自らの手で殺生を行うことができない
目の前に広がる光景に、ただただ茫然とするしかない。
この「大聖堂」の地下にある一室にて、両手では足りないほどの数の若き女性たちが静かに眠らされていた。
それも、その女性たちは、いずれも自分の娘ほどの、いや、もはや孫であってもおかしくないような幼い年代の者もいる。
ここに来る前、あらかじめ、話は聞いていた。
神官として教義を受けた者たちによって、筆舌に尽くし難い行いをその身に受けた者たちが大聖堂の地下に集められている……、と。
だが、目の前にあったのは、自分の想像を超えるものだった。
ここで眠っている女性たちの多くは、明らかに普通ではない扱いを受けてきたことが分かるほど、しどけなく、そして、痛々しい姿でもあった。
幸い、心ある者の手により、応急処置と思われるものはされているようだが、それでも、これら全てを癒すには至っていなかった。
それが、一部の心無い神官たちによる愚劣なる振る舞いによるものだと知らされているから余計に痛ましさが増してしまう。
だが、それを一概に少数による擾乱と言いにくいものはあるのだ。
この「大聖堂」内においても、神官たちの手による大小様々な悪行は少なくないという事実がある。
特に下位の神官時には、誰でも一度ぐらいはその邪な手によって、屈辱的、あるいは恥辱的な思いをさせられることはあるだろう。
そして、そんな上位の神官たちによる行動から目を背け、目を瞑り、時として手を貸すことになってしまう下位の神官も少なくない。
一度、自分の心を裏切った神官は、元の道に戻ることはできなくなる。
その結果、悪行は繰り返されることとなるのだ。
自分も過去にされたからという責任逃れをしながら。
これはそんな行いの一部。
どこの世界でも組織が大きくなれば、綻びは生じやすくなる。
歴史を積み重ねれば、それだけ足元は揺らぎ、上部は崩れ落ち、内部が欠けてしまう部分も多い。
今回、たまたま「大聖堂」という聖域から離れて行われたために、外部の被害者の身内によって暴かれただけのことだ。
決して、内部からの告解によるものではなかった。
「大神官猊下……。これは……」
それでも、白い祭服を纏った美しい青年に尋ねずにはいられなかった。
神官たちの穢れた手によって、還俗した神女だけでなく、全く無関係な人間たちすら巻き込んでしまったこの事態に。
この「大聖堂」内で、白い祭服を着用することを許されるのはただ一人。
その唯一である大神官は、いつものように表情を変えず、この場所に立っていた。
自分のすぐ横にいるのは、同じように大神官より任命を受けた青衣の祭服を身に纏った神官だ。
「青羽の神官」と呼ばれる自分よりも神位が上の高神官である。
この御方は高神官になって長いと聞いている。
だが、何故、今の神位になって一年ほどしか経っていない自分がこの場所に呼ばれたのかは分からない。
ただ目の前にある現状と向き合うしかなかった。
「それぞれ確認されたいことは多いでしょうが、ご覧の通り、応急処置はしてありますが、一刻を争うような方もいらっしゃいます。今は、治癒を優先させましょう」
大神官はいつものように涼しい声色を変えない。
まるで、日常の神務と変わらぬようにそう口にした。
だが、これは、非日常だった。
「これは惨い……」
そう呟いたのは、自分と青羽の神官のどちらだったか。
今、自分が向き合っているのは、一人の女性の形をしているナニかとしか言いようがなかった。
その顔も身体も、無事だと言い切れる部分の方が少ない肉体。
よくもこれで命を繋いでいるものだと逆に驚いてしまう。
それほど、その肉体の損傷具合が酷かったのだ。
理性を失くした魔獣に襲われたかのように先端はほとんど食いちぎられ、治療もされず長期間放置されていたのか、その一部は腐食している。
長く神官として生きていれば、このような肉体を見ること自体は稀にある話だ。
どこの大陸、どこの国でも、その中心から離れれば、人は疎らになり、その分、管理の目が行き届かない場所も出てくる。
俗に言う僻地と呼ばれる領域だ。
同じ中央から離れた辺境でも、隣国との境ならば、逆に管理の目は厳しく、そして、鋭くなる。
隣国からの目もある。
だからこそ、自国の緩んだ隙を見せることができない。
だが、どこにも隣接していない端、あるいは奥地こそ、人も物も、その管理は難しくなる。
全てに隈なく手を伸ばせない以上、どうしても、その場所に住む人間たちによる自治に任せる場面が増えるのもやむを得ない話だ。
そのために信じられないような人道から外れた行いが、常態化してしまっているところもあると聞く。
幼子を生きたまま魔獣に食わせるとか、その集落で一番の美しい娘を年頃の男たちが集団で暴行するとか。
そして、その後始末に困れば、巡業中の神官を言いくるめた上で、葬送の儀を行わせて、何もなかったことにする。
巡業は世界各国にある聖地や聖跡を巡る神官たちの孤独な旅だ。
だから、人里離れた場所へ単身出向くことも珍しくなく、そんな場所に住んでいる人間たちにとっては好都合でもあった。
実際、自分が巡業中に訪れた地で、放置され腐乱したかつて人間と呼ばれたモノを、これ以上迷わぬようにと「聖霊界」への葬送を依頼されることも幾度となくあったのだ。
この身体の各部が著しく欠けている娘も、そのような犠牲者と言えるだろう。
そして、それらの行いが、僻地に住まう人間たちによるものではなく、同じ神職にある者たちの手によるものだと聞いている。
そうなれば、我ら「高神官」と呼ばれる者はあらゆる手を尽くして生かして活かさねばならぬ。
この者たちに恩を着せ、余計なことを外部に漏らさぬように。
神官たちは、自らの手で殺生を行うことはできない。
どんなに法力の力が優れていようとも、その能力だけは与えられていないのだ。
さらには、神官を罰することができるのは、神のみ。
誠に腹立たしい仕組みであった。
だが、肉体の損壊、欠損を治癒術によって補うことはできても、一度壊れてしまった心を救うことは容易ではない。
それが簡単にできることならば、我ら神官など、この世界に誕生することはないだろう。
我らの力の源である「法力」は本来、運命を呪う力だ。
世間で言われているような神への信仰心などというものでは決してない。
そんな常識は、この場にいる人間は知っている。
欠けた肉体はようやく癒えた。
だが、ここからどうすれば良い?
意識をすぐに取り戻す様子はないが、このような目に遭っても、自分を失わないような気丈さを人間は持ち合わせていない。
この両目が開き、半狂乱になって暴れだすのならまだ良い方だ。
全てを諦め、生きる気力を失い、ただ死を願う生きる屍となることの方が多い。
その辺り、この若き大神官はどうお考えなのだろうか?
大聖堂内では自死は選べない。
神は「人間」を見捨てないという誤解はここにある。
何故かどんな形でも生かされてしまうらしい。
自分は見たことないが、その腹を掻っ捌き、腸を引きずり出してもなお、生き続けたという記録も残されているそうだ。
少し前に、ストレリチア城内に運びこまれた他国の高貴なる者が自ら死を選んだらしいが、もし、大神官の言葉通り、大聖堂内に運んでいれば、それはできなかっただろう。
身分が高いという事実だけを見て、貴賓室へ運んでしまったことが裏目に出たと言うことだ。
神官たちは、世を儚く思い、死にたくなれば、大聖堂の外へ。
即ち、還俗せよということになる。
幸いにして、痛ましい状態にあったのは、入り口に近い場所で寝かされていた三人だけだった。
それよりも奥の方の女たちは、その髪や皮膚こそ汚れてはいたものの、その外傷そのものはほとんど癒されていた。
そして、受けていた扱いに反して、身に纏っていた衣服も簡素ではあるものの、清潔であった。
先に治療行為を行ったという心ある人間の処置が適切だったと思われる。
「大神官猊下。全ての確認が完了しました」
青羽の神官がそう報告する。
「ありがとうございます」
この年若く美しい大神官は、大聖堂内で最も権力を持つ者だが、常にその物腰は穏やかで丁寧である。
そのために、何も知らない神官たちに侮られることもあるが、それは見る眼がなさすぎるというものだ。
少しでも鋭い人間が見れば、この大神官を軽視する、歯向かうなど不可能だとすぐに理解できる。
「お二方の見知った方はいらっしゃいませんでしたか?」
「はい」
「おりません」
青羽の神官が答えた後、自分も肯定する。
「それは幸いでした」
幸い?
不幸になった女性たちを前にして、心優しき大神官らしからぬ答えが返ってきた。
「この方々の内側より、私がよく知る気配を感知しましたので……、そのお身内でなければ良いと、願っていたところです」
その言葉で、状況を察した。
やはり、この男をただの人間だと侮ってはならなかったのだ。
何故なら……。
「誠に残念です。『青羽』、『紫羽』」
全くそう見えない様子で、美しき神官は婉然と微笑んだ。
「そして、申し訳ございません」
その上で、片膝をつき、深々と礼をする。
その手に握られるは、白と黒を基調とし、虹色に輝く聖杖「ラジュオーク」。
聖なる杖と冠したその杖が、七色の光を纏うその現象を目にした時点で、裁かれる神官たちはもう逃げることは許されない。
「『七羽』が、二片同時に散るという事態を引き起こさせてしまった未熟な私には、貴方方を『神の座』にお送りすることしかできないのです」
自分の内側から現れる虹色の光に呑まれながら、そんな感情が籠っていない言葉を口にされたのだった。
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