それを選べなかった理由
「栞さんは、歌いたい時は、できる限り、『御守り』以外にも銀製品を身に付けるように心がけてください」
「へ?」
恭哉兄ちゃんに言われた意味が分からず、わたしは短く問い返した。
「栞さんが歌う時、その近くに神官の素養が高い人間や、神の遣いである精霊族がいると、少しばかり神力が強く放出されやすくなるようですから」
「なんですと!?」
そして、さらに続いた言葉に驚きを隠せない。
「それが、先ほど頂いた報告を読んで、私が出した結論です」
やっぱりわたしは人前で歌うことが駄目なのだろうか?
別に自分の歌が上手くないことは分かっているので、人前で歌いたいわけじゃないけれど、ふとした時に思い浮かぶ懐かしい歌を口遊みたくなった時はどうすれば良い?
「栞さんが歌うことを禁止するわけではありませんよ」
わたしが唸っていると、恭哉兄ちゃんがそう口にする。
「でも、神力が出ちゃうんでしょう?」
恭哉兄ちゃんが言う「少しばかり」がどれぐらいの放出量なのかは分からない。
でも、注意しなければならない程度には出てしまうのだろう。
「栞さんが歌うことで、神力が出てしまうことは仕方ありません」
おおう。
否定されなかった。
「ある程度は、その腕に付けている『御守り』が押さえてくれます。ですが、上神官に上がれる程度の素質を秘めている神官や、神の遣いとされている精霊族がいると、神力が純化されてしまうようですね」
わたしは自分の左手首を見る。
楓夜兄ちゃんが作り、恭哉兄ちゃんの法力によって形作られた法珠がいくつも付いているこの世に二つとないわたしだけの「御守り」がここにあった。
「それって、魔力の感応症みたいな感じ?」
「そうですね。それが分かりやすいかと」
わたしの言葉に恭哉兄ちゃんが頷いてくれた。
でも……。
「さらりと言われたけど、上神官に上がれる程度の素質を持った神官って、そう多くないよね?」
わたしが「聖女の卵」となった時点で、上神官となっていた人たちは42人だったと記憶している。
その上である高神官は「七羽の神官」とも言われる7人。
そして、最高位である大神官は唯一無二、つまりは目の前にいるただ一人の存在。
それらを全て、合わせても50人しかいない。
大聖堂だけで50人というと結構、多そうだけど、それが世界中で50人となればそこまで多い印象はなくなる。
「法力の素質だけを見れば、恐らくはその三倍はいますよ」
「うぬぅ」
つまり、単純に法力の素質だけでは上神官に上がれないということでもある。
しかも才能があっても、その三分の一しか認められないとか、なかなか厳しいと思う。
神官はその神位を上げるために、昇格試験と呼ばれるものを強制的に受けさせられる。
「強制的に」という言葉から分かるように、昇格試験は辞退不可能。
正しくは、当人の意思とは無関係に昇格候補者たちは、気が付くと巻き込まれている系が多いらしい。
まあ、稀に九十九が準神官たちの昇格試験に組み込まれたように部外者が関わってしまうケースもあるみたいだけど、大半は事前にちゃんと打診があるそうだ。
とにもかくにも、その昇格試験は下神官以上となれば、直属の上司に当たる神官が担当することになる。
特に正神官から神官として認められることになるために、下神官のみ、神官の教養を試される筆記試験後に実技試験……と言う名を借りた正神官たちから与えられる昇格試験が実施されるそうだ。
見習神官や準神官の段階で挫折せず、下神官になってから還俗するのはこの筆記試験直後が多いらしい。
自分の上司である正神官の性格を理解した上で辞めたくなると思われていたが、正神官になってしまえば、もう大聖堂の管理からは抜けられなくなる。
法力の技術を磨くことだけが目的で、大聖堂に縛られたくないのなら、下神官の筆記試験直後に還俗することは確かに合理的と言えるかもしれない。
「先の話に出た『シンアン=リド=フゥマイル』も才がありながら、正神官に上がることを拒み、還俗した人間です」
「それ、個人情報じゃないの? それをわたしに伝えても大丈夫?」
神官の還俗事情に細かく触れていないからセーフ?
あの酒場の店主さんは、若い頃に下神官だったことは聞いている。
でも、若い間に下神官になっていること自体、十分、凄いことなのだ。
神位が一番下の、見習神官、見習神女の中にも、わたしの祖父母世代でもおかしくない年代の人だっているのだから。
「栞さんには話しても良いと許可を得ていますから大丈夫ですよ」
「何故に?」
「そこは後からお話ししましょう。『シンアン=リド=フゥマイル』は、正神官の教養があると認められ、正神官の認定試験も及第としております」
それは筆記試験も合格し、その後に還俗することなく、実技も無事合格したと言うことだ。
「それって、ほぼ正神官じゃないの?」
筆記も実技も合格しているのだから、正神官として問題ないと思うのだけど……。
「そうですね。実質、正神官ですよ。ただ、『シンアン=リド=フゥマイル』は、どうしても、正神官になれなかったのです」
大聖堂から正式な神官と認められる「正神官」。
それは、神官教養である筆記試験。
上司の神官による実技等の認定試験。
そして、最後にもう一つ。
「『主神』に納得できなかったから、還俗した?」
正神官となるには、自分が祈りの中心とする神である「主神」を選ぶ必要がある。
だが、神についての事前情報はほとんど与えられず、大聖堂にある「神絵の間」と呼ばれる部屋に多くの神々の絵姿から、限られた時間内で自分の唯一を選び出すというくじ引きのような運命選定なのだ。
いや、仮に事前情報があっても、自分の好きな神を選ぶことは難しいだろう。
何故なら、「神絵の間」にあるその絵姿は、神自身がその場所に寄こしたモノで、本人そっくりな絵姿とは限らないのだ。
その絵を手に取った時、初めて、それが絵を寄こした神の姿に変わることもあるらしく、そんな悪意のある神を主神として選んでしまうことも多々あるらしい。
一度決めた「主神」はもう二度と替えることはできない。
だから、その「主神」に納得できなかったのだと思ったのだけど……。
「いいえ。『主神』を選んだ時点で『正神官』となるので、『下神官』であった『シンアン=リド=フゥマイル』は主神を選んでいないことになります」
「あ、そっか……」
それなら、元下神官ではなく、元正神官ということになる。
「つまり、あの酒場の店主さんは主神を選んでいないってことなんだね」
「選んでいないというよりも、選べなかったらしいですよ」
「ああ、主神を選ぶ時には制限時間があるんだったね」
それを教えてくれたのはこの恭哉兄ちゃんだ。
いや、わたしの神官や神子知識って基本的に恭哉兄ちゃんから得たものだけど。
「『シンアン=リド=フゥマイル』は、『神絵の間』に入るなり、こう言ったそうです」
「へ?」
「『この多くの神々の中からたった一神のみを選ぶなど、畏れ多くてできない』と。そして、そのまま、神官職を辞しました」
「……はあ」
なかなか不思議な理由で還俗したように思えるけど、その気持ちはなんとなく分からなくもない。
どの神さまを選んでも、それ以外の神さまを選べなかったことに繋がる。
主神は神官にとって唯一だけど、それは、最優先で祈りを捧げるべき神というだけで、別にそれ以外の神を信仰してはいけないわけでもない。
そうと分かっていても神に順位を付けたくないと考える神官はいるらしい。
「でも、神官にとって『主神』ってそういうものでしょう?」
それを分かっていて神官を志していたのではないのだろうか?
「あの『神絵の間』に入るまではそれを実感していなかったそうですよ」
「……ああ」
あの部屋の神さまたちの絵にはその量を含めて、本当に圧倒されるから、まあ、圧を感じたというヤツかもしれない。
わたしも、初めてあの部屋に入った時は、本当に驚いたし。
「それって、神官としてもかなり力がある人ってことだよね?」
神さまから直接届けられるという不思議な神の絵姿。
しかも、手に取れば正しき姿に変わるほどのもの。
そこにはかなりの「神力」が込められているはずだ。
わたしには分からなかったけれど。
「そうなりますね」
恭哉兄ちゃんは微かに笑みを浮かべて……。
「『シンアン=リド=フゥマイル』は神官でも稀な神眼の持ち主ですから」
さらにこう続けるのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




