望みは薄い
これは一体、どんな状況なのだろうか?
どうしてこうなっているのか、自分でもよく分からない。
私は九十九と共に、空中に浮いているアリッサム城だった建物に再び潜入した。
そこまでは良い。
前回、この場所に来たきっかけは、私自身が連れ去られるというなんとも情けない事情によるものだった。
結果として、悪くはない方向に転がったのかもしれないけれど、私自身は何もできなかったのだ。
だから、今回こそは汚名返上、名誉挽回のつもりで気合を入れてきた。
前回は「魔封石」の影響でまともに使えなかった魔法も、今ではいつでもぶっ放せる状態になっている。
それだけの準備と心構えをしてきたはずなのに……。
「もう少し明るい色の方が良いか?」
そんな低い声が眼前から聞こえてくる。
何故か、私は自分の生まれ育った建物内で、同じ年代の男から化粧を施されることになっていた。
いや、私は自分でまともに化粧をしたことがないから、これはある意味仕方のないことではある。
この建物がアリッサム城と呼ばれていた時だって、日頃の肌の管理や、成人の儀など王族として化粧が必要な時は、侍女にさせていたのだから。
高田たちと一緒に行動するようになって、最低限の肌の手入れぐらいはなんとか覚えたが、本格的な化粧を自分一人ですることは今もない。
だが、何の因果か、高田の護衛である九十九から、この建物内で化粧をされることになってしまったのだ。
目を閉じているせいで、いつも以上にその気配を強く感じる。
時折、自分の髪や顔に吹きかかる生温かい風が、彼から吐き出されている息だってことも理解できる。
だが、それを意識するだけで、どうもむず痒さを感じてしまう。
目を閉じていると、どうしてこうも余計な方向に思考が集中してしまうのか?
距離が近いため、体内魔気とは関係なく、普通に気配とその存在がよく分かる。
時折、自分の頬や顎に触れられる指は、自分や双子の姉であるマオとは全く違うものだということも。
いやいや、これらを深く考えてはいけない。
でも、気配を感じるのはもっと駄目だ。
目を開けなくて良かった。
いや、実際は目を開けた方が気分的に少しはマシになるかもしれない。
自分よりも綺麗な女になっている男の顔が目に入るだけだ。
いろいろ思うところはあるけれど、普通は、女装している男から化粧されることってないよな?
高田はどうして、平気なんだ?
どこか呑気な顔をしたあの後輩に思わず八つ当たりをしたくなってしまった。
「もう少し、ラメ……、いや、パールを入れるか」
なんで、そんなに細かい所が気になるんだよ!?
ラメってあれだろ?
なんか、キラキラしたやつ。
パールは真珠か?
なんで化粧に真珠成分がいるんだよ?
そんなの必要ねえ!!
顔をキラキラさせた所でなんのメリットがあるんだよ!?
そう叫びたいところだったけれど、化粧中に目や口を動かしたらいけないことぐらいは理解しているので動けなかった。
そのことで、侍女から昔、怒られたことがある。
「口は、今回この色とこれを重ねるか」
そう言いながら、細く小さな刷毛っぽい何かで、自分の唇を擽られている。
侍女から化粧された時とはいろいろなものが随分、違う気がした。
ラメとかの光り物もそうだが、こんな風に、唇に何種類も紅を差した覚えはない。
これは年齢が上がったからなのか、彼の技術なのかは普段、化粧をしない私には分からなかった。
「よし、完成」
満足げな声に思わず目を開くと、随分、雰囲気が変わった自分の顔が目に入った。
いつの間にか、姿見が準備されていたらしい。
「なんだこれ」
思わずそう口にする。
「その格好なら、あまり派手過ぎない方が良いかと思って」
それは、普段の私の顔が派手だと言っているのか?
姿見に映った自分は、確かに自分の顔だけど、目元、口元の印象が随分変わっている。
目はやや垂れ目っぽく見えるし、口は今着ている服に似た暗めの色で、少しだけ地味な印象であることは間違いない。
よく見ると、瞼に少しだけ光る粉みたいなのが付いていたが、あまり主張している感じはなかった。
「化粧するなら、もっと映える方が良いのでしょうが、これで我慢してください」
別にこの化粧に対して不満があるわけではない。
ただ、化粧の知識がない自分にも分かるぐらい、いつもと違う印象になったことに戸惑っているだけだ。
「それに今回は、できる限り、魔法国家の王女殿下の印象から離れた方が良い気がするので」
「まあ、そうだな」
魔法国家の王女としての私を知る人間がこの場所にいないとは限らない。
それがアリッサムの人間なら尚のことだ。
今の私に、自国の民だった人間を救う術はない。
今だって、こんなにも誰かを頼っている。
それに、数日前、この場所に連れて来られた時、最初に私に話しかけたあの女は、私の顔を覚えているかもしれない。
既に、心を病んでいて、関係ない別の人間をその道連れにしようとしているような女だった。
ここにいて、今から助けようとする人間全てが善人ではないことを、私は知っている。
それならば、自分の身を護るために用心するに越したことはないだろう。
せめて、この青年の足手纏いになりたくはなかった。
「最初はどうする? やっぱり、メシか?」
命を繋ぐ行為としても、体力、気力、魔法力の回復のために、メシは重要なことだろう。
「水尾さんは、この建物内にいる人間の共通点って分かりますか?」
九十九は先ほどまで出していたものを片付けながら、そんな問いかけをしてきた。
この建物にいる人間の共通点?
「満身創痍、疲労困憊、神経衰弱」
重度の人間なら心神喪失に至っているだろう。
「そんな状態の人間は、食欲が低下しているため、ご飯なんて食べられません。意識障害があれば、水分補給も危険です」
「そうか? 私は、セントポーリア城下でぶっ倒れていた時、九十九のメシで気力を回復したぞ」
アリッサムがミラージュから襲撃され、命からがら逃げきった直後だった。
そして、今、その襲撃があった建物の中にいるというのはなんとも不思議な感じがする。
「水尾さんの状態は魔法力が枯渇していただけで、身体の傷も大きなものがなかったからですよ」
それでも、心神喪失とまではいかないまでも、あのまま自暴自棄になってもおかしくない心境ではあった。
そんな自分を繋ぎとめてくれたのは、間違いなくこの青年の料理だった。
それに、カルセオラリア城が崩壊した時だって、この青年が目の前で料理することで、多くの人間たちが落ち着いた顔になったことだって私はよく覚えている。
私に料理の力や可能性を教えてくれたのは、この青年であることは疑いようもない。
「食欲は生きる気力があってから湧き起こるものです。そんな状態では難しいことでしょう」
「だけど、傷を癒すのも難しいんじゃないか?」
前に少し確認した限り、自己治癒能力が低下している人間ばかりだった。
あれでは、治癒魔法を使っても、その効果はほとんど見込めないだろう。
「先ほども言ったように、オレたちがするのはここにいる人間たちの延命です」
「それは分かっている。じゃあ、どうする?」
「カルセオラリア城崩壊の時のように、安全確保を最優先にして、治療の優先度を決めたいのですが、あの時とはちょっと状況が違うんですよね」
カルセオラリア城崩壊。
あの時は、今よりも救わなければならない人間も多かったが、そのために動ける人間ももっとずっと多かったのだ。
「人が、足りない?」
「それよりももっと深刻な問題ですよ」
「被害者の心の傷とかそういうものか?」
カルセオラリア城はまだ治癒できる怪我人ばかりだった。
そして、その直後に治癒魔法の使い手がいただけでなく、治癒術の使える神官たちの派遣という救いもあったために、多少のショックはあったものの、精神的にやられたような人間はほとんどいなかったのだ。
「それに近いですね。半狂乱以上の症状がなければ良いのですが……」
その言葉で、私はあの女のことを思い出す。
ここに連れて来られた時に同じ部屋にいた女は、既に危うい域にあった。
「状況的に望み薄でしょうね」
九十九は大きく息を吐いた。
そして、私も同じ考えだ。
この場所にいる人間たちは私と九十九を除けば、正常な思考は既に持っていないだろう。
現実逃避をしなければ、自分の心を護ることなんてできない。
ここはそれだけの場所だと私は理解させられている。
「まあ、コツコツ頑張りましょうか」
そう言って、九十九は私を元気づけるかのように笑ったのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




