精霊族の番い
「良かったのですか?」
「こればかりは、良いとも悪いとも言えませんね。精霊族の本能ですので」
黒髪の青年の問いかけに、大神官はさらりと答えた。
「大神官猊下は反対されるかと思っていましたが……」
「迷いと未練を断ち切るにはちょうど良い機会でしょう」
2人が見つめるのは、森の奥深く。
誰もその場所には立ち寄れないように結界を張った上で、大神官は成り行きに任せることにしたのだ。
仲立ちと言えば、聞こえは良いが、あの「聖女の卵」が知れば、激怒することは間違いなしの方法である。
尤もその「聖女の卵」は護衛の一人によってその動きを封じられていた。
本人たちにそんな意思はなくても、結果としてはそうなっているのがなんとも皮肉な話ではある。
「上手くいくと思いますか?」
「それはあのお二人次第なのでなんとも言えないところですね」
精霊族は本能的に「番い」を求める。
そして、その「番い」である女性側が「排卵期」と呼ばれる交配可能な時期になると、互いに「発情」するのだ。
人間の「発情期」とは違う。
「番い」がいる精霊族の場合は、その女性の「排卵期」にあわせて何度でも発情することになる。
勿論、発情して、交わっただけで次世代が確実に生まれるかは分からないが、精霊族は「番い」相手なら何度でもそれがやってくる。
そして、それ以外の時期に交わるよりも子を生す確率は格段に高い。
相手の妊娠可能時期が分かるのだから、当然の話だろう。
「勿論、リヒトさんのお気持ちを優先させましたよ。『番い』のお相手のことが気になってしかたないようでしたから」
あの長耳族の青年が本気で嫌がるようなら、阻止する側に回るつもりだった。
それだけの力はこの大神官も、黒髪の青年も持ち合わせている。
だが、あの長耳族の青年は迷いながらも「番い」を受け入れた。
本能に負けたのか。
それとも、それ以外の理由からなのかは分からない。
だが、当人が受け入れると決めたのなら、それを邪魔してしまうのは、逆に野暮というものである。
「ここ最近、集中力が欠けていました。ある意味、九十九以上に分かりやすかったですね」
あの長耳族の血を引く青年は、この島であの綾歌族の血を引く娘に出会ってからずっと、意識をしていた。
時々は、雄の欲望に酷く心を揺らされるほどに。
この島に来るまでは幼い容姿をしていても、自身の「番い」の気配に反応して成長し、「適齢期」となった精霊族だ。
その身体の成熟に伴い、種族維持の本能にも目覚めていた。
そんな自己の変化に戸惑いながらも自身を戒め、抑制していた姿をこの黒髪の青年は見ていたのだ。
だが、そこで、自身の弟を引き合いに出すのはどうなのかと突っ込みを入れる人間は、残念ながらこの場にいなかった。
「リヒトさんも、栞さんの前だったので、耐えるしかなかったことでしょう」
話題の精霊族が敬愛する人間。
人の世でも「聖女」と呼ばれ、「祖神変化」まで起こせるような強く眩しい魂に、惹かれない精霊族はほとんどいない。
そこには人間の神官以上に盲目的で純真な敬愛の情が注がれる。
そして、そこに男型の本能は湧き上がるはずもない。
手を触れることも許されないような存在に、どうして精霊族に過ぎない身が手を伸ばせると思うのか?
さらに、あの「聖女」の祖神は「導きの女神」と呼ばれる貞淑な女神だ。
そんな相手の前で、男型の本能をぶちまけることができるような精霊族の血を引く者は、本能の抑制ができないような状況に追い込まれていない限り皆無だろう。
「精霊族の本能は、その他の者には反応しないのですか?」
黒髪の青年は気になっていたことを確認する。
もし、あの綾歌族の娘が長耳族の青年を探そうとしなければ、身体だけ成長した精霊族が残るのだ。
それは、新たな問題を孕まないとは言えない。
「しませんよ」
だが、精霊族を知る大神官は答える。
「精霊族の『番い』に対する反応は、人間の『発情期』以上に強力なモノです。「番い」を見定めてしまえば、その者以外、そういった対象と見なしません。それだけ『魂の結びつき』が強いのです」
「それでは、その『番い』がいなくなってしまえばどうなりますか?」
黒髪の青年は重ねて問う。
「本来ならば、その精霊族は独り身を貫くことになります。そういった欲求が一切、湧かなくなるそうですよ」
「本来ならば?」
その言葉に黒髪の青年はひっかかりを覚えた。
「『番い』を失った精霊族たちに対しても、今回のこの島のように強制的な発情を促す手段がないわけではないのです。「番い」がいれば、その効果を感じることはありませんが、「番い」を失い魂の半身を削がれた精霊族たちには効果的だったことでしょう」
その言葉で、なんとなく、いろいろなものが繋がっていく。
何故、「小屋籠り」と呼ばれる儀式は、「番い」がいる精霊族は除かれるのか?
それは、男型も女型も強制的な発情を促す効果が薄くなるからだ。
尤も、男型が発情すれば、女型の意思など関係なかっただろうが、一応、周囲のためにもそんな名目はあったのだろう。
「因みにその強制的な発情を促す手段というものを、大神官猊下はご存じなのでしょうか?」
「はい。私も愛飲していますから」
「……は?」
大神官の言葉に、黒髪の青年は思わず目を丸くした。
「雄也さんもご存じでしょう? 以前、九十九さんにも少しだけお分けしましたので」
その言葉で、黒髪の青年、雄也はある薬草に思い至る。
調合に使っても料理に入れても、かなりの確率で興奮剤になる薬草の名を弟の口から聞いたのはいつの話だったか?
―――― 七酒草
神から齎されたとも言われているその薬草は、どう利用しても強い酒を7杯飲んだように酩酊状態となると思われていた。
だが、それを神官たちは、特殊な配合で「発情期」の興奮を抑える薬湯として利用していたらしい。
「前々から気にしていたのです。本来、稀少な植物であるあの『七酒草』を、一部の神官たちはどこで手にしていたのだろうと」
大神官にしては珍しい種類の息を吐く。
「あの薬草は、大聖堂内で育てられていたわけではないのですか?」
「いいえ。『七酒草』は、『神気穴』と呼ばれる大気魔気濃度の濃い場所のみ自生し、人工的に栽培できない植物なのです」
「『神気穴』ならば、城の周囲に生える植物と言うことでしょうか?」
雄也はそう口にしたものの、それは否定されることは分かっていた。
そんな身近にあるのならば、「稀少な植物」と口にするはずがない。
そして、「神気穴」は大気魔気濃度が濃すぎて人体に悪影響を及ぼす場所と言われているのだ。
だからこそ、どの大陸のどの国もその場所に強力な蓋をする。
城を建て、そこに住む国王や王族と呼ばれる蓋を。
それすらもなくなったから、アリッサム城の跡地は騒がれたのだ。
建物だけでなく、本来あったはずの「神気穴」すら。
尤も、騒いだのは、それを知る他国の王族や一部の神官たちのみなのだが。
公には「神気穴」の存在など知られていない。
いつの時代、どこの世界にも事実を捻じ曲げる輩は一定数いるのだ。
大気魔気が濃ければ、人体に有害であり、城はそんな場所に建てられているなど吹聴されてしまえば、城に人が集まらなくなる。
「あの植物は、城の周囲に生えることはほとんどありません。ああ、勿論、ジギタリスの城樹は例外です」
大樹国家ジギタリスは、城樹と呼ばれる巨大な樹が城の役割を担っている。
確かにあの場所の周囲ならいろんな薬草が生えていても驚くことはないだろう。
「あの樹木たちは神樹なので、周囲に聖草が生えることも珍しくありません」
余計な情報が追加された気がする、と、雄也は思った。
ジギタリスを形成する四本の樹木が神樹であることは知っていた。
雄也の生まれはその隣国であるセントポーリアだ。
それぐらいの知識は持っている。
だが、その周囲に聖草が生えることもあるとは知らなかった。
雄也たちが訪れた時には見当たらなかったから、恐らく、定期的に誰かが回収しているのだろう。
そんなものを見つけていたら、妙に植物好きなあの愚弟が反応していないはずがないのだから。
「他には、セントポーリア城下にある森も、『御霊光草』と呼ばれる『霊草』が咲き誇っていてもおかしくないほど、大気魔気が濃い場所ですね」
さらに続けられた言葉。
セントポーリア城にいる人間でも、国王やその秘書以外は知らないような事実を、大神官は雄也に向かってあっさりと告げたのだった。
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