変化はない
「変化はない……、か」
周囲を見ながらオレは言葉を漏らす。
「一度くらい、誰かが足を踏み入れているかと思ったけれど……」
数日前に後をしたこの場所は何も変わらず、オレが仕掛けておいた罠が作動した形跡もなかった。
ここに来るのは危険だと判断されたのだろう。
それとも、一度捨てた場所には興味もないのか。
どちらにしても、情報の統制が取れているということに変わりはない。
「どうでもいいけど、そろそろ、下ろしてもらえないか?」
すぐ近くで声がした。
「あ、すみません」
オレは謝罪をしつつ、両腕を下におろす。
「現状確認を優先してしまいました」
「別にそれは構わないのだけど……」
オレの腕から解放された水尾さんはそう言ってくれた。
「抱き抱えられるという経験が少ないから、少し落ち着かなかっただけだ」
確かに足が悪いなどの理由がない限り、誰かに抱えられて移動するなんてことはあまりないだろう。
そう考えると、オレは栞を抱えすぎなのか?
だけど、その方が移動も早いし、あの女、よく意識を飛ばすから仕方がないんだよな
「それにしても、入る時に奴らからの妨害があるかと思っていたが、意外と何もないもんだな」
水尾さんも何もなかったことで拍子抜けしているようだ。
「今度こそ、役に立てると思っていたのに……」
前回、暴れ足りなかったということらしい。
まあ、水尾さんの魔法が使えるようになった今。
オレが足となり、彼女が攻撃するという手段が取れるようになっている。
しかもこの王女殿下は全方位攻撃も可能とする人なのだ。
前回、一人で来た時よりもずっとオレの負担はなくなっている。
「今回は、人命優先です」
「分かってるよ」
この建物内には今も、弱った人間たちがいるのだ。
ここにはもう敵対するような人間が本当にいないというのなら、少しずつ運ぶことができるようにもなる。
「でも、結局どうやって助ける気だ?」
それが簡単にできれば前回来た時にやっている。
「全てを助け出すことはできなくても、ここで命を繋ぐことはできるという話ですよ」
「あ?」
「今回、オレが兄貴から任されたのはここにいる女性たちの延命です」
「延命って……」
「まずは最低限、移動するための体力確保ができなければどうしようもないでしょう?」
数十人もの衰弱した人間たちの全てを、一度に救い出すことなどオレにできるはずがない。
ここに来るまでには結構な距離と、気温がかなり低く、酸素が薄い領域を通過する必要があるのだ。
オレや水尾さんは、体内魔気という自身の護りによって、多少の環境適応能力が働くが、その能力は、魔力の強さで大きく変わる。
全ての人間が常に快適な環境適応能力を持っているわけではないのだ。
ましてや生命力が低下していれば、魔力そのものも弱っているため、自分を護る体内魔気も申し訳程度となる。
生命力が低下している人間たちを連れ出したところで、移動中に死んでしまっては本末転倒でしかない。
「つまり、ここで療養させるってことか」
「オレにできることなんて限られていますけどね」
そう言いながら、オレは準備を始めた。
オレには魔法国家の王女殿下である真央さんと違って、瀕死の人間たちをいきなり正常に戻せるような大魔法もない。
オレの治癒魔法は、自己治癒能力の促進効果だ。
だから、心身ともに弱っている人間にはほとんど効果もない。
普通に生命力が低下しているだけでなく、生きる気力すら失っているような人間がほとんどだと聞いている。
身体の傷は時間をかければ治せるかもしれないが、心の傷の方はそんなに簡単に治せるものではないのだ。
「この建物をそんな形で使用するのは嫌ですか?」
ここは、水尾さんが生まれ育った場所だ。
そんな場所が、怪我人たちの療養施設のような扱いをされるのは嫌だっただろうか?
そんな傲慢な王族思想など持っているようには見えないが、なんとなくそう聞いていた。
「そんなことはないぞ。城なんてただの建物の一つでしかない」
水尾さんは迷いもせずそう答える。
「人あっての国であり、城なんだ。だから、人を食い物にする場所として利用するよりも、救う場所になる方がもっとずっと良い」
そう答える水尾さんは確かに王族で、こんな人の国なら、民は幸せになれるんだろうなと思う。
自国の王子に聞かせてやりたいが、聞いた所で理解もできないだろう。
そんな殊勝な考えを持っているような男なら、腹違いの妹の可能性がある栞を自分のモノとするためだけに、国際手配してまで捕らえようとは思わない。
「ところで、九十九は何をしているんだ?」
「化粧ですが?」
「いや、何故、ヅラ被って、化粧しているんだ?」
確かに紺碧の長い髪のウィッグを被っているが、いくら何でも「ヅラ」はない。
そして、その単語だけで、自分が禿げ上がったような気がするのは何故だろう。
「これから、男によって酷い目にあった女たちに接するんですよ? 普段のオレの姿は苦痛でしょう?」
「それでも、かなり無理がある気がする」
オレもそう思う。
流石にストレリチア城下にいた時よりも身長は伸びている。
単純な化粧や服装を変えたぐらいでは、誤魔化しきれないほどの体格にもなった。
「だから、堂々とは出ませんよ。今回は、オレも裏方のつもりなので」
オレぐらいの身長の女も、この世界には少ないが、いないわけではない。
だから、「大女」で無理矢理、通せなくはないだろうが、それでも、「男」を連想してしまうことは避けられないだろう。
「オレがするのはサポートです。基本的に女たちに接するのは水尾さんにお任せするという話だったでしょう?」
「それはそうだが……」
もともとそのつもりでお願いはしていた。
ただ、申し訳程度の女装について話をしていなかっただけだ。
「九十九、化粧、上手いよな?」
「大聖堂での栞の『聖女の卵』状態は、オレがやってますからね」
ストレリチアの王女殿下と王子殿下の婚約者殿が二人して、毎回、絶賛してくれる程度の技術はあると自負している。
「いや、自分にもそこまでできるとは思ってなかった」
「背が伸びてからはほとんどやってなかったから、かなり久しぶりなんですけどね」
「女装趣味があるとは思わなかった」
「それは誤解です」
人聞きの悪いことを言わないで欲しい。
これは、いろいろと面倒ごとがないように身に付けた技術だ。
実際、ストレリチアでは生かされることとなっているため、「芸は身を助く」だと割り切っている。
「わざわざそんなことをしなくても、幻覚魔法を使えば良いんじゃないか?」
この世界の人間として、無難な解決法を水尾さんは口にするが……。
「水尾さんのように他者の気配に敏感な人には、それだとバレるんですよ」
自分の身を護るために警戒心が強くなっている人間たちは、僅かな魔法の気配にも反応してしまうだろう。
弱っている間はそれでも誤魔化せそうではあるが、回復傾向にあれば、あまり不信を買うようなことはしたくない。
それに、オレは魔法での擬態はあまり得意じゃない。
兄貴曰く、オレが自分の身体に使う幻惑魔法は少しだけ光って見えるらしいのだ。
どうやらオレは自分の言葉だけでなく、身体自身も嘘は吐けないようになっているということなのだろう。
「まあ、魔法を使うと種類によってはその気配が誤魔化しにくくなるもんな」
「それに、不審な行動は疑心暗鬼を生じますから」
できるだけ相手に警戒させたくもない。
「その姿も十分すぎるほど疑心暗鬼を引き起こすものだと思うが……」
「遠目には分かりませんよ」
「身長や体格、声を除けば、近付いても分からんぞ?」
そう言って、水尾さんがオレの顔を覗き込んできた。
その端正な顔が目に入るが、言っている内容が内容なので、なんとも言えない気分になる。
「もともと、女みたいな顔ってことでしょうかね?」
あまり嬉しくないけど。
「そうでもないけど……」
水尾さんは否定してくれるが、化粧したぐらいで誤魔化せる程度に女のような顔ということには変わりない。
「そうなると、私も化粧をした方が良いか?」
「必要ないですよ」
水尾さんは化粧なんかしなくても十分、綺麗なのに何故、そんなことを言うのだろうか?
「でも、男に見られたことは何度もあるぞ?」
オレも初めて会った時はそうだった。
だが、今はそう思えない。
「大丈夫です。今の水尾さんは綺麗な女性にしか見えませんから」
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