離れるたびに増大する
―――― コンコンコン
起きた気配を感じたので、その扉を叩くと……。
「はい」
いつものように無防備な返答があった。
「やっぱり起きていたな? 気分はどうだ?」
そう呼びかけながら扉を開くと、目に入るのは寝台に腰掛ける主人の姿があった。
そのあまりにも変わらない光景に安心していると……。
「……へ?」
何故かその黒い目を見開かれた。
寝ぼけているのだろうか?
「まだ、ぼ~っとしているか?」
どこかぼんやりした様子だ。
無理もない。
彼女は眠らされたらしいのだから。
まだ、状況が把握できていないのだろう。
「本当に大丈夫か?」
さらに顔を覗き込むと……、その黒い瞳が微かに揺れた。
「つかぬことをお伺いいたしますが……」
「なんで、オレに対して、敬語なんだよ?」
まだどこか夢を見ているのか?
「いや、よくできた九十九の幻だなと」
さらに酷いことを言われた。
「お前は本物と偽物のオレの区別も付かんのか?」
オレは大きく息を吐きながら、額を押さえることしかできない。
オレはどんな状況でもこの主人……、栞の真贋を見抜く自信があるというのに、この主人にそれはないらしい。
「なんで九十九がここにいるの?」
「帰ってきたからに決まってるだろ?」
「早くない?」
栞は可愛らしく首を傾げる。
抱き締めて良いか? この主人。
しかも、寝台の上に腰掛けたままだぞ?
もう今更過ぎて、突っ込む気にもなれないけど。
「オレも、もう少しいるつもりだったけどな。呼び戻されたから仕方ねえだろ」
「呼び戻された?」
そう言いながら不思議そうな顔をする。
何故だろう。
離れるたびに、この主人の愛らしさが増大してしまうのは。
一つ一つの仕草と表情の破壊力が半端ない。
「通信珠が使えない距離……だよね?」
「通常、兄貴との連絡用に使っている通信珠は無理だな。お前に渡している物や、各国の城や各地の聖堂、大貴族の館に備え付けてあるものよりは感度が低いから」
まあ、中継器を使えばマシだろうけど、アレは僅かながら傍受の恐れもある。
何より、今は、あのアリッサム城やこの島から、通信珠を発信しない方が良いとオレも兄貴も判断していた。
「もしかして、アリッサム城に通信珠があった?」
「いや、流石にそれはない。確かに、あの建物内で通信珠が置かれていたという部屋は見つけたが……、まあ、通信珠を設置したままってことはしないだろう。捕らえていた人間たちに外部との連絡を取る手段を少しでも与えるわけにはいかないからな」
一応、各部屋の掃除の際に、水尾さんと確認したが、やはりそこには何もなかった。
言われなければ分からないぐらい何も置かれていない空き部屋だったのだ。
「じゃあ、どうやって呼び戻されたの? まさか、雄也さん、九十九の夢の中に入った?」
「いくらあの兄貴でも、あれだけ距離があると、オレや水尾さんの夢の中には入ってこれないと思うぞ」
どんな発想だ?
いくら兄貴でもそんなことができれば、できないよな?
流石に距離があり過ぎるよな?
「伝書を使ったんだよ」
「伝書?」
「お前も千歳さんと手紙の遣り取りをしているだろ? アレのことだ」
「ああ、その手があったのか」
手紙と言えば伝わった。
まあ、人間界では「伝書」なんて言わないだろうからな。
「届くかは賭けだったみたいだがな。オレが一度ぶち破った場所に兄貴の魔力を感じた気がしたから、そこに行ってみたら、『状袋』……、封筒が落ちていた」
「オレが、一度、何?」
何故か、そこを気にされた。
いや、普通は、あんな高い場所まで届く伝書に驚くところだよな?
「最初に水尾さんを迎えに行った時、ぶち破った……、壁だな」
「城ですよね?」
言い直すと、確認された。
「明らかに対策を取られている入り口や窓から侵入するよりは、壁の方が脆かったんだよ」
最初に向かった時、出入り口と思われる所には結構な人数が配置されていたように見えた。
それを避けて……、壁をぶち壊して入ったのだが、その話はしてなかったか?
まあ、良い。
そんなことは些細な話だ。
それよりも……。
「だから、オレがいなくなった後の、大体のことは伝わっている」
そこだけは先に伝えておこう。
「そっか……」
「まさか、大神官猊下自らが、来るとは思っていなかったけどな」
兄貴がどんな手を使って呼び出したかまでは書いていなかったが、港町の酒場の店主に連絡を取ったことだけは間違いない。
普通に考えれば「伝書」だろうが、人目の多い酒場や聖堂にはあまり有益な手段とは言えないだろう。
「それと、リヒトのことも戻ってから聞いた。法力を使える可能性が高いんだってな」
それについては、最初に渡された報告書に書かれていた。
「大神官さまが言うには、高位の神官並の法力を使えるかもしれないって」
「へえ……」
そう言った栞の瞳が微かに揺れた。
何かを我慢しているかのように口を結ぶ。
「大神官猊下の見立てなら、確率じゃなくて、もはや、確定って気がするな」
オレがそう水を向けると、その口はさらに堅く結ばれる。
なんて、分かりやすい女だ。
体内魔気の気配を読むまでもなく、その表情が言っている。
「でも、お前はリヒトを神官にさせたくないんだよな?」
オレがそう口にすると、はっとしたような顔を向ける。
そんなこと、このオレが気付かないと思ったか?
「お前の気持ちは分からなくもない。今の神官の中には碌でもない人間も少なくないみたいだからな」
それは、これまでに何度も思い知らされたことだ。
王女殿下の命令があったとはいっても罪状がはっきりしないまま、少女を追いかけて捕らえようとする見習神官たち。
大神官の美麗な姿絵が褒賞として掲げられていた以上、あれは、王族命だったと言い逃れのしようもない。
しかも、栞に乱暴を働こうとしたヤツもいた。
万死に値する。
昇格試験に巻き込まれ、準神官の相手をさせられたが、いずれも、頭を使わないようなヤツらだった。
確かに、ヤツらよりオレの方が魔法は強い。
じゃあ、お前らの職はなんだ?
お前たち神官は魔法使いではなく、「法力使い」だろ?
だが、実はそれ以前の問題だった。
大神官が倒れたぐらいでオタついて、集団だというのに混乱し、行動不能に陥るとか、それでも表面上、神に仕える神官か!?
そんな無様を晒して、いざという時に迷える子羊を救えるか。
そんな情けない心持ちだったから、大神官は喝を入れるために、オレに指輪を渡すことになったんだよ。
そして、栞に惚れた高神官。
あれは、仕方ない。
栞だからな。
だが、その心のまま、その髪や素肌に触ろうとするな。
あれだけ栞が怯えるなんて本当に珍しいんだぞ?
何より、年齢差を考えろ、エロジジイ。
さらに、栞が化粧で雰囲気を変え、ストレリチア城下にて、大神官と共に、聖歌を歌い、「聖女」の資質を見せた途端、多くの神官たちが彼女を求めだした。
それまでずっと素顔のまま、ストレリチア城にいて、定期的に大聖堂にも顔を出していたことすら知らなかったくせに。
中には強硬手段を取ろうとして、まあ、オレだけじゃなく、兄貴や大神官、時には王族たちからもかなりの懲罰を食らっている。
本来、神官たちの罪は王族であっても裁くことが許されていない。
神官を裁けるのは神だけなのだ。
だから、神官たちは「贖罪の間」という部屋に送り込むことになるのだが、その前に命を奪わない限り、多少の暴行を許されていた。
認定されていないだけで、「聖人」に等しい存在である「聖女の卵」に手を出すような不届きな輩は、多少痛い目を見た方が良いと、大聖堂とストレリチア王族たちが判断してくれたためだ。
さぞかし、私情が絡みまくった協議だったことだろう。
だが、実は、一番苛烈だったのは、あの大神官だったと王女殿下や兄貴が言っていた。
そのために、多少の暴行許可が下りたのかもしれない。
ストレスの多い職場らしいからな。
その後もいろいろあった。
栞が「聖女の卵」となったことで、これまで意識していなかった神官たちの一面を見る機会が格段に上がることとなったのだ。
ストレリチア城で過ごしていた期間も平穏な日々だったとは言い切れなかった。
カルセオラリア城の崩壊に巻き込まれ、大聖堂で兄貴が療養している期間も同じだ。
最近では、立ち寄っただけの港町でもトラブルに巻き込まれている。
実害は、聖堂にいた神官によるものだったが、それは偶々で、栞が「聖女の卵」を公言しなくても、視る眼のある人間がいるだけで現役神官じゃなくても危険があることは分かった。
これらだけでも神官に対する印象が良くなるはずもなく、これから先も、それが増えていくことだろう。
勿論、悪い神官ばかりではないのだろうが、「聖女の卵」に向かって積極的に手を出そうとするのは、どうしたって我欲に塗れた打算だらけの神官の方が多くなる。
神官という立場は、王族とは別の意味で特権階級なのだ。
そして、時として、その権限は王族たちすら抑え込む。
だから、世界が狭くなる。
自分の考えが絶対だと信じて。
だが……。
「だけど、オレにはリヒトの気持ちも分かる気がするから、反対はしたくない」
何も持たない身としてはそう思ってしまうのだ。
栞のために、使える武器は増えた方が良いと。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




