本物の従者なら理解できる
「へえ……」
オレは感心した。
思ったより、トルクスタン王子の「飛翔魔法」は速度が出ていたからだ。
これなら、想定していたよりも早く目的地に着くことができるだろう。
いつもの自分の「飛翔魔法」よりも遅いが、兄貴の話では、「飛翔魔法」はツバメの飛行速度ほど出れば良い方だと聞いている。
ツバメの平均時速は確か55キロぐらいだ。
外敵から逃げる時の最高速度は200キロ近くに達したとき記録もあったはずだが、そこまで動物の飛行速度に興味がないので、兄貴がどちらの意味で言ったかは分からない。
今のトルクスタン王子の速度は伝書鳩並……、時速100キロを超えるぐらいだと思う。
真央さんを抱えているために、彼女を気遣って減速している可能性を考えると、もっと速度が出るかもしれない。
そう言えば、カルセオラリア城で世話になっていた時に、薬となる素材は自分で取りに行くこともあると言っていたな。
薬の材料として出されていた物の中には薬草だけではなく、魔獣や魔蟲、魔鳥から採れるものも少なくなかった。
特に魔鳥を捕まえるなら、遅い飛行速度では話にならない。
真央さんの重量は問題にならない。
飛翔魔法のほとんどは触れている人間にも影響がある。
本来なら、あのように抱き抱えなくても手を握るだけで問題ないはずだが、単純に気分だろう。
スキンシップが好きな王子殿下だからな。
因みに、最初に戻った時、オレが水尾さんを抱えて帰ったのは、彼女の魔法力が枯渇状態にあったからだ。
そんな理由でもなければ、普通は身体に触れる許可は出ないだろう。
「……っと」
思考すると、速度が出る。
トルクスタン王子の飛翔魔法が思ったよりも速度があっても、今のオレは栞から強化魔法を施された状態だ。
いつも以上に減速をしなければいけない。
心は先に進みたがっている。
残してきた水尾さんのことが気にかからないわけでもなかった。
兄貴は「伝書」からの報告で、あの人の無事を知っているが、オレはその内容を知らされていないのだ。
水尾さんがオレや栞を気遣っていないとも思えない。
でも、おかげでオレは持ち直せた。
栞の顔を見て、癒されて、許されて、そして、いつも以上に阿呆で頭が痛くなるような会話までできたのだ。
それは、あの時水尾さんがオレの背中を押して、帰してくれたからだった。
だから、今度はオレの番だ。
少しでも、水尾さんの傷が癒せるなら、オレにできることなら何でもしよう。
風に乗って聞こえてくる声。
この速度で飛行しているのだから、風の音の聞こえ方も変わるはずなのだが、「飛翔魔法」を使っても、「魔気の護り」によって、耳に痛い音にはならない。
「飛翔魔法」を使うたびに、耳を傷めては意味がないからな。
トルクスタン王子と真央さんは聞こえていないと思って会話をしているのだろうが、この距離だというのに聴覚強化をしていなくても、オレの耳にはよく届く。
実は、「飛翔魔法」を使用している時でも、至近距離で同じような速度で並行していれば、その声は伝わるのだ。
それは、「飛翔魔法」を使って高速移動している時でも、性格の悪い兄貴が放つ腹立たしい挑発の数々がよく聞こえたことから間違いないだろう。
だが、それも数メートル単位の話だ。
トルクスタン王子と真央さんとの距離は少なくとも、100メートル以上は離れているように見える。
普通なら、飛行中でなくても、声は聞こえない距離だと思う。
それが、栞の身体強化の効果かは分からないが、この距離と環境でも、背後にいる二人の声が伝わってくるのは不思議だ。
それにしても、その会話の中で、トルクスタン王子はオレや栞、兄貴の関係を不可解だと言った。
真央さんが言うように「不思議」ならば分かる。
オレたちも口には出さないだけで、互いが不思議な関係だという自覚はしているから。
だが、「不可解」?
そこが分からない。
それに、オレたちの関係が「不可解」だというのなら、トルクスタン王子と真央さんの関係だって十分、理解しがたい部分はあるだろう。
カルセオラリアの王族とアリッサムの王族で、幼馴染。
それだけでは片付けられないものが見え隠れを繰り返している。
トルクスタン王子は真央さんに好意を持っているようだが、男女関係としてではなく、身内に対する親愛に近い。
真央さんに対して、オレや兄貴を近づけたくない、触れさせたくないというのもその感情からくるもので、恋愛感情からの嫉妬とは別物だと思っている。
だけど、同時に、真央さんのことを魅力的な異性としても見ているようだから、触れたくなっている気持ちも分からなくはない。
そんなトルクスタン王子の実情は分かりやすい。
だが、真央さんの方は違う。
トルクスタン王子に対する身内意識はあるけれど、異性としては扱っていないし、見てもいない。
いや、その身体に触れられても、平然としているのだ。
従者相手にならそれは分かる。
王族にとって従者のほとんどは所有物だ。
多少、綺麗な物に触れたところで、いちいち反応するような王族はいないだろう。
真央さんのトルクスタン王子に対する扱いはそれに近い。
出発前にトルクスタン王子が吐き出していた失言に対して、多少、激しい突っ込みをしていたが、それは従者教育する図にしか見えなかった。
そして、そんな扱いを受けても、トルクスタン王子は平然としている。
その状態が当然とでも言うように。
それが本物の従者と主人ならば理解できるのだが、彼らは互いに王族なのだ。
それも、数年前ならともかく、現在の立場的には存続している国の王族であるトルクスタン王子の方が上である。
真央さんは確かに魔法国家の王女殿下ではあるが、その魔法国家と言われたアリッサムは既にない。
世間の表舞台には立つことができず、万一、その生存を公表されても、扱いは亡国の王族となるだろう。
それなのに、真央さんの方が上に見えるのはどういうことだ?
そして、その関係こそ「不可解」と言いたくなるのはオレだけではないはずだ。
オレは確かにこの世界の常識に疎い部分はあるが、それでも、彼らの関係がどこか歪であることは間違いないと思っている。
彼らが口にしているオレたちの関係以上に。
そして……。
『こればかりは、関係のない他人がどうこう言うものでもないでしょう?』
真央さんが言ったその言葉が全てだ。
気にならないわけではないが、気に掛けたところで当事者たちが納得している付き合いに口を出すことなどできない。
『お前はユーヤが好きなのかと思っていたが、違うのか?』
『違うよ。私は、ユーヤは好みじゃない』
そこで、何故、トルクスタン王子の口から、兄貴の名が出たのかは分からない。
好意に関係なく、その「呼び名」が変わることぐらいあるだろう。
栞だって、兄貴のことを「雄也」と呼ぼうとしている。
それは、多分、兄貴がそう望んだからだ。
栞は、オレたちの望みをできるだけ叶えようとするところがある。
『それではツクモは?』
『好みの話? ああ、九十九くんは割と好きかもね』
普通なら光栄な話だと思うのだが、あまり嬉しさはなかった。
まるで教科書に書かれている文字を読むように、分かりやすいまでの棒読みだったからだろう。
カルセオラリア城の城壁でオレが「口直しをしたい」と口を滑らせた時に、真央さんが現れて「私で良ければ」と言ったことを思い出す。
何故、オレが「口直し」をしたくなったのかはよく覚えていない。
覚えていないのだから、その前には何もなかった。
ああ、いや、栞から強烈に染みる消毒液を渡されて、僅かながらそれが口についたせいだった。
何故、消毒を使うような事態になっていたのかは、やはり覚えていない。
だが、あの時も、同じような感想を抱いたことだけは思い出せる。
暗い中でもはっきりと分かるほどのどこか無感情な瞳と紡がれる言葉。
そこに彼女の本当の意思がないように感じられたのだ。
だが、あの時はオレたちの動揺を誘うためだと解釈した。
出会ったばかりでお互いが探りを入れ合っているような状況だったのだ。
そう考えるのが自然だろう。
『正直、好きとかはよく分からない』
真央さんはそんな栞のようなことを言う。
だが、その意味合いはどこか異なる気がした。
「聖騎士団長は? 昔、マオは惹かれていただろう?」
『あの男こそ無理だよ』
トルクスタン王子の踏み込んだ話に、真央さんは否定もせず、溜息交じりに答えた。
幼馴染なのだ。
幼い頃に傍にいた相手なのだ。
熱が籠った瞳で、自分以外の誰を映していたのかを理解できるほどの距離にいたのだ。
自分の感情がその頃に重なる。
あの頃のシオリの一番近くにいながら、彼女の熱の込められた視線は、ずっとオレ以外の男に向けられていた。
そこに悔しさを覚えないはずがなかったことまで。
だが、そんなオレの心情を叩き切るかのように……。
「最高の魔力を持った最低な男だからね」
真央さんはそう言い放った。
それは、オレが初めて聞く真央さんの殺気に似た感情が込められた言葉だった。
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