共犯の申し出
「俺の共犯者になってくれる気はないかな?」
それは甘すぎる囁き。
王族として、いろいろな言葉を与えられ、投げかけられてもきたが、これほど魅惑的な申し出など聞いたことがない。
それも、他ならぬこの青年からのものだ。
自尊心を含めて、いろいろなものが刺激されてしまうのが自分でもよく分かった。
これが人間界にいた頃、具体的には、高校時代の自分なら、一も二もなく、乗ってしまったことだろう。
我ながら単純だとは思うが、自分を許容し、必要とされることは誰でも嬉しいものだと思う。
そして、そんな自分を必要としてくれるのは、周囲からの人望も厚く有能な生徒会副会長。
そんな人からの悪魔の囁きは、ほとんどの女性を魅了したはずだ。
これで陥落しないのは、妹のミオぐらいだろう。
だが、あれから三年もの月日が流れていた。
そう簡単に頷けるほど甘くはない状況になっている。
「条件次第ですね」
確かに私が持つのはこの身一つだ。
それ以上の物は持ちえない。
それでも、簡単にくれてやることはできないものでもある。
「対価は俺の知識」
そのたった一言だけで、ぐらりと揺れ動いた。
落ち着こう、自分。
その申し出は破格すぎる。
明らかに罠の匂いしかしない。
「何の犯罪に私を巻き込む気ですか?」
共犯者という単語が言葉通りの意味ならば、私を利用して何かを始めようと言うことなのだろう。
「いや、繋がりを表沙汰にしたくないだけだよ」
「なるほど、内緒の関係というやつですか」
「そう。ちょっとばかり深みに引き入れようと思ってね」
……罠の要素が増えた。
そして、この青年が何を望んでいるのか予測がつかない。
先ほどまで見えていた彼の体内魔気も、今は見事なまでに制御しているために、感情の動きも分からなくなっている。
あの長耳族……、リヒトのおかげで対策ができているらしい。
ああ、本当にどこまでも腹立たしいほど見事なまでの良い男なのだろうか?
「深みに引き入れるなら私よりミオじゃないんですか?」
あの子の方が素直だし、戦力としても十分だ。
過剰すぎる感もあるけれど。
何より、この青年がとても大事にしている主人に対する思いは私よりもずっと強い。
その強さは、その傍にいる護衛に嫉妬を抱くほどのものだ。
「俺は貴女の方が適任だと思っている」
その言葉に心臓がいつもよりも大きな音を立てた。
「先ほどの……、治癒魔法が理由ですか?」
自己治癒能力までなくなっている瀕死の人間すら完全に治癒させてしまうほどの魔法など、この世界にはないだろう。
だから、それぐらいしか私の魅力なんてないと思った。
「何を言う? 治癒魔法の魅力は否定しないが、貴女はそれ以上に価値のあるものを持っている」
さらに心臓の音が大きくなる。
「それは……?」
この人は、私の中の何を求めてくれている?
「俺が欲するのは貴女の知識だ」
「知識?」
私の持つ知識など、アリッサムでもありふれたものだ。
そして、魔法に関しては、貪欲に学び続けたミオにも及ばない。
「魔法国家の王族としての知識なら、私は第二王女ですから、そこまで有用なものを与えられていませんよ」
その点においては、確かに第三王女である水尾よりはあるだろう。
だが、それでも結界塔の仕組みや、この世界の魔法に関する叡智が全て詰め込まれたとされる禁書庫の場所すら知らない。
「カルセオラリア城から出た後の第一王女たちの行方すら知らされていませんから」
あえて、自虐的な言葉を吐く。
それらをこの青年に否定して欲しくて。
そんなもの、大したことではないと笑い飛ばして欲しくて。
「魔法国家の王族の知識など、おまけ程度で良い。俺たちは別に魔法に困っているわけではないからな」
言われてみれば、私やミオすら知らない魔法を使える護衛たちだ。
今更、新たな魔法に興味を示すとは思えない。
そもそも、魔法には契約が必要で、アリッサム城が発見されたことによって、新たな魔法書が掘り起こされる可能性はあるけれど、それでも、既存の枠から極端に外れるものではなかった。
「普通の知識で良いのだ。俺たちにはそれが足りていない」
「普通の知識?」
「魔法の仕組み、大気魔気や体内魔気の考え方。魔法国家で一般的と言われていた知識こそ、俺たちには必要だ」
「それなら、ミオでも十分でしょう?」
思ったよりも意外性はなかった。
たまたま私が目について、隙を見せたから……ってところか。
「いや、水尾さんでは恐らく足りない」
「え……?」
ミオでは足りない?
だが、この青年が、あの魔法に関しては、女王陛下に次ぐ使い手と称された第三王女のことを知らないとは思えなかった。
「貴女は普通の魔法が使えなかった」
「そうですね」
そんなことも今更だ。
だから、誰かから指摘されたことで傷つくこともない。
「だからこそ、あらゆる方向から魔法を使うための手を尽くしたと思っている。基礎から始まり、常識とされることも親切丁寧にじっくりと読み解いて、あの国の誰よりも魔法に対する理解を深めようと努力したのではないか?」
図星だった。
そして、それを父である王配から見咎められたこともある。
―――― 魔法国家の王族ともあろう者が、今更、そんな基礎を学ぶのか?
さらに、そんなみっともない真似は止めろとまで言われた。
王族として無様だと。
それでも、可能性を捨てきれなくて、ずっと王配の目から隠れるように魔法書を読み続けた。
魔法書だけではなく、史書や論文、無関係と思われるような他大陸の書物も読み込んだりもした。
望んだ結果には繋がらなかったけれど……。
そして、それだけでなく……。
「人間界の書物もあらゆるものを読んでいただろう? 学校の図書だけでは足りず、公立の図書からもかなり借りている。主にこの世界では手に入りにくい数学や物理系の書物が多かったかな」
その言葉に温かかった布団が不意に冷たいものに変わった。
この人は……、一体いつから?
「ああ、誤解のないように。俺も同じようなものを借りていた。行先と借りたい図書が被りやすかったからたまたま目についていただけだ」
そんな取ってつけたような理由があっても安心できない。
この人はそんなタイプの男だ。
ほんの少しの日常会話の中に、二重にも三重にも罠が仕掛けてくる油断のならない男。
「そんな努力する人間だと知っているから、俺は水尾さんではなく貴女を欲した」
「それだけ聞くと、誤解しかないですよ?」
まるで、自分自身が望まれているような言葉だ。
これもわざと錯覚させようとしているんだろうな。
「それに、ミオだって努力しています」
そこは否定させたくない。
あの子だって、私とは違う種類の努力をずっと重ねて、今があるのだ。
「それも知っている。だが、今の俺は貴女の方がずっと好ましい」
「熱烈な口説き文句ですね」
しかもそれを耳元で言うとか。
なかなか策士だなと思う。
自分の魅力を分かった上でやっている辺り、タチの悪さを感じる。
それでも、こんな青年に参ってしまうような女性も少なくないのだろう。
本気ではないと分かっていても、そう言った意味でもないと気付いていても、それでも頷きたくなる言葉の魔力をこの青年は持っているのだ。
本当にタチの悪い人だ。
「つまり、私は先輩に知識を与え、その対価に先輩の知識を頂くと言うことですか?」
「承知してもらえるなら」
「断る権利は?」
「勿論、あるよ。これは勝手な申し出だからね」
それでも、彼が「共犯者」と言ってまで引き込みたい程度に、私は買われているということだ。
そして、差し出されたこの手を振り払うのは簡単ではあるが、後々のことを考えるとそれは得策ではない気がする。
何より、現状、厄介になっている身でもあるのだ。
その時点で、私に選択肢がない気もしている。
「私の知識なんて大したものではないですよ?」
「謙遜ではなく本気でそう言っているのなら、それは勿体ない話だね」
悔しい。
そんなちょっとした言葉なのに、素直に喜びたくなってしまう。
分かっている。
これは交渉事を有利に進めようとしているだけだって。
「少なくとも、俺は貴女の才を買っている」
それでも、過去の自分を含めて、今の自分を褒め称えてくれるような賛辞が、自分が認めているような優れた人間の口から飛び出してくるなんて、一体、どうすれば防ぐことができるのか?
物理的に口を塞ぎたい。
それが一番良い気がしてきた。
私の思考が少しずつ、黒い方へと向かっていく。
「すぐに信用できないことは分かっているから、先に一つ、情報を渡しておこうか」
だが、そんな私の思考に、氷水をぶっかけるようなことをこの青年は口にした。
「我がセントポーリアの王子殿下は、セントポーリア国王陛下の血を引いていない」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




