「聖女」に惑わされた神官
「『神の座』にて、ごゆるりとお過ごしください」
聖杖の光が落ち着いた後、大神官は呟いた。
周囲には様々な場所から連れ去られたと思われる女たちの姿。
そんな中にあっても、その静謐さは失われない。
「お前は歴代大神官の中で、最も聖杖「ラジュオーク」を使う男になりそうだな」
大神官の背後から声がする。
「若輩の身ですからやむを得ないことでしょう」
顔色を変えず、その声に大神官は答えた。
大神官として歴代最高の能力を持つとも言われることも珍しくないこの青年だが、確かに年若く、「若輩」と言えなくもない。
齢20にして神官最高位に就きながらも、驕ることなく周囲に対する姿勢を崩さないままであるため、その差に戸惑うのは中途半端な地位にいる神官ほど顕著だ。
本当にこの弱腰な男が、自分よりも神官としての能力が高いのか? と。
下位の神官は、その佇まいや逸話に憧れを抱くために疑いもせず、上位の神官は、自身の眼でその能力を確かめるために命令以外では距離を置く。
だが、この場に現れた男だけは違う。
もう上位神官に返り咲くようなことをする気もないが、だからといって、この青年の能力を見誤るほど耄碌もしていない。
男の名は「ボルトランス=トキーツ=バルアドス」。
先々代の大神官であり、現大神官である「ベオグラーズ=ティグア=バルアドス」の養父でもある。
その出自は不明だが、肩書こそ大きなものを背負っていたこともあり、現状、この男の地位は「聖爵」。
この国限定の爵位であり、一代限りのものだ。
流石に一度は「大神官」となった者を、還俗したとはいえ何の枷もなく市井に放流できないらしい。
そのことに対して口さがない者たちは、能力の高い現大神官が大聖堂に逆らうことのないように首輪を付けていると言うが、誠に笑止なことである。
どちらもそんな簡単に御せるようならば、「大神官」とは呼ばれない。
「こんな場所までご足労いただくとは……。そろそろ、御年をご考察願えませんか?」
「『大聖堂』の地下へ降りるぐらいで私がくたばるように見えるか?」
「腰痛は癖になると愚考します」
大神官の言葉にその養父は黙る。
確かにこの養父はここ数年、何度か腰痛を繰り返していた。
だが、まだ若いつもりでいるこのご尊老には理解いただけないことは大神官も承知だ。
伊達に、養父、養子の関係を結んでいない。
「御用向きは?」
「大したことではない。この大陸内にアレの気配を感じたので、報告に来ただけだ」
あまりにも情報量は少ないが、それだけで互いに意味が伝わるために何の問題もない。
「ありがとうございます」
「追うか?」
「御冗談を。『七羽』を二片ほど欠けた状態で、私事にかまけている余裕はありません」
ここにいる女性たちの体内から、あの2人の気配を感じた。
その意味を今更追求する意味もない。
さらに、彼らは、この場にいる女性たちの顔に、見覚えはないと答えた。
つまりはその顔すら覚えていなかったということでもある。
そして、それだけで、大神官として「神の座」に送るには十分な理由だ。
後は、神がその罪の重さを判定してくれることになる。
「ああ、やはり二年以上前に『青羽』が先に欠けたのが痛かったな」
もし、今もあの「青羽」がいれば、今回欠けるのは「藍羽」だけで済んだことだろう。
「先々代大神官殿は、誠に御冗談が過ぎるようですね。『神力』に当てられて簡単に酔うような自制心のない者を留まらせろと?」
「誰もが、お前のように自制心の塊ばかりだと思うなよ?」
現大神官の凍り付くような笑みを前にしても、朗らかな笑みを返す先々代大神官。
「神への反発が強いはずの『七羽』を惑わせるほど、強くて心地よい神力を無意識に放つあの嬢ちゃんが異常なのだ」
あの娘の傍にいて、全く動じない神官は、お前ぐらいだと、さらに先々代大神官はそう続けた。
この男はストレリチア城内に居住しているため、何度か噂の「聖女の卵」を遠目に見る機会があった。
黒い髪、黒い瞳の少女は、身綺麗にするための化粧を施さなくても、十分、異常な輝きを放っているため、「神眼」を持つ身にはどうしても目立つのだ。
寧ろ、髪や瞳の色を変え、化粧をした程度の偽装で、完全に誤魔化されてしまっている現代の神官たちの見る眼のなさにあきれていた。
あれだけの「神力」を隠し持つ人間が、真横を素通りしても、その気配に気付く様子がないのは流石に耄碌しすぎだろう。
だが、それを「大聖堂」のために口を出す気もない。
そう思う程度にあの少女には感謝と思い入れがあるのだ。
「流石に過去、幾度となく『聖女』に惑わされた先々代大神官のお言葉は含蓄がありますね」
その言葉に分かりやすい棘を感じ、養父は苦笑する。
「馬鹿言え。あの『聖女』は私だけでなく、この世界の全てを振り回すほど良い女だ。それはお前の方が知っているだろう?」
だが、養子に言わせっぱなしで大人しくしているほどお行儀のよい男でもない。
この男の昔を知る者ほど驚くが、「大神官」という重い肩書きから放たれた今は、実に飄逸的な人柄と変わっていた。
「報告は以上でしょうか? 見ての通り、私は忙しいのですが?」
「親が息子を手伝いに来て、何が悪い?」
「それでは、そちらの女性からご確認をお願い致します」
「待て待て、息子! 今のはもう少し、心とその表情を動かしても良い場面だ」
「ご期待に沿えず申し訳ございません」
淡々と頭を下げる大神官。
本来ならばその謙った態度を諫めるべきだろうが、この青年に関しては、その必要性も感じない。
この青年にとっては、自身を侮ってくれた方が、都合も良いのだ。
意味のある言動に忠言することはない。
「私は近々、見習を取るつもりです。その件で貴殿にご迷惑をおかけしたら申し訳ございません」
女性たちの状態を確認しながら、大神官は独り言のように呟く。
「ほう?」
それを耳にした男は面白そうに口元を緩ませた。
この青年に関しては、上神官に上がって以降、「見習」として傍においてくれという話は実に多かった。
この場合の「見習」は「見習神官」とは異なり、傍に置く者……「弟子」のような存在である。
若いだけでなく、女と見紛うほど整った顔立ちに、清廉で強すぎる法力。
神すら視るという「神眼」を持ち、さらには多くの神官たちが嫌がるような神務も無難にこなす。
その性格の好き好きはともかく、そんな神官に将来性を見出せないほど無能な神官は流石にない。
だが、どんなに周囲から熱すぎる売り込みをかけられても、眉一つ動かすことはなかった。
そんな彼が自分から「見習を取る」と口にしたのだ。
つまり、自身が見込んだ者がいることに、養父は興味をそそられた。
「どんなヤツだ」
「紫羽の系統です」
「それは件の関係者か?」
男は眉を顰めた。
この「大聖堂」へ送り込まれた人間たちは、闇の大陸神グラードの影響が強い者が多かった。
だが、「大聖堂」は昔から身分、出自に関係なく、全ての才ある人間を受け入れると謳っている。
何らかの企みがあると分かっていても、それを理由に拒むことはできなかったのだ。
「いいえ、『導き』の関係者です」
「ああ、あの黒くてちっこい精霊族か」
男は素直に納得した。
あの「聖女の卵」に傍には数人の従者がいたが、その中でも、分かりやすく精霊族の気配を纏っている少年がいたのだ。
精霊族の血が入った人間は、それだけで法力の才を持ちやすくなる。
外見こそ上手く誤魔化していたが、その気配だけは完全に断てなかったようだ。
「先日お会いしましたが、『適齢期』を迎えて、大きくなっておりました」
「……それは……、運の良い男だな」
精霊族の中でも長耳族は本来、「適齢期」に入るまで百年以上を要する。
人間の血が濃ければ、十数年で「適齢期」に入ることもあるが、あの長耳族はどう見ても、精霊族の血の方が濃かった。
但し、「番い」に巡り合えば、種族に関係なく、「適齢期」となる。
古文書には、生まれて僅か数月で「適齢期」を迎えた精霊族もいたというとんでもない話もあったらしい。
「だが、成人済みなら尚更、面倒なことにならないか?」
「『導き』のお名前をお借りします」
大神官は迷うことなく、そう口にした。
「ならば、私の名前も使え。還俗しても、それなりの力はある」
「はい、喜んで」
さして嬉しそうな顔も見せずに大神官は答える。
「それと、『導き』の嬢ちゃんを構うのは良いが、お前は『お嬢』の方もそろそろどうにかしてやれ」
養父がそう言うと、大神官は分かりやすく眉を顰めた。
「その辺りについては、当人同士で話をしております。部外者は余計なことを吹き込まないでください」
「一応、私はお前の養父なんだがな」
ようやく年相応の反応を見せてくれた自分の養子に苦笑する。
「当事者が納得していても、周囲が納得してないようだぞ」
大神官もそんな雑音は知っている。
だが、面と向かって言わない相手に割く労力など、自分にも、その「お嬢」と呼ばれた人物にも存在しなかった。
尤も、あの「お嬢」は「導き」の「親友」を自負しているため、彼女に手を出そうという輩には、事前に動く。
それが雑音段階であっても。
「だから、『お嬢』にも気を配っておけ。あの娘は『導き』に心を移し過ぎているからな」
「ご忠告痛み入ります」
どうやら、姫に「もっと構え」と言うことではなく、何かをしないように「ちゃんと見張れ」と言うことらしい。
そうはっきりと口にされては、大神官としても、苦笑するしかない。
同時に「この養父にだけは言われたくない」と思いながら。
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