無事、帰宅
「遅かったな」
城下の森を抜けると、そこには九十九が立っていた。
その言葉から、ある程度の時間、待っていてくれたのかもしれない。
わたしは結局、一度も通信珠を使わなかった。
いや、使おうとは思ったけど、その暇がなかったのである。
だから、わたしの代わりに雄也先輩がしっかり連絡を入れてくれたのだろう。
九十九がどれだけ勘が良いからって、なんの情報もなしにこの場所で待っていたとは思えない。
彼の声には多少の苛立ちは含まれていたけれど、表情を見た限りではものすごく怒っているという印象は感じられない。
そのことに少しだけホッとする。
ハラハラドキドキが盛りだくさんだったお城からようやく解放された後に、九十九から更なるお説教を頂くのはかなりつらい。
「そう言うな。こちらもいろいろあったんだ」
雄也先輩がわたしの代わりに返事をしてくれる。
「……だろうな。いつもみたいに呑気な顔をしていやがったらオレももっと怒りに任せた行動をできたかもしれんが、その様子だとあまり平和なことはなかったようだな」
確かに平和なことは何もなかったと言い切れる。
驚きと混乱が交互にやってくる感じだった。
……ってか、迷子になった時点でそうなる要素は何一つないと思う。
寧ろ、あんな状況で無事に帰れたことを喜んでほしいぐらいだ。
「そちらの状況は?」
「さっき報告したとおりだ。あれから何も変わっちゃいない。だから、落ち着いたと言えば、落ち着いたな」
九十九は溜息を吐く。
なんとなく疲れているような……?
「そうか……。それなら後は任せる。俺は城で事後処理が残っているからな」
「オレの判断で対処して良いのか?」
「最終的な判断は千歳さまか栞ちゃんにしてもらえ。それ以外の些事……、細かいことは臨機応変に対応しろ」
「分かった」
それだけで数日振りに見る兄弟の会話は終了し、雄也先輩は再び城下の森へと足を向け、あっという間に消えていった。
なんというか、彼らは兄弟の会話っていうより、上司と部下って感じがする。
尤も、先ほどの会話から察するに、わたしの知らないところで連絡を取り合っているみたいだけど。
何気に報告、連絡、相談がマメな兄弟だよね?
それってちょっと凄いと思う。
「とりあえず、戻るぞ」
そう言って、九十九は手を差し出す。
わたしはその意味を察して、無言でその手を握ると、ほぼ同時に移動魔法独特の空気が変わる感覚に包まれた。
そして、瞬きする間もなく見慣れた場所への移動は完了していた。
城下の森から出たために、魔法の制限はほとんどなくなり、移動魔法が使えたようだ。
城下にも結界はあるけれど、移動魔法を制限するほど強いものではないと聞いている。
それでも、他人の家には勝手に入ることができないように、家にはそれぞれ個別の結界があることが多いらしい。
まだ一ヶ月ほどしか住んでいない家だけど、それでも、先ほどまでいた場所よりは、ホッとすることができる。
ここまで来て、無事に帰ることができたという実感がようやく湧いてきたのだった。
「さて……、お前に話があるのだが……」
「ご、ごめんなさい!」
九十九の言葉を遮るように謝罪の言葉を口にする。
こう言ったことは早めに済ませたほうが良いのだ。
「あ?」
だが、九十九は変な声を出した。
あ、あれ?
話って、お説教じゃないの?
「え? 勝手に城下の森へ入り込んだ結果、迷子になってしまったことを怒られる時間の始まりじゃないの?」
わたしの言葉に一瞬、九十九は眉間に皺を寄せたが……。
「……それについては、正直、色々、山ほど! 言いたいことはあるんだが、今は良い。頭の隅っこにでも置いておけ」
あっさりと、そう言った。
「へ?」
「お前がいなくなっている間に、こっちもちょっと面倒なことが起きたんだよ。そっちの問題をなんとかする方を優先する」
「面倒なこと?」
わたしを怒るよりも先にしなければならないほどのことってことになるわけだが、そんなことに思い当たらない。
まさか……、母の身に何かあったとか?
いや、それならいくら何でもこんなにのんびりしてはないとは思うけど……。
「状況は見れば、分かる。黙ってついてこい」
そう言われたので、これ以上は何も聞かず、家に入った。
九十九は兄である雄也先輩には、しっかり連絡しているようだけど、わたしには説明が足りてないと思う。
いや、雄也先輩と違ってわたしの察しが悪いだけ?
そして、すぐに母と遭遇した。
やっぱり母に何かあったとかではないようだ。
そのことが分かって少しホッとする。
でも、それ以外に何があったというのだろうか?
「お帰りなさい」
「た、ただいま……。と、ごめんなさい」
「雄也くんも九十九くんも優しいから、貴女を責めることはしていないかもしれないけれど……」
ゴンっと頭上から、わたしにとって、耳慣れた音が聞こえた。
「少しは、自分の行動の迂闊さを反省なさいね」
そう言って、笑顔で鉄拳制裁。
「あたたたた……」
わたしは頭を押さえる。
来るとは分かっていても、久しぶりに食らうとそれなりに痛い。
「ち、千歳さん……」
そんなわたしたちを見て、九十九の方が動揺していた。
「結果として良い方向に転がったのかもしれない。けれど、それとこれとは別問題だからね」
「良い方向?」
あまり良い方向に転がったことがあったとは思えないんだけど……。
頭、すっごく痛いし……。
「では、母親としての役目は終わり。申し訳ないけれど、ここから先は、九十九くんに任せちゃうわね」
「は、はい……」
九十九の返事に満足そうに頷いた母は、そのまま、部屋へと向かっていった。
どうやら、わたしたちの帰りを待っていたらしい。
反省……。
「千歳さんって……、基本笑顔が多いけど、怒ると結構、迫力あるよな」
「それが母だから……って、あれ? なんで九十九がそれを知っているの?」
初めて見たにしては、動揺する様子はあっても、驚いたというほどではない。
ワカですら、初めてあの母の変貌を見たときは固まっていたのに。
「昔、世話になっていたからな」
「ああ、なるほど」
記憶にないけれど、わたしたちは幼馴染だという。
それならば、あの母のゲンコツを知っていてもおかしくはない。
もしかしたら、体験済みの可能性もある。
そう考えると微笑ましく思えた。
小さい九十九……。
ちょっと、見てみたかったな。
なんで少しぐらい記憶を残してくれなかったんだろう、過去の自分。
「でも、やっぱり兄貴の愛がない拳とは全然違う気がする」
雄也先輩のあれはあれで愛がある気がするけど、余計なことを口にしても仕方ないので黙っておいた。
「で、結果として千歳さんからもこの場を任されてしまったってことか。つまり、お前が判断を下すってことだな」
九十九の目が鋭くなった。
な、なんだろう?
その言葉には不穏な空気しか感じない。
「な、何の判断?」
「こっちだ」
わたしの質問に答えることなく、九十九は先に進んで……ある部屋の前で足を止めた。
「ここって……」
九十九の部屋……だよね?
わたしが場所を間違えてなければ。
部屋の入り口はどれも似ているので、自信がない。
基本的にこの一ヶ月は自分の部屋と広間、台所くらいしか出入りしていないし。
コンコンコンと、九十九が扉を叩く。
「へ?」
わたしは目を丸くした。
何故にノック?
雄也先輩はいないし、母だってさっき別方向に行ったはずだ。
当然ながらノックに対しての反応は何もない。
そして、わたしの考えがまとまる前に、九十九は無造作にガチャリと部屋の扉を開いた。
その中は、わたしが生活している部屋とは違って、もっとシンプルな感じの部屋に見える。
余計なものがほとんどなく、住んでいるのかどうかも分からないような印象。
わたしの部屋にはもっと本やちょっとした小物があるから。
でも、ここは、その部屋の主が自分の匂いを残したくないような雰囲気があった。
そして、そこにはやたらと存在感のあるベッドがあり、さらには不自然に盛り上がっている。
「もしかして、誰か……いるの……?」
わたしたち以外に?
そして、何故か彼の布団で休んでいる?
「ああ、よく見ろ」
そう言って、九十九がかけられていた布団をめくると、そこに目を閉じている人の顔がはっきりと見えた。
確かに、その顔は見えたけど…………。
「え!?」
わたしは驚きのあまり、声を上げてしまった。
どうしてこの人がここにいるのか、わたしには分からない。
それほど、意外過ぎる人の姿がそこにあったのだった。
ここまでお読みいただきありがとうございました。




