護衛として傍にいる意味
そんなことはないと分かっている。
彼女はいつも嬉しそうに幸せそうに笑っているから。
それでも、言わずにはいられなかった。
「あんな男たちに囲まれていたら、シオリは確実に幸せを逃してしまうだろうからな」
自分よりもずっと小さく細い身体。
黒髪と大きな黒い瞳を持ち、年齢より少しばかり幼く見えるその容姿は、庇護欲をそそるものでもある。
本来なら、愛され温かく見守られるような存在でもおかしくない。
そんな頼りなく見える彼女はどんな逆境にあっても、その力強い意思と、折れない心で立ち上がる。
並の男でもできない。
魔法が効かない建物が崩れ落ちていく絶望的な光景を見ながら、更なる虎穴へと飛び込もうなど。
しかもその理由が、「目の前で泣いている女」のためで、「それ以上泣かせたくないから」などと男らしいものだったから、頭が下がるというものだ。
そこにいた人間の「身分が高いから」とかそんな理由ですらなかった。
先に落ちていったのが、王族ではなく、名も知らない庶民であっても、同じ理由で飛び込む気すらする。
確かに誰の目にも無謀な行いだ。
実際、彼女の従者が瀕死の重傷を負っている。
それでも、彼女自身は数日倒れた程度のものだった。
城という巨大な建物が崩落していく最中、一番危険であるはずの地下という場所にいたというのに。
護られていたとは言え、彼女自身が強運の持ち主であることには変わりない。
「今でも十分、幸せだから、これ以上の幸せって想像がつかないんですよね」
俺の言葉をどう受け止めたのか。
彼女はそんなことを呟いた。
「誰かと結婚する……婚儀を行うことが必ずしも幸せに繋がるとも限らないですから」
それは、幸せでない婚儀を知っている人間の言葉だった。
友人の話では、彼女は婚外子だったはずだ。
父親によって認知すらされず、母親は一人で産んだと聞いている。
そこにはいろいろな事情があるのだろうけれど、そんな出自なら、「婚儀」という言葉自体に、大した意味を見出せないのも分からなくはない。
自分の両親……、カルセオラリアの国王陛下とその妻である王妃殿下は、王族の中でも幸せな婚儀だった言われている。
そんな両親の仲睦まじい姿しか見たことがない自分には何も言えない。
「シオリは、正式な婚儀が持つ意味を知っているか?」
「ふえ?」
それなら、主観的な意見より、客観的な言葉を伝えよう。
「俺は王族だから、庶民の婚儀までは知らない。だが、神官の立ち合いのもと結ばれた血の絆は新たな繋がりを持つのは同じはずだ」
「新たな繋がり……?」
「具体的には親子には及ばないが、兄弟姉妹よりも互いの存在が顕著となるらしい」
自分にはまだそんな相手がいないから伝聞の話だ。
その存在が分かりやすいのは、勿論、父親である国王陛下だが、妹であるメルリもはっきりと居場所が感じる。
マオやミオの魔力は幼い頃から見ていたからよく知っているし、何より、ヤツらの魔力の質はおかしい。
あれで気付かないのがどうかしている。
「兄弟姉妹より……」
「その理由は分からないけどな」
恐らくは神官が立ち会う儀式の中に、繋がりの強化があるのだと思う。
養子縁組でも書類上だけでなく、神官が立ち会い、儀式を行えば、繋がりが強化されるらしいから、それと似たようなものなのだろう。
「婚儀の中に、『嘗血』でもあるのでしょうか?」
「ああ、その可能性はあるな」
驚いた。
「嘗血」とは、王族の教養として幼い頃に学ぶ知識だ。
対象の血を口にすることで、繋がりの強化をする方法だと聞いている。
だから、特に王族は自分の血の取り扱いは気を付けろと幼い頃から習うのだ。
カルセオラリア城の地下へ降りるための鍵が、王族の血だったことも、そんな理由からだろう。
まあ、普通は城内で王族が血を流すような事態にはならないが。
「シオリは『嘗血』の知識をどこで知った?」
「ストレリチア城にお世話になっていた時に、大神官さまからお聞きしました。わたしは魔力が強いために気を付けた方が良いと」
この娘は大神官からも目を掛けられている。
ストレリチアの王女の友人と言うこともあるだろうけど、それ以上に、港町で姿を見せた時の親しさから、それ以外の事情もありそうだと思った。
なんとなくだが、「神女」の資質もあるのかもしれない。
それならば、神官たちが気に掛けるのは当然の話だ。
「どこかで『嘗血』の儀式を行ったというわけではないのか」
「今ではほとんど行われない儀式と聞いていますけど、違うのですか?」
「違わないな。感応症の強化版だと聞いている。事情がない限り、普通は望まない」
どれぐらいの繋がり強化になるかは分からないが、相手の居場所を常に知りたいなどと思わないし、知られたいとも思わないだろう。
それ以外の利は相手の魔法耐性が強化されることぐらいか。
それでも、相当な事情がない限りは望まないだろう。
「ツクモは望みそうだがな」
俺がそう言うと、彼女は変な顔をした。
「九十九は、わざわざそんなことをしなくてもわたしの居場所は分かりますよ」
「そうらしいな。それほど幼い頃から、お前たちはずっと傍にいたということだろう」
俺が見たところ、シオリとその護衛であるツクモの感応症の効果はかなり高い。
あのミオですら、シオリの風魔法で動かされるというのに、ツクモも似たようなものなのだ。
魔法国家の王族と対等の魔法耐性など、普通はありえない。
俺だってシオリの風魔法を向けられたら、多重結界魔法や防護魔法を必要とするだろうに、ヤツらは生身で、自分の体内魔気の護りだけで耐えようとするのだ。
いろいろおかしすぎるだろう。
「確か、3歳ぐらいからだと聞いています」
それだけ長い時間ずっと傍にいた異性。
「それなのに、ツクモの妻になる気はないのか?」
「……ないですよ。九十九も望みませんから」
そうだろうか?
あれだけ、ツクモから分かりやすい好意を向けられているのに、それでも応えないのはシオリの方だと思っている。
少し前、「発情期」というものにツクモはなり、主人であるシオリを襲ってしまったらしい。
それだけで、ツクモの心ははっきりと分かっているというのに。
「発情期」はなんとも思っていない人間には全く反応しないのだ。
幸いにして未遂だったようだが、その辺りも不可思議だった。
目の前に好きな女がいて、抱かない理由が分からない。
しかも、「発情期」だ。
それならば、その相手が主人であっても許される。
それでも、ツクモはシオリを抱くことなく耐えきってしまったらしい。
それを知った時、俺は心底驚いた。
「発情期」で、目の前に対象となる相手がいたのに耐えきったという事例を俺は聴いたことがなかった。
望んだ相手を抱けるのだ。
その上、罪にはならない。
そこで我慢する理由など全くないというのに。
「わたしは九十九や雄也さんが望まないことを強要するつもりはありません」
シオリはそう言い切った。
だが、それは……。
「ヤツらが望めば、妻になるという気持ちはあるのか?」
「へ?」
そう問いかけるとシオリは不思議そうな顔をして俺を見返す。
「彼らが、望めば……?」
ぼんやりとどこか夢心地のような言葉。
だが……。
「どうでしょう? 彼らに本気で望まれたら考えるしかなくなりますが、わたしに対して『自分の妻になってくれ』と言う彼らが想像できません」
すぐにいつもの口調へと戻った。
「トルクは、彼らが仕事を中途半端に放棄するような人間に見えますか?」
さらに、俺が次の言葉を発するよりも先に、シオリはさらにそう問いかけてくる。
まるで、次の問いかけを封じるかのように。
「思わないな」
そんなヤツらには見えない。
確かにヤツらはシオリを護るという任務があると聞いている。
護衛対象を妻に……というのは確かに難しいだろう。
そうなると、その任務を果たした後ということになるが……。
「だが、シオリの護衛任務をいつまで、ヤツらは続ける気なんだ?」
「さあ?」
シオリは可愛らしく首を傾げる。
「わたしが雇用者じゃないのでその期限を知らないんですよね。彼らも教えてくれないし。多分、後、5,6年ぐらいだとは思っているのですが……」
具体的な期限はないらしい。
だが、それは……。
俺の頭に嫌な言葉が思い浮かんだ。
もし、その考えが正しいなら、今の状態にも納得できるものがある。
あの兄弟は誰の目にも優れた男たちだ。
アイツらが敵などになったら、正統な手段では排除できないだろう。
そんな男たちが常に護衛として侍る意味。
それは……。
―――― その対象を一生護れと言うことではないか?
この話で84章が終わりです。
次話から85章「天佑神助」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




