」


 何故そんなところにいるのかはまだ分からないが、自分の感覚……、勘を信じるのならここはシルヴァーレン大陸で間違いないだろう。


「それについては……、後でヤツを締め上げれば良いか……」


 人間界で少しぐらい面識があったところで、それを基に信用できるかと思えばほとんどの魔界人は首を横に振るだろう。


 何しろ、魔界人は人間界に入り込む時に記録も記憶も操作するのだ。

 そのことに何の罪悪もない人間が簡単に信頼することなどできるはずがない。


 尤もその点においては、人のことは言えないのだが。


 因みに同じ魔界人同士では、記憶の改竄はかなり難しいということは補足しておく。


「しかし……」


 分からないのは何故、私が彼の世話になっているのかということだ。

 こんな寝台で目が覚めたということは、私はここで眠らされていたのだろう。


 そして、そんなことになった理由も分からない。


 身体に関しては見たところ痛みも感じず、細かいすり傷一つもない。

 だが、多少重く、動きも鈍いことからかなりの疲労感があることは分かる。


 そして、魔法力……魔法を使うための力がすっからかんに近い。

 完全に空っぽになっていないのは自然回復したと考えるべきだろう。


 だが、この状態は私にしてはかなり珍しいことだ。

 魔法力の貯蔵量は自分の自慢の一つで姉妹の中でも一番を自負しているほどである。


 それがここまでなくなっているということは、10年ぶり……ぐらいではなかろうか。

 少なくともここ数年ではなかったことだ。


 見知らぬところで魔力が枯渇している。

 これは、かなり危険なことだ。


 人間界ならともかく、魔界ではほとんどの人間が魔法を使うことができる。


 普段は魔気の護りがあるため、多少なら魔法攻撃も物理攻撃にも耐える自信があるが、今の状態では自分の身を護ることができない。


 そう考えると、どんな形であれ、敵意のない見知った人間に保護されたのは幸いだったといえる。


「……とは言え……」


 落ち着いてみると、今着ている服に見覚えが……ないんだけど?


 少なくとも自分が持っている服ではないと思う。

 材質、デザインから見ても自分の国のものでもないだろう。


 やはりここは他国なのだ。


 しかし、この服があの少年の私物だとも思えないから、姉とか母親のものかもしれない。

 着替えさせてくれたのもその人ということだろう。


 あの少年は……、そういうのに不慣れな印象を受けるし。


「う~ん……」


 どうも記憶が曖昧なのは分かる。

 これらのことから、服を着替えるような事態になったのは間違いない。


 そして……、何より、この魔法力の減りっぷりから見ても、私が魔法を連発した可能性が高いだろう。


「……ってことは……」


 考えられるのは魔力の暴走だ。


 自分の意思とは無関係に魔法や魔力の塊を大放出してしまい、身に付けていた衣服もその出力に耐え切れずに破砕してしまったかもしれない。


 でも、それだけの事態なら、その近辺に大きな被害が出ているはずだ。

 そうなるとこんな呑気な対応をするはずもないだろう。


 それに、他国……それも隣国ならともかく別の大陸に来た経緯を覚えていない。


 仮に私が寝ている間の悪意を察することができず、誰かに運ばれたとしても、その結果、こんな状況にはなっていないと思う。


 尤も、国でそれなりの地位にいる身としては、何者かに誘拐される可能性は否定できないところなのだが。


「何者かに誘拐されて、その間に魔力が大暴走してここに運ばれた?」


 そう考える……べきだろうか?


 もっと深く考えようとして、記憶の糸を手繰ろうとするが、何故か頭が真っ白になってしまう。


 それでも、真実が知りたくて、少し前の自分の行動を振り返ろうとするが、黒い影が頭の中を邪魔してくる。


 黒い……影……?


 不意に自分の身体が激しく震えた。


 覚えているのは…………そこまで……だった。

ここまでお読みいただきありがとうございました。

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