正しい方向へと戻される
その光景はまさに圧巻の一言だった。
ここまで実力が違い過ぎれば、妬む気持ちも起こりえない。
まるで、あの主人のように。
俺を後ろに下げた後、真央さんが契約詠唱と思われる言葉を矢継ぎ早に紡いでいく。
普通の耳では聞き取ることも難しいほどの高速詠唱。
それらは、まるで機械音のように正確に、寸分の狂いもなく吐き出される。
そこに至るまでに、どれだけの苦労があったのだろうか?
やがて、青く色濃い炎がいくつも現れ、線を引くように次々と俺たちの前方に張り巡らされていく。
それは、青い炎を纏う蛇のような生き物のようにも見えたが、周囲を見ると、眠っている精霊族たちに被さる網にも見えた。
「くっ!!」
その青い炎を操っている真央さんから、苦し気な声が漏れたが、俺は手を貸すことはできない。
俺にできるのは、彼女のその背を見守ることだけだ。
これだけの魔法の邪魔などできるはずもない。
青く深い色の炎は精霊族たちの身体を包み込み、揺れている。
怪我の大小に関係なく、均一に張り巡らされた青い網目。
薬によって眠りに落ちている精霊族たちだが、それぞれの肉体がその全身を使って少しずつ動き始めた。
手足だけが動く者。
背中を仰け反らせる者。
指が小刻みに震える者。
酸欠のように喘ぐ者。
それぞれが不思議な動きを見せている。
なるほど、九十九が時を戻しているように見えたと言っていたのは間違いないようだ。
青い炎に覆われた精霊族たちの、捻じれて歪な形に変化していた腕や足が、ゆっくりと正しい方向へと戻されていく。
まるで、人間界で観た映像記録の巻き戻しが思い出された。
これならば、確かに本人の生命力や自己治癒能力など関係ないだろう。
そして、重傷、軽傷も等しいものとして扱われる。
ぐらりと目の前にあった細い身体が大きく揺れ動いた。
まるで操り人形の糸が全て切れたかのように、その身体が崩れ落ちるところを、自分の両手を伸ばして抱き留める。
「こ、これで、いかが?」
確かに意識はある。
だが、その魔法力は分かりやすく枯渇していた。
話すのも苦しいだろうに、それでも魔法国家の王女殿下は気丈にも俺に向かって得意げな笑みを見せる。
「上出来だ。ありがとう」
そのまま、俺は真央さんの身体を抱きかかえる。
細身の彼女は力が抜けていても、軽く思えた。
「でも、不思議……」
ポツリと呟く。
「精霊族たちの身体は間違いなく怪我を負う前に戻った。でも、薬の効果……、眠っている状態が、まだ、継続している」
どこか夢見心地のような声。
「言われてみれば、そうだね」
本当に精霊族たちの肉体の時間が戻ったというのなら、体内に入っている薬の効果も同じようになるはずだ。
だが、眠りの効果は消えることなく、薄れることもなく、そのまま持続しているように見える。
「怪我人に薬を与えた状態で、先ほどの『治癒魔法』を使ったことは?」
「ない、です」
そもそもこの世界はあまり薬を使うという発想がない。
俺たちだって、人間界に行き、薬の有用性を知らなかったら、今ほど薬に頼ってはいなかっただろう。
「だが、この状況は俺たちにとっては有難い話か」
「そうですね」
ここにいる精霊族たちの身体が癒され、意識が回復すれば襲い掛かってくる可能性が高かった。
それがなかっただけでも良かったということだろう。
勿論、薬で意識を落としているだけではなく、その身動きを封じてはいるものの、精霊族は俺たちと全く違う理論で動く。
どれだけ手を尽くしても万全だと言い切れないのだ。
「どうしましょうか?」
できれば、このまま精霊族たちを見張りたいところだが、先にした約束の件もある。
「貴女を安全な所に運びたいが……」
「魔法力の回復を優先させたいですが、先輩にお任せします。このままでも私は問題ないですよ」
そういうわけにはいかない。
「ここは駄目だ。精霊族たちの意識がいつ戻るか分からない状況では危険過ぎる」
「どこにいても一緒なら、先輩の傍が一番、安全だと思います」
「それもそうなのだが……」
既に彼女は心を決めている。
それに、もともとその約束をしているのだから、これ以上、問答するのも無理だろう。
俺は真央さんを抱きかかえたまま、建物の入り口へと向かう。
「ふふっ」
何故か真央さんが笑みを零す。
こんな精霊族たちがいつ襲ってくるのか分からないような状況で、随分、余裕があるのだなと思う。
それも、彼女も一度はこの島で身の毛がよだつような思いをしているというのに。
だが、それだけ俺を信頼してくれているのか、それ以外の何かがあるのかは現時点では分からない。
尤も、俺が気付いていないような別の意図があったとしても、それが主人を邪魔するものでなければ何も問題はない話なのだが。
「とりあえず、少しだけここでお待ち願えるかい?」
柔らかいソファーを出して、そこに真央さんを横たわらせる。
「ああ、これ。人をダメにするやつだぁ……」
どこかうっとりしたような表情で、その柔らかい椅子に身体を沈ませる。
「ただのビーズクッションだが……」
疲れやすい主人のために柔らかく寝心地の良いものをといくつか準備していたものの一つだったのだが、人をダメにしてしまうらしい。
それは使わせない方が良いか?
いや、あの主人は気を張り詰め過ぎるぐらいなのだから、たまにはダメになるぐらいが丁度良いのか?
「それで、先輩。添い寝の方は?」
身体は椅子に沈ませたまま、視線だけをこちらに向ける。
「それよりも、精霊族たちの無力化を優先させて良いかな?」
「現状でも十分、無力化できているとは思いますが、先輩は本当に慎重ですよね」
自分は慎重……、というよりも単純に臆病なだけだと思っている。
失敗を恐れ、冒険することができない。
石橋を叩いても、叩いても、安心できないのだ。
だから、主人のような存在はとても眩しい。
「それが、例の高田が作ったという『薬』ですか?」
「いいや。アレは使わない。これは加工前の樹液だよ」
精霊族たちには薬よりも、その素となっている調合前の樹液の方がその効き目も良いことが分かっている。
「ああ、例の食虫樹の……」
少し声が小さくなる。
「服薬してみる?」
「……遠慮します」
その声に先ほどまでの力強さはなかった。
余裕がないらしい。
さっさと済ませて、彼女の目的を果たさせようか。
俺は、奥の方から順番に、眠っている精霊族たちの口に少しずつ小瓶の中の液体を注いでいく。
これらも時間稼ぎでしかない行為ではあるが、集団を一時的に無力化させるには今はこれが一番穏当な手段ではあるだろう。
それに先ほどの魔法が俺の体感したものと同じならば、精霊族たちは目覚めた後、怪我をしている状態と変わらぬ痛みの感覚が維持されてしまうことになる。
俺の痛みの記憶は四カ月ほど保持されていた。
全治四カ月……。
一度、死にかけたにしては随分早い完治となったものだ。
かの聖騎士団長が若い時分に施された時は半年だったらしいので、それよりはずっと早かったと言えるだろう。
その違いは、怪我の程度か、年齢か、遣い手の力量かは分からないが。
俺たちと身体の造りが違うこの精霊族たちはどれだけのものとなるだろうか?
痛みが継続していたとしても、それは自業自得であり、寧ろ、身体だけでも癒されたのだからマシな扱いだったとは言える。
本来なら死を持っても償えるほどの罪ではないのに。
最後の一人に液体を含ませる。
現状では、薬の効き目は有効だが、弟の話では薬に対する耐性が付く可能性は十分に考えられるので過信は禁物だということだ。
俺も同じ考えだった。
勿論、薬の耐性など一朝一夕で付くものではなく、少しずつ身体に慣らしていくものだが、相手は精霊族だ。
警戒しすぎるにこしたことはない。
だが、今は、余計なことを考えず、待ちくたびれている王女殿下のご機嫌をとることを優先しようか。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました




