アレを越えない行為なら
九十九の様子がおかしい。
先ほどからなんとなくそう思っていたけど、こうして胸元に耳を寄せていると、それがはっきり分かってしまう。
今のわたしは上半身がずっしりと九十九の上に乗っかった状態だった。
それも布団の上。
なんとなく、「抱き枕」という懐かしい単語が頭をよぎった。
まあ、九十九を下にしている時点で、抱き枕にしているのはわたしの方と言うことになる。
改めて思う。
なんだ?
この状況。
どうしてこうなった!?
年頃の乙女としていかがなものかと思わなくもないけれど、これは魔法力の回復のために必要なものだと言われたら仕方ないとも思う。
医療行為、医療行為。
そう思い込まなければ、とてもじゃないけど、耐えられない。
救いは、こんな状態でもその相手である九十九が嫌がってないように見えることだろうか?
「九十九、……大丈夫?」
だから、思い切って口にしてみた。
今なら、なんとなく聞ける気がして。
「何のことだ?」
不思議そうに聞こえる低い声。
でも、その声にいつものような余裕と落ち着きが感じられない。
「九十九が、不安定だから」
「疲れているだけだ」
そっけない返答。
その言葉に嘘はない。
でも、もしかしたら、自覚がないのだろうか?
「いや、そんなんじゃなくて……」
なんと言えば、本人に伝わるかな?
気が付けば、九十九は感情の制御が凄く上手くなった。
出会った頃に比べても、成長しているのか、外からは凄く分かりにくくなっている。
でも、時々、本当に時々なのだけど、大きく揺れる時があるのだ。
「九十九の心臓の音が、ずっと、落ち着かない」
「――――っ!?」
わたしがそう言うと、九十九の身体がビクリと震えた。
「この状況で落ち着ける方が変じゃないか?」
ぬ?
それはわたしもそう思うけれど、九十九は違うでしょう?
「九十九はこんな状況でも、いつだって、腹立たしいぐらいに落ち着いている音だよ」
そのことが、本当に腹立たしい。
わたしを抱き締めているのは、事務的で義務的なものだと言わんばかりに彼はいつだって平然としている。
だから、わたしの心臓だけが、いつもよりずっとお仕事を頑張ることになる。
うん、負けるな我が心臓。
「でも、今日の音はなんか、違う。不規則って言うか、何だろう? 音の迫力? 感覚的なものだからよく分からないのだけど……」
ここまで九十九が心臓をバクバクさせているのは本当に珍しい。
「何か、悪いことを隠しているような、そんな不規則な動き? なんだろう? 上手く言えない」
嘘は吐かれていないと思う。
でも、何かが違うのだ。
先ほどからわたしが話しかけようとするたびに、いや、動こうとするたびに、身体もすぐに硬直している。
「兄貴から、何か聞いたか?」
「へ? 雄也……、さんから?」
雄也さんからは何も聞いていない。
でも……。
「あれ? 音が変化した」
先ほどと違う心臓の音に変わる。
バクバクしていたのが、少しだけ落ち着いた?
「これは、わたしの気のせい?」
改めて、問いかける。
「気のせいじゃねえよ」
九十九が大きく息を吐いた。
「そっか……」
九十九はやはりわたしに嘘を吐かない。
「それは、わたしが聞いちゃダメなこと?」
話せないことなら話さないでも良い。
でも、どこかで傷ついたなら、できれば教えて欲しいのだ。
九十九が痛みに耐えている時に、隠されるのはなんとなく嫌だった。
「言えば、お前はオレを軽蔑するだろう」
「軽蔑?」
九十九のことを?
なんで?
「それだけのことをオレはした」
「なるほど」
だから、わたしには言いにくいのか。
雄也さんの名前を出したと言うことは、兄から何か指示があったのだろう。
でも、真面目な護衛青年は、人の道を外れたことを嫌う。
だから、この状態は、九十九が罪悪感に苛まれているということなのかもしれない。
彼がやりそうなことで、わたしが軽蔑しそうなこと?
「それは、『発情期』以上に酷いこと?」
「はっ!?」
九十九がわたしに対して行った過去最高に酷いことが、アレだ。
だから、ソレを越えない行為なら、わたしは受け入れられると思う。
「ん~? 『発情期』とは、ちょっと違うか」
九十九はもう「発情期」にはならない。
でも、男性だ。
アリッサム城にはいろいろな女性がいたという。
絶対に、魔が差さないなんて、女のわたしには分からない。
「婦女暴行とかそんな話?」
「オレがそんな男に見えるか?」
かなり強い口調ですぐに問い返された。
その言葉に怒りを伴っている気さえする。
「いや、見えないよ」
自分がかなり酷いことを言った自覚はあるのだけど、それに対してそれだけの反発心をみせてくれたことが凄く嬉しいなんて、おかしいだろうか?
「九十九は『発情期』にならない限り、女性に酷いことをする殿方ではないと信じている」
それは本当のことだ。
だから、わたしも安心して、彼の傍にいる。
「『発情期』の時も、九十九は……」
さらに、うっかり余計なことを言いかけて……。
「……っていやいや、何でもない。何でもない。何でもない」
九十九がさらに硬直する気配がしたので、慌てて踏みとどまる。
この話は余計なことだ。
「発情期」の時の九十九は、確かに始めは少しだけ乱暴だったけれど、後からは……、なんて、そんなことを言われても、九十九だって困るだけだ。
アレは正気ではなかったのだから。
「ふきゅっ!?」
わたしを戒めるかのように、九十九が締め技をした。
苦しい。
「阿呆」
「ふ、ふえ?」
「こんな状態で、オレにあの時のことを思い出させるな」
それは低くて、聞いているだけで、どこか切なくなるような声。
そうだね。
九十九だって、あの時のことなんか、思い出したくもないよね。
「う、うん。ごめん」
わたしは謝るが、両腕は苦しいままだった。
「誓って言う。オレは婦女暴行の類はしていない」
改めてそう告げられる。
分かっている。
九十九はどんな状況でもそんなことはしない人だ。
「発情期」と呼ばれる状態すら耐えきってしまうほどの強靭な精神力を持っている。
そんな彼が、傷付いた女性たちをさらにそういった形で傷つけるようなことをするとはどうしても、思えなかった。
「だが、女たちを傷つけるような行いはした。それだけは事実だ」
それでも、そんなことを言う。
でも、婦女暴行以外に傷つけることってなんだろう?
「女性に暴力的な行いをしたってこと?」
九十九は女性に対しても敵と見なせば、攻撃することに迷いはない。
それはスヴィエートさんの襲撃の時にも見ているから知っている。
「女たちに、多少、力尽くになったことは認めるが、攻撃の意思はなかった」
「女性に対して、殴る蹴るの暴行はしてないってことね?」
「それは、逆にやられた側だな」
わたしの言葉に苦笑しながら答えてくれたが、それはちょっと聞き逃せなかった。
「それ、傷付いたのは九十九の方じゃないの?」
「オレは強化されていたから、掠り傷一つ負ってない」
その言葉に嘘はないのだろう。
九十九は平気そうに言うけれど……。
「あのね? いくら傷や痛みを負わないからって、その相手に攻撃して良い理由にはならないんだよ?」
だけど、わたしは許せない。
誰かに対して、治せるからって怪我させても良い理由にならないのと同じで、痛みがないからって、その人を攻撃しても良いはずがないのだ。
「女たちは薬や魔法によって眠っている状態だった。だから、その攻撃は、無意識の防衛本能のようなものだ。それは仕方がないことだろ?」
ぬ?
眠っている時?
つまりは、寝相?
「眠っている相手だったのか。それなら、多少暴れても、文句は言えないね」
それなら、九十九が平然としているのも分かる。
一方的に理不尽な攻撃を受けたわけじゃなくて良かった。
九十九は優しい。
だから、傷付いても笑っている気がする。
そして、わたしが深く傷つけたとしても、何事もなかったかのように我慢させてしまう気もしている。
それぐらい優しくて強すぎる人。
だから、わたしの前ぐらい、弱い所を見せて欲しいと思ってしまうのは、我儘なのだろうか?
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