相性の良い相手
少しずつ、少しずつ、空っぽに近いこの肉体に何かが溜まっていく感覚がある。
その進行度はこれまでにないほど早い。
―――― ああ、やはりこの人とは相性が良い。
素直にそう思えた。
自分の勘を褒めたい。
流石に自分の双子の妹であるミオほどの回復力とは言わない。
だが、近くにいるだけで、ここまで魔法力の回復が早くなるのは、恐らく身内以外では初めてのことだと思う。
尤も、血縁以外の他の人間にここまでの接近を許したのは男女関係なく、婚約者であったウィルとその弟のトルクぐらいなのだけど。
でも、ウィルの時は、こんなに落ち着いた心境ではなく必要に駆られて焦りしかなかったし、トルクに至っては、回復に専念させてくれなかった。
それに、回復に専念しなくても、この人の方が早い気がする。
こればかりは人間的な好みではなく、体内魔気の相性的な話だから仕方ないのだけど、トルクが聞けば怒るだろうね。
「疲れているだろ? 眠っていても良いよ」
そんな低い声が自分の耳元で聞こえてくる。
確かに疲れているし、魔法力を回復させるために私は眠った方が良いのだろう。
そんな優しい言葉に甘えて、素直にこの目を閉じた方が良いことは自分でも分かっている。
「いえ、この状況をもう少し満喫させてください」
だが、私はその甘い誘惑を押しのけ、目の前にある温かい胸元に顔を埋める方を選んだ。
「ほどほどにね」
私の行動に動揺することもなく、そんな風に苦笑しながらもどこか気遣うような言葉が返ってくる。
それだけで、女性から迫られ、こんな風にくっ付かれたり、甘えた言葉を与えられたりすることにかなり慣れているのだろうなとは思う。
そして、トルクのように手が忙しなく動くこともなく、私を収めている彼の両腕は今も静止したままだった。
それだけでも私は落ち着いてそのまま身を任せることに抵抗はなくなっている。
もともと嫌いな相手ではないのだ。
これだけ顔が整っている上、優秀な男を嫌うというのは、王族としても、女としても、人間としても難しいものがある。
どちらかと言えば、役得ぐらいのものだった。
国は既にないとは言え、この身体にある魔力だけでも利用価値がある王族ではあるのだから、無碍な扱いはされないとも思っていた。
それでも、未婚の女の方から、添い寝の要望だ。
普通の男なら、嫌悪感で引くか、自分にとって都合の良い方向に受け取ってもおかしくはない。
だが、この青年は抵抗なく受け入れた上、同じ布団に収まってくれた。
その上でさらに抱擁を求めたら、「トルクに知られた後が怖いな」と笑いながら言いつつも、素直に従ってくれている。
そしてそれ以上のことはしない。
私から言われた通り、ずっとただ私を腕に収めているだけ。
普通の女なら、「恥をかかせるな! 」と激昂しても良い場面なのかもしれない。
男女の機微に疎い私でもそう思うぐらいの話だ。
でも、今の私には添い寝と抱擁だけで十分、満たされていくものがあるのだから何も問題はなかった。
この人は高田の護衛で、そこまで私の我儘の聞き入れる必要などないのだが、それでも相手からの了承を得られているなら私が遠慮する理由もない。
有難くこの状況を堪能させていただこう。
少し離れた建物内にいるトルクは、まだ文字の解読に苦戦しているのが伝わってくる。
あの男の気配は分かりやすい。
そして、この青年の主人である高田もまだ眠っているようだ。
落ち着いて安定した風の気配。
彼女は起きている時よりも、何故か、眠っている時の方がその存在が分かりやすい。
その建物内にいる精霊族の二人も、別の建物で寝かせている精霊族たちも暫くは起きる様子がない。
だから、暫くは何の邪魔も入ることはないだろう。
後は、自分が意識を保つだけ。
それだけで、この状況は十分楽しめる。
自分の魔法力の回復に合わせて、青年の体内魔気が自分の周囲を包み込むような気配がある。
その気配に、自分が護られていると錯覚しそうになるが、恐らく、魔法力の回復を促進させるために意識的に周囲に魔力を流されているのだろう。
だが、自分の魔法力はミオよりもずっと多いのだ。
だから、少し刺激したぐらいではすぐに回復することはない。
まあ、ある程度満足したら早めに解放するつもりでもあるのだけど。
でも、容姿を含めてこれだけレベルの高い男に張り付く許可を貰える機会などそう多くもないのだ。
せっかくなので、いろいろなモノを頂きたい。
そんな私の企みをミオが知ったら、トルク以上に怒る気がするけどね。
「それで……?」
低く甘い声で囁かれる。
女性としての何かを刺激するような声で、自分の価値を知っている男からの囁き。
これだけで全身が溶かされてしまう女もいるかもしれない。
声も使い方によっては、ここまで武器になるのかと思わず感心してしまった。
「魔法国家の王女殿下はこの密会に何を所望する?」
「先輩自身って言ったら、くださいますか?」
「残念ながら、我が身は売約済みだ。だから、それ以外でお願いしたいかな」
私の言葉に動揺することもなくあっさりと答えを返される。
その心は決まっているらしい。
「でも、売約ならまだ売れてはないでしょう?」
ちょっとだけ食い下がってみる。
「そうだね。だから、俺は一生売れ残るかもしれないな」
だけど、通じることはない。
そして、その売約相手に選ばれないことを否定もしない。
「先輩が一生売れ残るのは勿体ないですよ」
私がそう言うと、何故か苦笑された。
「その人にも『勿体ない』と言われたな。だから、一生飼い殺す気などないと」
それは主人である高田から……だろうか?
それとも、年上の想い人の方だろうか?
どちらにしても、この想いは根が深そうだ。
私が先輩の想い人のことを知ったのは本当に偶然だった。
ストレリチア城で、中心国の王たちによる会合が開かれたあの日。
大神官の計らいによって、私とミオは、離れた別室でトルクとともにその光景を見せてもらっていたのだ。
クリサンセマム国王の、あの場に不相応の腹立たしい顔を見て、ミオと苛立っていたのを抑え込んできた時だったと思う。
その時、セントポーリア国王陛下とともに入室してきた女性を見て、トルクが口を滑らせたのだ。
―――― あれ? もしかして、この女性が……、ユーヤの?
その一言だけで十分だった。
恐らく、私と同じように、ミオにも伝わったことだろう。
金髪碧眼の国王陛下の手をとって、緊張感の伝わる面持ちで入室した黒髪黒い瞳の見覚えのある女性がこの青年にとってどんな存在であるかを。
そして、同時に納得もできた。
この青年が、自分の主人を命懸けで護り抜くと決めたのは、あの女性の存在が大きいのだと。
「先輩はそれで良いのですか?」
「満足だよ」
それは、本心からの拒絶じゃないと分かっているからだろう。
飼い殺したくないとは好意から来る感情だ。
嫌われているわけではないのなら、その部分からその相手に付け入る隙ぐらい見出すだろう。
例えば、罪悪感に付け込むとか。
それ以外なら、自分の弱みをあえて握らせて、逆に自分が主導権を得るとか。
相手がそれほどのお人好しならば、多少の弱みを見せたところで、危険はないだろう。
弱みの種類によっては、それが常に頭をかすめるから、必要以上に自分のことを意識して、強く突き放すことができなくなってしまう気がする。
そして、あのセントポーリア国王陛下から信任されるような方には、その手は使えない。
あの方は、見た目ほどそんなに甘くはないと思うから。
年齢よりずっと若く見えても、相応に年を重ねているはずだ。
恐らくは、切り捨てることができる非情さも持ち合わせている。
そうでなければ、あんな場所で、あの情報国家の国王陛下と舌戦を繰り広げた上で、場を収めてしまうなんてできるはずはないだろう。
つまり、この青年が言っているのはただ一人だ。
「なるほど。その生涯は高田に尽くす、と」
嫌な相手に目を付けられてしまった後輩を、本当に気の毒に思う。
彼女にはその甘さを含めて思うところが全くないわけではないけれど、それでも嫌いでもないのだ。
「生きる意味を与えられた人間の立場としては、当然だろう?」
「……はい?」
その言葉に反応してはいけなかった。
だが、それに私が気付いた時は既に遅かった。
「さて、そのためには、真央さんに俺からもお願いがあるのだけど……」
その先は聞いてはいけないと分かっていても、耳を擽るような甘い囁きに抗うことができない。
「俺の共犯者になってくれる気はないかな?」
そんな甘美な毒を、耳に直接流し込まれてしまったのだった。
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