今にして思えば
「戻ったぞ」
島に戻ったオレは、例の温室に顔を出した。
そこに栞がいないことは気配で分かっているが、オレを呼び戻したのは兄貴だ。
それなら先に顔を見せるのは兄貴であるべきだろう。
それにこの気配……、栞は絶対に眠っている。
静かで落ち着いていて、ある意味、一番栞らしさを感じる気配。
それなら、起こしたくはなかった。
「ああ、お疲れ」
机に向かっていた兄貴が顔を上げる。
「お前が戻ったということは、伝書は無事に届いたのだな。世界中、どこにでも届くという煽り文句は誇張ではなかったらしい」
「送ろうと思った発想に驚きだよ」
届かなければ無駄になるのに。
「なに、少しばかり高さがあるだけで大した距離ではない。『伝書』は人間界にも届くようなものだ」
「あ?」
今、不思議な言葉が聞こえた気がするが、気のせいか?
「千歳さまは、『伝書』で人間界のご実家に、いや、兄君と遣り取りをしている」
「高度関係なく、惑星、越えてんじゃねえか!!」
兄貴がそれを知っていたならば、送ってみようと思ったのも分かる気がした。
「そう考えると、転移門に原理は近いかもしれんな」
「ちょっと待て。遣り取りってことは『返書』が来るのか?」
その言葉だけで、一方的に手紙を送りつけているだけでなく、ちゃんと向こうからも送られてくることが分かる。
「千歳さまの兄君は柔軟な方のようでな。『書簡紙』、『状袋』、『封緘紙』を入れて使い方をお伝えしただけで、見事に使いこなしておられるらしい」
それには俺も驚いたと兄貴は続けた。
「『封緘紙』の魔力込めは?」
「書簡紙」、「状袋」については、人間界で手紙を書く時に使う普通の便箋と封筒と変わらない。
インクについては指定がないから、人間界のものでも大丈夫なのだろう。
そして、配送料となる切手も要らない。
だが、封入する時に使う「封緘紙」については別だ。
あれに触れて魔力を込める必要がある。
そして、栞はそれが苦手だ。
ストレリチア城で若宮……、王女殿下の世話になり始めた時に母親へ初めて手紙を書いたのだが、その時に見事に粉砕して書き直すことになった。
それ以来、「伝書」については、必ず、オレや兄貴に頼んでいる。
「封をする時に、その紙片に触れて願うと説明だけしたらしい」
「それって、栞より、上手く魔力を扱えてないか?」
……というか、栞以上に、魔法ってやつを受け入れてないか?
確かに人間だって、多少の魔力は持っているし、魔法も使うことができる。
千歳さんが分かりやすい例だ。
その兄……、一体、何者なんだ?
「自分の妹が20年ほど行方不明になって、戻ってきた時に娘と共に魔法使いになっていれば、大半のことは受け入れられるらしい」
「いや、千歳さん、記憶封印していたよな?」
だから、その辺りの事情は説明できていなかったはずだが?
「この世界に戻ってくる前に千歳様と共に話をさせていただいた。まあ、千歳様とは別の意味で、変わった御仁だったよ」
「……って、会ったのか!?」
しかもいつの間に?
千歳さんが、記憶を取り戻したのは、オレが栞と再会して間もなくだ。
それから、一ヶ月も経たないうちにこの世界に来ているのだから、その短期間にそんな手はずを整えたことになる。
「お前たちが温泉旅行に行っている間にご挨拶させていただいた」
「あの時か!?」
「生憎、急なことで、航空券がその日しかとれなくてな。本来なら、栞ちゃんも連れて行くべきだったのだが……」
いや、それ、これまで言わなかった辺り、絶対、意図的だったろう?
そして、どうりで、あの時期に栞たちが宿泊を伴う旅行に行くことに対して、千歳さんだけでなく兄貴もあっさり許可したわけだよ。
あの頃、親しい友人たちだけで人の少ない地域に行くことに危険がないわけではなかった。
実際、あの紅い髪から栞と若宮が襲撃を受けている。
……って、あの場所に栞を誘ったのは若宮だったが、それは来島の誘導によるものだったと聞いている。
なんで、あの場所に紅い髪が現れたことに疑問を持たなかったんだ、オレ!!
今にして思えば、あからさまな罠じゃねえか!!
「大事な妹君をお預かりするのだ。本来なら、千歳様を保護する陛下にご足労いただくのが筋だが、立場上、それも適わないので、まあ、畏れ多くも俺が名代という形だな」
なんだろう?
この微妙に外堀を埋めているような感覚。
逃げないと分かっていても、千歳様の逃げ場を断つかのように、身内から攻める気が満々の兄貴の姿が見えた気がする。
そして、千歳様とともに現れた、若い異性を見て、相手のその兄君とやらはどう思ったのだろうか?
魔法云々よりも別の誤解で頭がいっぱいになっていたかもしれない。
何より、兄貴のことだから、そう思わせるように言葉を選んで思考を誘導していた可能性すらある。
そして、そんなことをこの兄貴は今のオレよりも若い17歳の時にやっているのが恐ろしい。
オレにはできんな。
誰かに捕まるよりも、誰にも捉えられることなく無事に逃げて欲しいから。
「これまでの記録は?」
兄貴はオレに向かって、机にあった紙の束を差し出しながら問いかける。
「ちゃんとつけいているよ」
オレたちにとって記録を付けることは食事と同じぐらい日常の一部となっている。
食事と違って、少しぐらい記録を付けなくても死ぬことはないだろうが、精神的に落ち着かなくなるのだ
特に、栞に対する自分の気持ちを自覚して以降は、少しでも書き記したくて仕方がない。
これは、一種の病気かもしれんな。
「これが、アリッサム城内部の現状。こっちが、残されていた女の特徴だ。まだ、まともに会話ができる女はいないから、名前とか事情諸々は聞き出せていない」
オレが報告書を渡しながら、そう告げると、兄貴が顔を顰めた。
「そこまで酷いのか」
「おお。酷いのになると口から出る声は言葉になってねえ。叫び声や、呻き声を含めて奇声だった」
それも、栞が驚いた時に出るような可愛いものじゃない。
まるで、人間の言葉を忘れたような声だった。
だから、余計な仕事が増えたのだが。
「まともに話ができそうに見えるヤツでも、薬の効果で思考がまともじゃなかった」
支離滅裂で呂律が怪しい言葉の羅列を聞いた時、栞を連れて行かなくて本当に良かったと思った。
あまりにも纏まりがない上、内容的にも品がなく、使われる単語も卑猥すぎて、理解が及ばなかった可能性もあるが。
それらが魔法の効果なら、大半のものは解呪できたかもしれない。
だが、薬では難しい。
水尾さんは、「解毒魔法」そのものが使えなかった。
相手の体内魔気で悪意や精神的な異常まで計れてしまう王族や側近たちだ。
だから、毒に侵されるような状況になることを想定していないらしい。
仮に毒に侵されても、周囲の者が助けてくれる。
全てを王族が担う必要はないのだ。
だから、それが平時なら、専門家に任せる判断は間違っていないだろう。
オレは、「解毒魔法」が使用できるが、その効果は身体に有害な物質が入り込んだ時にそれを外に排出する種類の物だった。
他者に対しても使えるが、明らかな「有毒」ではなく、身体が害と判断しないような「薬」に対しては効果がない。
そして、今回、衰弱や症状の激しい人間たちだけに、試す意味で「解毒魔法」を使ってみたが、一番、肝心な「催淫効果」は消えなかった。
「催淫効果」については、身体が生命力を害するようなモノと判断しなかったためだろう。
もしくは、単純にオレの「解毒魔法」の有害判定基準が甘いのか。
そして、厄介なことに、手足の麻痺とかそれ以外の雑多な効果は消えてしまったために、余計にその効果だけが際立つことになってしまうことになる。
つまりは、言葉は悪いが、「発情期」のように、ヤりたくて仕方がない思考に憑りつかれたらしい。
それも、相手が誰でも良いという辺りが救えない。
尤も、女装はしていても、明らかに男の体格をしたオレよりも、顔の整っている水尾さんの方を選ぶ辺り美醜の判断は正常ではあった気もする。
勿論、「解毒魔法」を施した全ての女がそんな状態になったわけではないが、一部の女たちに現れた病的なまでにナニかを求める様は、男のオレでも引くぐらいだ。
同性である水尾さんには耐え難かったのだろう。
甲高い叫びと共に、「昏倒魔法」が容赦なく振るわれることとなる。
その後の処置が楽になったのは、ある意味、水尾さんのおかげだ。
「その『催淫効果』は一度、ヤれば消えるようなものか?」
周囲に誰もいないためか、兄貴の言葉に遠慮がない。
まあ、話は早くてこちらも助かるが。
「いや、もっと質は悪そうだった」
そもそも、そんな簡単に消えるようなモノをヤツらが使用するとは思えない。
「そうだろうな。『発情期』のようにたった一度で満足させてしてしまうようなものでは、逃がさないための囲いが弱くなる……か」
その言い方はどうなのだろうと思わなくもないが、あの場所を利用していたヤツらの目的としてはそれだろう。
相手から望まれたからと罪悪感も薄くなるし、調教……、教育もしやすくなる。
「それならば、かなり搾り取ってくれたことだろうな」
兄貴が目配せをする。
その意味を理解できる立場にオレとしては、複雑な心境ではある。
オレは栞が幸せならそれで良いが、そのために何の関係もない他者の不幸を願うほどの歪みはない。
だが、兄貴は違う。
彼女たち母娘の幸せのためなら、それ以外の者はどうでも良いのだ。
「……多分な」
そう言いながら、今回、あの場所に出向いた最大の目的を渡すと、兄貴は満足そうに頷いたのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




