神具として扱われるべきもの
「ユーヤが大神官から預かったものらしいが、こんな場所だと言うのに、思った以上に空間が安定しているな」
壁に張り付けられた四角の金属枠に触れながら、トルクスタン王子はそう呟いた。
その金属枠は、壁に張り付けた途端、穴のようなものを開けた。
いや、それを穴と言って良いのかも分からない。
その金属枠の中は、渦巻きや細い線、波紋がまだら模様となって揺れる不可思議な景色が広がっているだけだったのだから。
「それは、なんでしょうか?」
大神官から預かったと言うことは、法具の一種なのだろうか?
だが、その割に、法力の気配をあまり感じなかった。
そして、その金属枠を覗き込んでも、それが何であるのかよく分からない。
不安定に見えるその景色も、トルクスタン王子に言わせれば安定しているらしいので、どこかの空間に繋がっていることは理解できるが、その先に何があるのかも分からなかった。
何度見ても、奇妙な穴という印象が消えない。
その空間内で揺れているマーブル模様は、見ているだけで不安な気分にさせられるのだ。
「俺も詳しくはないが、この形状から察するに、『転移門』の簡易版だな」
トルクスタン王子の答えを聞いて、人間界にいた頃、自宅の地下にあったものを思い出すが……。
「随分、違いませんか?」
オレが知っている物と全く違う。
あの場所で兄貴が週に一回利用していた簡易的な「転移門」は、もっと安定していて、穏やかな光に満ちたものだった。
そして、これは門というよりもどちらかと言えば、窓だと思う。
それも、空間に無理矢理、穴をこじ開けたような印象があった。
「まあ、この世界でこれを持つのは、今となってはストレリチアぐらいだからな。古代の遺物と言っても良いだろう」
そんな言葉を口にした。
「この世界に『転移門』というものを創り出したのは、どこの国だったかをツクモは知っているか?」
そんなトルクスタン王子の問いかけに少しだけ思考して……。
「キルシュバオムという国の出身者だったのは知っています」
自分の記憶から少しだけ知識を引っ張り出した。
昔は、スカルウォーク大陸に限らず、どこの大陸も今よりもっと小国が乱立していたらしい。
その中にあった小国の一つ、融合国家キルシュバオム。
その国の人間の手による開発だったそうだ。
少し前に栞がカルセオラリア城下で手に入れた『転移門解説書』の一部だとそう口にしていた覚えがある。
あの時は無駄知識と言った気がするが、何気に今、役に立ってしまった。
「それを作り上げたのは、キルシュバオムの王族だったと言うことは?」
「不勉強で申し訳ありません。自分は王族と言うことまでは知りませんでした」
オレは隠しもせずにそう答えた。
「転移門」が作られたのは今から六千年ほど昔の話と言われている。
だから、残された資料も曖昧で、その詳細もはっきりしないことが多いが、オレ自身が他国の歴史に興味を持っていないのも事実だった。
そして、栞が口にしていなければ、「転移門」は、カルセオラリアが開発したものだろうと今も思い込んでいた可能性も高い。
「他国の人間が、今はなき『キルシュバオム』という国名と、その国の人間が『転移門』作ったと知っているだけで十分だ」
そう言いながら、トルクスタン王子は笑った。
半分以上、栞から得た知識なのでかなり複雑である。
オレはもっと他国の歴史も勉強すべきか?
「これは、その初期の『空間固定具』だな。カルセオラリアにももう残っていないような遺物だ。ストレリチアには当時の『聖女』と呼ばれた女性が使ったものが今も残されていると聞いていたが、まさか、使用できる状態にあったとは俺も驚いている」
「それは、こんなに簡単に持ち出して良いものなのでしょうか?」
単純に歴史的、文化的な財産というだけではなく、本当に「聖女」が使っていたのなら、神具として扱われるべきものだ。
しかも、「転移門」の初期型を使った「聖女」なんて、この世界の歴史上、一人しかいない。
それは、単純に聖堂認定された200年に一度ぐらいの割合で生まれる量産型聖女ではなく、本物の聖女。
この世界で「聖女」と言われたら、間違いなくその人物を差すぐらい有名な「大いなる災い」と呼ばれるものを封印した聖女のことではないだろうか?
「大神官が使えとユーヤに渡したなら良いんじゃないか?」
だが、トルクスタン王子はあっさりとそう言い放った。
「『聖女』は多くを救った者だ。そのような人間が、誰かを救うための道具を使うことを認めないと思うか?」
その言葉で、ふと黒髪の女を思い出す。
―――― 有難く使わせてもらおうよ
そんな言葉が聞こえた気がした。
彼女は今、ここにいないのに。
「思いません」
災いを封印したという「聖女」がどんな人間だったのかをオレは知らない。
恐らくオレが知っている「聖女の卵」たちとは比べる次元が違うほどご立派な人間だったことだろう。
だが、それでもオレが護るべき「聖女」なら、迷いもなくそう答える気がした。
「先人が『聖女』を手伝うために作ってくれた道具です。有難く使わせていただきましょう」
オレがそう答えると、トルクスタン王子は満足そうに頷いた。
「手入れだけして一切使用しない道具は、もう既に道具と呼べないからな」
そう言いながら、近くで眠らせている女の一人を抱き上げて、無造作にその穴に向かって投げ入れる。
眠っているし、トルクスタン王子が飲ませた薬草の効果で暴れることは全くなくなっているのだが、その扱いはちょっと酷くないだろうか?
「魔法で浮かせましょうか? それなら、この部屋の女たちを一度に通せますよ」
その扱いと、一人一人放り込むのは大変だろうと思っての提案だったが……。
「いや、この空間は物理法則が異なるらしい。だから、これを使う時は、一人ずつ放り込めとユーヤが言っていた」
なんだろう?
人間界のSFにあったように、同時にその穴を通ると融合してしまう可能性もあるのだろうか?
いや、物理法則が異なると言っても、限度はあると思う。
だが、わざわざ忠告してくれた以上、それに従わない理由もない。
オレも近くにいる女を一人抱き上げ、その穴に向かって両腕を伸ばして、その身体を下ろす。
すると、女の身体はまだら模様に吸い込まれるように呑まれ、そこに波紋が広がった後、姿を消した。
移動魔法を使う時とも違う、空間に食われたような違和感がある。
ちょっとしたホラー映像を見せられている気分だった。
だが、呆けている暇はない。
オレとトルクスタン王子は、一人ずつ交互に、その金属枠の向こうへ女たちの身体を送り込んだ。
そして、この部屋だけでなく、ほとんどの部屋の女たちを送り出した後……。
「この穴は一体、どこに繋がっているのですか?」
今更ながら、それを聞いていなかったことを思い出した。
「さあ?」
だが、オレの質問に対して、トルクスタン王子は首を捻る。
ちょっと待て?
まさか、どこに行ったか分からないのか!?
「ユーヤならば確認しているだろう。ヤツなら変な所には送り込まないと思っている」
「兄貴のことを信用しすぎではないですか?」
確かに、兄に任せれば大丈夫だ。
だが、王族として他国の人間をそこまで信用するのは大丈夫なのか?
「お前の兄は信用に値しない男だと?」
「時と場合によっては」
兄貴は嘘を吐かないが、それでも、全てを言わない。
隠し事が多すぎる。
せめて、先に言えと結果が出てから何度思ったことか。
「なかなか辛辣だな」
トルクスタン王子はオレの答えに苦笑する。
「だが、こう言った状況においては、あの男は誰よりも信頼できると俺は思っている」
それは恐らくオレよりもということだろう。
確かに兄貴の方が有能だ。
その評価に誤りはない。
「ヤツはツクモよりもずっと女に甘いからな」
だが、トルクスタン王子はそんな言葉を口にするのだった。
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