【第9章― 合縁奇縁 ―】倒れていた人間
この話から「第9章」です。
この魔界へやって来て約一ヶ月。
思っていた以上に平穏な毎日を過ごしていたけれど、静かな日々はその日を境に、唐突に、そしてあっさり終わりを告げたのだった。
「な……、なんで……?」
わたしはそんなありきたりな言葉しか口にできない。
「聞かれてもオレには分からん」
九十九は、布団を元に戻しながらあまり感情のこもっていない言葉を返す。
「そんな……、魔界人だったってこと……?」
「ここにいるってことは、そうなんだろうな。ただの人間が魔界に来る確率はかなり低いって話だ。まあ、千歳さんの例もあるから可能性がゼロとは言えないわけだが」
この人とは、3年ほど前に人間界で出会った。
だけど魔界へ来ると決めた時から、もう会えなくなると覚悟をしてきたのに。
ああ、でも、松橋くんや橋上くん、真理亜の例もある。
わたしが気付いていなかっただけで、人間だと思っていた人が実は魔界人だったということがあっても不思議はないのかもしれない。
「ただ気になるのは、オレがこの人を見つけたのは城下の森だった。そこでボロボロになった状態で倒れていたのだから、何かトラブルに巻き込まれたのは間違いないだろうな」
「ボロボロって……、怪我してたの? でも、生きてるんだよね? 目を覚ますんだよね?」
九十九に向かって捲し立てるように問いかけた。
「生きてるよ。どれくらい時間がかかるかは分からんが、目も覚ますだろう。もっと発見が遅れていたらそれも保障できんかったと思うが……」
それでも、彼は嫌な顔もせずに答えてくれる。
「そんな……、どうして?」
それこそ九十九に聞いたって分かるはずはないのに、わたしはそう口にするしかできなかった。
「自傷じゃねえのは間違いないな。そんなタイプには見えんし、何より傷も一種類じゃなかった。数も多かったから複数の人間から攻撃されたと考えて間違いないと思う」
「攻撃って……、魔界人はそんなに無闇矢鱈と人を傷つけるもんなの?」
自分の声が震えるのが分かる。
「オレは意味なく人を傷つけるようなヤツはいないと信じたい。あのミラージュの……、お前を攫おうとしたあの紅い髪の男だって、ヤツなりの明確な目的があるように動いている印象だったからな」
それは分かる。
あの人は、よく分からないけれど単純にわたしを苦しめようとしているわけではなさそうだった。
それでも、あの周りにまで害を与えるようなやり方は、どんな事情があっても、簡単に許せるものではないのだけれど。
「……ってことは、この人は誰かに襲われるような理由があったってこと?」
「少なくともオレはそう思っている」
「でも、わたしが知る限り、人から恨みを買うような人じゃなかったよ」
どちらかと言えば……、周囲から愛されているような人だったと記憶している。
「……その点に関しては素直に同意できんが、人間界での立場と、魔界人としての立ち位置が完全に一致することはないな。お前だって違うだろ?」
「それはそうかもしれないけど……」
人間界で普通に女子中学生していたのに、一転、実は魔界で生まれた上に一国の王の血を引く娘とか……。
どんな漫画や小説の世界の話なのか?
しかも嬉しくない!
喜べない!
「それに、人間界で出会った人物と同じとも言い切れない」
「え?」
「世の中には似たような顔のヤツが少なからずいる。目を覚まして話を聞くまでは完全に同一人物と断定することはできない」
言われてみれば、ついさっきもお城でそんな話を聞いた。
それに、わたし自身、人間界でこの国の王子さまと似た感じの人とも会っているのだ。
ここで眠っているこの人だってそっくりさんだという可能性もあるかもしれない。
だけど……。
「本人だよ」
なんでそう断言できたのかは分からない。
ただの勘といってしまえばそれまでだけど……、それでもわたしには妙な確信があった。
「たぶん、間違いない。ここで眠っている人とわたしは会ったことがある」
これだけ断言しておいて、これで顔がよく似た別人だった時はかなり恥ずかしい。
だけど、九十九はわたしの発言を否定しなかった。
その代わりに何故か、大きくため息は吐いたけれど。
「まあ、お前ならそういうとは思ったよ。だから、城下の森からわざわざ連れて帰ったわけだからな」
「……ってことは見知らぬ他人なら連れて帰らなかったってこと?」
「普通に考えて、厄介ごとに巻き込まれた印象を受ける見知らぬ他人を自宅に連れ帰るなんてことはしないと思うが? 警戒心がない馬鹿なら別かもしれないけどな」
確かに犬や猫とは違って相手は人間だ。
簡単には連れて帰れない気がする。
重そうだし。
逆に言えば……、九十九はよく連れて帰れたものだ、とも思う。
「お前なら怪我を負った不良を連れ帰るのか?」
「う~ん」
そう言われて考え込む。
確かに無駄に絡まれるのも嫌だけど、それでもそのまま完全に無視して忘れるというのも難しい。
置いて帰った後で、暫くは頭をチラチラしそうだとは思った。
「死なれても目覚めが悪くなるから、怪我の手当てぐらいはその場ですると思うが、後は聖堂に送り届けるのが無難だろうな」
「聖堂って……、あの教会みたいな所だよね?」
九十九に案内された時のことを思い出す。
「ああ。魔界では教会とは言わない。何かを教える場所じゃないからな。政治的なものは城で行うが、一般人は聖堂でいろいろな相談事を持ち込むらしい。オレは世話になったことはないから詳しくは知らん」
人間界で言うお役所、福祉施設ってところ……なのかな?
教会って、基本的には神様に祈りを捧げる場所って印象だったのだけど。
「……で、どっちだ?」
九十九はわたしに確認するが……。
「は?」
九十九の発言の意味が分からなくて思わず短く言葉を返す。
「この人。お前にも分からんのか?」
「……ああ」
ようやく言っている意味を理解した。
「水尾先輩だよ。見て分からない?」
人間界で会った双子の一人。
そして、わたしと親しくしてくれた先輩の名前だった。
「分かるかよ。大体、人間界で少し会話した程度の双子の顔の見分け方なんか知るかよ。しかも寝てんのに」
「え~? だいぶ、違うよ?」
わたしは一緒にいた時間があるから、一緒に過ごした時間があったから、なんとなく分かっているのかもしれないけれど、確かに普通は見分けつかないものかもしれない。
「え~っと。ミオさん?……って、結局どっちだ?」
「元生徒会長」
「お前や一部にしか分からん情報で答えるなよ。男言葉か? 腹黒系か?」
「その聞き方もどうかと思うよ。水尾先輩はちょっとだけ口が悪いけど、結構可愛い人なんだから」
「凶暴な方か……」
「……そんなに凶暴かな?」
頭を抱える九十九の行動に疑問が浮かぶ。
この水尾先輩という人は、同じ部活、同じ守備位置で大変お世話になった先輩だった。
普通なら、同じ守備位置の後輩ならライバルも同然なのだろうけど、わたしがある程度ルールを覚えた頃から水尾先輩は生徒会長になって忙しくなり、部活に顔を出す機会が減ってしまったのだ。
だけど、彼女はその少ない部活時間に、わたしを一生懸命教えてくれた。
わたしが、一年生にしてレギュラーになったことを他のチームメイトたちに妬まれたりしなかったのも、この先輩の力添えが大きいと思う。
確かに三年間で、ソフトボールの技術は上がった。
だけど、それでもこの先輩に勝てる気はしない。
生徒会をやりつつ、成績も優秀で、ソフトボールだって上手かった。
思い出が多少美化されていることを否定もしないけれど、それでも、わたしにはこの先輩がずっと目標だったのだ。
「うん、思い起こしてみたけど、凶暴性は見当たらない」
「オレにはファーストコンタクト時に見せてくれたぐらいなんだがな」
そういえば、最後に先輩たちとお話した時に、九十九は、先輩たちから「絡まれた」と言っていた気がする。
わたしの知らないところで何かあったってことなのかな?
「それで……、水尾先輩はいつ頃目が覚めそうなの?」
「分からん。怪我もひどかったが、それでも治せないほどじゃなかった。もともと治癒能力が高い人なのかもな。ただ、魔法力は空っぽになっているみたいだから、そっちの疲労の方が深刻かもしれん」
九十九はそう言って、水尾先輩を見つめるのだった。
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