突き刺さる視線
キ――――ン!!
「うわっ!?」
やたら甲高い電子音のようなものが耳に届いた気がして、思わずよろめいてしまった。
それが自分の頭の中に響いている音だと気付くのに数秒を要したと思う。
両手で耳を抑えても鳴り止まず、ずっと頭に直接届く、そんな不思議で奇妙な音だった。
「どうした!?」
わたしが突然、床にへたりこんだせいか、雄也先輩にしては珍しい種類の少し慌てた声を出す。
この人も……、こんな声を出すんだね。
「誰か……、わたしを……、見ていませんか?」
その音とともに、文字通り突き刺すような視線を感じていた。
それは、城内に来てから何度か感じた好奇の目とは明らかに違う異質な感覚だった。
わたしは勘が鋭い方ではないけれど、それでもよく分かるような鋭い目線に捕らえられてしまっている。
まるで、箱庭の中にでも入ってしまったようだ。
でも、視線を感じているのは分かっているのに、それが前からなのか後ろからなのか、右からなのか左からなのか、上からなのか下からなのかが、はっきりとしない。
不思議なことに見られているという意識はあるのに、誰がどこから覗いているのかが分からないのだ。
でも、見ているのは絶対に間違いない!
そう断言できる。
恐る恐る周囲を見回すが、お約束どおり、この廊下にはわたしと雄也先輩以外に誰もいなかった。
なんだか居心地が悪すぎてホラー映画の登場人物になった気がしてくる。
なんで、魔界に関わった途端、こうもホラー要素が満載なのか?
本来あるはずの魔法的なファンタジー要素よりも多い気がするのですけど、気のせいでしょうか?
雄也先輩は周りを見渡し……、何かに気付いたようだ。
「大丈夫だから、落ち着いて」
そう言いながら雄也先輩は、両膝を付いていたわたしをゆっくりと抱き起こしてくれた。
『ふおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!?』
思わず、声にならない声が上がる。
いやいやいや!
雄也先輩、これでどうやって落ち着けと言うのですか!?
九十九とは何度か止むを得ない事情があって、くっついたことはある。
そして、そのほとんどは自分でも笑えるぐらい色気と無縁の世界だった。
だけど、その兄である雄也先輩とここまで接近するのは珍しいためか、妙に感情が高ぶってしまう。
そして、こんな心臓に悪い状況で、わたしがそう簡単に落ち着けるはずがない!
「恐らく、声は聞かれていない」
そう言いながらも、雄也先輩はわたしのそっと肩を抱き、小さな子をあやすように優しく頭を撫でてくれる。
なんて、スマートな対応なのでしょう!
しかも、下心が一切、感じられない紳士行動!
そして、こんな状況に慣れている感が強い。
これは、彼が年上だからでしょうか?
「ただ、見ているだけだよ。今のところは……」
「え?」
雄也先輩の言葉は何かを知っているかのようだった。
思わず、わたしは顔を上げる。
すぐ近くにある彼の端正な顔がわたしの目に入った。
「王妃殿下だ」
雄也先輩はそう断言する。
その言葉で先ほどまでの興奮が醒め、背筋が一気に伸びたのが分かった。
この国の王妃というのは、わたしたち親子をひどく敵視していて、その結果として魔界から人間界へと逃げることになったと聞かされている。
九十九の言葉を借りるなら、間違いなく、先ほどまで会っていた王子さま以上に「敵」という位置づけになるのだろう。
見ているというその言葉の意味を改めて考える。
「王妃が……何故……、わたしを……?」
見ているということは、監視されているということだ。
つまり、何らかの理由でわたしは王妃に怪しまれているってことになる。
何か身元がバレてしまうようなことを、わたしは無意識にしでかしてしまっていたのだろうか?
「王子殿下が気に入って自分から部屋に招き入れるほどの女性は、これまで俺の知る限りではいなかった。その上、その日のうちに国王陛下との対面も果たしている。それだけのことがあっても気にもかけないほど大らかな女性ではないからね」
ああ、確かに。
それで、城内の人からも好奇の目で見られていたのだし。
真偽はともかく、少しでもあの王子さまの将来の相手になる可能性があるのなら、その母親としては見過ごせないと考えるのは普通だろう。
「それは、目立ちすぎてしまった……、ということですか?」
「今回の場合、栞ちゃんに非がほとんどないという点が問題だな。疑いではなく、興味から目を付けられるとは、全く、いろいろと予想できないことが続くね」
雄也先輩はそう言いながらも笑った。
しかし、これでは下手に身動きが取れなくなったということではないだろうか。
そう考えると、雄也先輩と普通に会話している姿をあまり見せるのはよくないことかもしれない。
この城で出会うまで、わたしたちは初対面のはずなのだから……、って。
「つかぬことをお伺いしますが、もしかしなくても、その王妃さまにこの状態を見られているということでしょうか?」
声が聞こえていなくても、見ていることは間違いないと言うのなら……。
「…………そうなるね」
かなりの間が開いて、雄也先輩は困ったように返答した。
「うぎゃあああああああああああああああっ!」
羞恥のあまり、雄也先輩を思いっきり突き飛ばしてしまう。
だって、だって、他人にこう、異性とひっついているところを覗かれて平気でいる人なんていないでしょう?
いや、自分たちの仲の良さを周囲に見て欲しいカップルと言うのも一定数存在するかもしれないけど、真っ当な神経をしていたらこんな状況、耐えられないと思うのですよ?
確かにわたしだって美形とくっつけて役得! と思う気持ちが少しもなかったといえば嘘になるけど、それすら見透かされていたら羞恥だけで死ねる気がした。
「す、すみません!」
そして、頭を下げた。
突き飛ばされた雄也先輩は2、3歩後ろに下がっただけだったけど、それでもあまりやっては良くないことだったというのは分かる。
宥めようとしてくれていた人にかなり酷いことをした。
「落ち着くどころかかえって慌てさせてしまったようだね」
前髪を掻き揚げながら雄也先輩は言う。
「いえいえいえいえ! 落ち着きました! 落ち着きましたよ!」
明らかに落ち着いてはいないが、そう言いながら、はふ~っと息を整える。
落ち着け、落ち着け、心臓。
気持ちは分かるけど、これ以上、跳ねるな!
「大丈夫です。何も問題ないです」
できるだけ、キリッとした顔を見せる。
「それなら安心だ。とりあえず、栞ちゃんが城から出れば視線は感じなくなるよ。それまでの間は居心地が悪い状態が続いてしまうけれど、そう長い時間じゃないから我慢してくれるかな?」
ああ、雄也先輩の大人な対応が目に染みてしまう。
少し、鼻の奥がツンとした。
それに比べてわたしはまだまだ子どもだ。
これじゃ、九十九にからかわれてしまうのも仕方がない。
九十九に担がれた時は荷物扱いだったからどちらかと言うと別の感情だった。
他にひっついたことがある異性は、来島ぐらいだけど、彼は彼で残念な部分がある。
でも、雄也先輩が相手だと落ち着かない。
大人の男性ってことを意識するせいか、必要以上に動揺してしまう気がする。
この魅力に抗えるほど、もっと、もっと耐性をつけなければ!
どんな殿方が相手でもピクリとも反応しないように!
わたしは更なる決意をする。
「足手まといになってしまって申し訳ないです」
「この場合は、足手まといとは違う気がするけどね」
そう言って、雄也先輩はわたしの頭をぽんぽんと軽く撫でてくれた。
そんな今までに体感したことがない音と視線、さらに奇妙な圧力のためか、雄也先輩に案内されてから森を出るまでの間、わたしはほとんど話をすることができなかった。
いや、突き飛ばしてしまった気まずさもあったんだけど。
雄也先輩の方からも、歩いている間ちょっとした危険な場所を教えてくれたり、近くに生えている変わった植物とかを話題にする程度で、それほど口を開こうとはしなかった。
そうして、わたしはようやく城と、森から出ることができたのだった。
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