緋色の髪の貴婦人
「ユーヤ」
不意に呼び止める声で雄也は足を止め、声の主の方に身体を向ける。
両手を交差して跪き、身体を倒して、顔だけを上げた。
雄也の視線の先には、紫苑色の瞳をし、目にも鮮やかな緋色の髪を高く結い上げた女性が立っている。
「これは、王妃殿下。ご機嫌麗しゅうございます」
雄也は悠然と微笑む。
「恐れながら申しますと、このような時間に供もつけずに歩かれては城内といえども危険です」
「王妃である私が城内のどこを歩こうと勝手じゃ」
王妃は素気なく答えた。
それでも雄也はその笑みを崩さずに続ける。
「普段ならその通りですが、今は状況が悪いと思われます。国王陛下からも暫くは単独の行動を控えるよう伝えられたのではありませんか?」
「ああ、あったな。あったが、大したことではなかろう。陛下は心配性なだけじゃ。あの方が慎重なのは美徳ではあるが、少々のことで慌てるのは程度が知れるというもの」
コロコロと王妃は持っている黒い扇で口元を隠しながら笑う。
「中心国の王族が不明になったそうです。それ故、陛下が心配するのは当然のことでしょう」
「何? それは誠か?」
雄也の告げた言葉は、流石に王妃にとっても驚くべきことだったようだ。
いつもは細く鋭い目が大きく見開かれる。
「詳しいことはまだ分かりませんが、今、私が口にしたことについては相違ないと思われます」
「ほう。箝口令が敷かれておるのだな。では、このままお前を問い詰めたところで得るものは少ない。じゃが、私が聞きたいのは陛下の命令についての詳細ではない。それ以外のことなら答えられるな」
王妃は持っている扇で口元を隠しながら、問いかける。
その言葉には拒絶を許さないという命令が見え隠れしていた。
「私に分かる範囲でなら」
そう言って雄也はにっこりと微笑んだ。
雄也にとって王妃がすぐに自分に対して接触を図ろうとするのは予測していることだった。
あれだけ王妃の興味を引く存在がこの城にあったのだ。
それに近付いた人間に探りを入れるのは当然のことだろう。
だから、王妃が現れても不自然ではなく、かつ自分がいても問題のない場所にいたのである。
「では、単刀直入に問う。ダルエスラームが連れてきたあの小娘は何者じゃ?」
王妃は王子の部屋から出てきた少女を見ていた。
それも城から出るまでずっとその監視を続けていたのだ。
当然の問いかけだろう。
「最近、隣国のユーチャリスより、こちらの城下へ参った町娘だと申しておりました。何分、彼女を連れてこられたのは王子殿下なので、何故この城に来ることになったのかは分かりませんが」
その点に関しては、雄也も予測できないことだった。
まさか、城下で過ごしているはずの少女が、城下の森に迷い込んだ上、そこを王子に拾われるなど、二十年近く昔の出来事を再現したかのようなハプニングである。
しかし、それを王妃にそのまま告げれば、要らぬ怒りを買うことになるので、詳細については王子に任せることにした。
「本当に、ただの町娘か?」
だが、王妃にとって息子と町娘の出会いのきっかけなどどうでも良かった。
問題は、あの娘の出自。
それだけである。
王妃の目が鋭く光り、雄也を捉える。
「……と申しますと?」
だが、それぐらいで動じるような男なら、王妃もわざわざ自ら出向く必要などなかった。
「お前は似ておるとは思わなかったか?」
「どなたに、でしょう?」
明らかな探りもさらりと流そうとする。
「お前が分からぬはずはないだろう? ユーヤ。あの娘は10年ほど前、姿を晦ましたあの女に雰囲気が酷似していたのだ」
これは女の勘……というやつだろうか?
多少、外見……、表面上をごまかしをした所で、王妃には通じないらしい。
彼女は魔気も感じられないため、魔界人の視点から見れば、その雰囲気などほとんど別人である。
そうであるにも関わらず、王妃は「酷似」していると言い切った。
それも、直接会ってもいないのにも関わらず。
いや、思い込みの激しい王妃のことだから、息子に近付く女は全て彼女の関係者という目で見ていてもおかしくないのだが、その点において、雄也としては頭の痛い話だった。
「あのお方は黒髪、黒い瞳でした。それに先ほどのお嬢さんとは年の頃も随分違ったように思われますが……」
「あの女には、よく似た娘がいただろう」
「娘もやはり黒髪、黒い瞳でしたよ。それにもう少し、魔気もはっきりしていた覚えがあります」
少なくとも、あそこまで魔気を感じないはずはないほどに。
「ふん。姿や魔気など誤魔化しようがないわけではない。例えば……、そう、お前のように気の回る男が傍にいたとしたら、いくらでも方法が考えられるはずじゃ」
「その点においては否定する気はありませんが……、あのお嬢さんは私ではなく王子殿下がお連れした方ですよ?」
誤魔化しもせず、雄也はそう言った。
この王妃に対して、嘘を吐いたところで仕方がない。
寧ろ、本当のことを言って疑ってくれた方が楽なのだ。
「あれから10年も経っておる。あの子も覚えておらぬわ」
「そうでしょうか? 王子殿下は基本的に他人に関心を持ちません。ですが、あの母娘には並々ならぬ感情を抱いていたご様子。多少、姿を変え取り繕ったところで見破ってしまうかと思いますが」
通常ならば……、そうだったと雄也でも思っている。
少しぐらい外見を変えたところで魔界人の感覚、直感と呼ばれるものを、それも王族クラスを誤魔化すことは容易ではない。
実際、王妃はあの娘を怪しんでいる様子である。
それ故、彼女は魔力だけではなく、記憶まで封印し、全く別の人生を歩もうとしたのではないだろうか。
……つまりは、全く別の人間になるために。
「のう、ユーヤ。お前は、本当にあの女たちの行方を知らぬのか?」
王妃はさらに瞳を鋭くし、跪いている雄也の顎を扇で持ち上げる。
高貴な身分の女性よりこのような扱いを受けるなど、並の男なら萎縮し、震え上がってもおかしくない。
だが、雄也にしてみれば、もう何度も耳にしてきた言葉だ。
王子からも王妃からも、それ以外の人間たちからも。
聞き飽きた感すらある。
「私たち兄弟はあの日……、あの方々から捨てられたようなものです。後を追って姿を消してしまった弟はともかく、私は、自分を裏切るような人間に執着を持ちませんよ」
顔を上げさせられた状態にも関わらず、雄也は不敵な笑みで答える。
「ふん……。お前の言うことは信用できん」
「私も自分がここまで信頼できない人間に育ってしまうとはあの頃、思いもしませんでした。そういう意味では、あの方々に今の自分は見せることなどできません」
「つまり、あの女がお前を捨てたから……、お前という男はそこまで堕ちてしまったというわけだな」
悲哀の籠もった雄也の言葉に、王妃は満足げに頷く。
この青年は、王妃にとって、憎々しく思う女が大切にしていた人間の一人だ。
それが、僅かでも目を離したために他人より無遠慮に手折られていると知ったら、綺麗事を述べていたあの女はどう思うだろうか?
「何も持たぬ身で、たった一人、この城に残されたからには、汚くならねば生きられませんでした。結果として、私はいろんな人間を……、陛下すら裏切るような者になってしまった自覚はあります」
「そうだな。何も持たず、たった一人でこの城に自分の居場所を手に入れるのは並大抵のことではできぬ」
そう言って王妃は雄也から視線を外す。
この広い城で自分を保ち続けるのは簡単なことではない。
それが王や王妃であっても、周りから蹴落とされる可能性というのは全くないわけではないのだから。
「では、私も居場所を守るために、今だけ陛下の命に従うとするか」
そう言って王妃は、雄也に手を差し出した。
それを見て、雄也は微かな笑みを浮かべつつ、無言でその手をとって立ち上がる。
「ユーヤ、部屋まで供をせい」
「畏れ多きお役目。承ります」
雄也は手をとったまま、軽く一礼をした。
次話は本日18時に更新します。
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