対価としては安いもの
正直、助ける義務どころか義理すらない相手ではある。
寧ろ、捨て置くのが人間の心理としては当然の感情だろう。
相手から良いようにやられたまま泣き寝入りをして、さらに、助けろと言っているようなものなのだから。
だが……。
「分かりました」
目の前の黒髪の女性はあっさりと承諾してくれた。
「先輩は高田のためにそう言うと思っていましたから」
そう言いながら肩を竦める。
「嫌だろう?」
「嫌ですよ。当然じゃないですか。私だって被害者なのに」
俺の言葉に間髪入れずに返答する辺り、相当、嫌なのだと思う。
「高田がやったのは暴走した結果ではあるかもしれませんが、立派に正当防衛です。寧ろ、殺してしまっても良かった。それだけのことをここにいるヤツらはやろうとしたのだから」
その瞳が冷たいものに変わる。
火属性の血を引いているのに、絶対零度を思わせるような雰囲気だった。
「あの高田がこれだけの報復をしたのなら、あの子も本心では殺したかったのでしょう。それでも、理性がそれを抑えきってしまった。頭が冷えた後に残っているのは、覚えなくても良いはずの罪悪感でしょうね」
「そうだね」
それだけのことをしても許されるような状況にあっても、あの主人はこの結果について、後悔をしているのだ。
だが、少し思う。
あの時、九十九が彼女の意識を戻さなければ、どうなっていたのか? と。
恐らくは、神に等しき存在の怒りに触れた精霊族たちはその存在を滅することとなっただろう。
そうなれば、自分自身を呪っただろうか?
もしくは、役に立たなかった護衛たちを罵っただろうか?
それとも自分は悪くないと開き直っただろうか?
結果が出てしまった今となってはそれも分からない。
尤も、万一やり過ぎてしまっていたのなら、主人の意識が戻る前に、九十九がきっちりと後始末をしていたような気もする。
「まさかここまでのものとは思いませんでしたが、高田の心を少しでも軽くするために私も協力はしますよ」
「そんなに簡単に承諾しても良いのかい?」
彼女が使う治癒魔法は普通の魔法ではない。
死ななければ瀕死であっても癒すことができると豪語できるほどの大魔法。
それは神の域と言っても過言ではないだろう。
「貴女の魔法にも相応の代償があるのだろう?」
相手を癒すと同時に、相当な何かを犠牲にするはずだ。
そうでなければ釣り合いがとれない。
「精霊族の血を引く者たちに治癒魔法を使ったことはないからはっきりとは言い切れませんが、これなら、私の魔法力が空になる程度で大丈夫だと思います」
「それだけなのか?」
あれだけ重傷だった俺を完全に治してしまった魔法だと言うのに?
いや、それだけ真央さんの魔法力が凄まじいのかもしれないのだが。
「魔法力が足りなければ、癒しきれない部分は出てくるかもしれませんが、ま、一週間と経っていませんし、私の魔法って癒す人数はあまり関係ないみたいなんですよね。だから、今の私の健康状態からも考えて、いきなり意識が吹っ飛ぶこともないと思います」
真央さんは周囲を見回しながらそう言い切る。
それにしても、人数は関係ない?
改めて不思議な治癒魔法だと思う。
「問題は、もともと体内に巣くっているタチの悪い薬の方までは抜けないでしょうから、元気になった途端、またこいつらから襲われる可能性があることでしょうか。そこは先輩にお願いしますね」
「分かっている。先ほど貴女が望んだとおり、付き切りで護らせていただこう」
もともとそんな話をしていた。
「それと、終わったら、寝心地の良い寝具の準備と、先輩の添い寝をお願いします」
「……さりげなく要求が増えてないか?」
しかも、余り聞き逃してはならない要求だった気がする。
いや、大魔法の対価としてはかなり安いものだが。
「気のせいでしょう?」
魔法国家の王女殿下であるはずの黒髪の女性はしれっと答えた。
どうやら、惚けるつもりらしい。
「申し訳ないが、俺はトルクの怒りを無駄に買いたくはない。人肌が必要なら、トルクに願ってくれ」
「でも、トルクは触ってくるので邪魔なんですよね」
「……ああ」
その戸惑いがちな言葉に思い当る行動があった。
確かに、ヤツは隣に誰かが寝ていたら、その相手を抱き込んだ上、そのまま触れてくるという妙な癖がある。
寝ぼけている上、反射行動に近いものがあるため、当人には相手に対する痴漢意識がない。
それが証拠に、男女問わず、その悪癖を発揮する。
何故、それを俺が知っているか?
その答えを語る口はない。
「その点、高田の護衛である先輩なら大丈夫でしょう?」
「俺も性別は『男』なんだが?」
「先輩が嫌なら、共寝の相手は高田でも良いですよ。でも、精霊族であるリヒトくんでは多分、駄目ですね。一番、良いのはミオなんですけど、あの子、今、いないから仕方ないですよね」
トルクスタンは嫌で、リヒトは駄目。
そうなると、俺か主人しかいないわけだ。
「先に言っておきますけど、具体的に先輩に何かするってわけではないですよ?」
「分かっているよ。添い寝ではなく、近くにいるだけでも十分なのだろう?」
「その通りです」
魔法を使った直後は間違いなく魔法力が枯渇するので、少しでも早く回復するために体内魔気の感応を使おうと言うわけだ。
それだけのことをやってもらうのだから、自分の方には特段、問題はないのだが。
「接触する表面積が広い方が、回復が早いんですよね。もしくは、近接距離。だから、共寝だと助かります」
「つまり、俺にキミのエサになれということだな」
「そこまでは言ってませんよ。私の滋養になって欲しいと願っているだけです」
言葉を変えてもその本質は変わっていない。
「トルクスタンの怒りはどうする気だい?」
内容的に話して分かってもらえるとも思えない。
いや、理解できても感情が邪魔をするだろう。
「そこで、高田を使おうとは思わないんですね」
「これは俺の願いだからね。そこで主人を巻き込むのは本意ではない」
「高田の願いでもあるでしょう?」
「いや、主人には一切の相談はしていないよ」
「なるほど、これらは全て先輩の独断だと」
真央さんは少し考える。
「トルクのことは無視しましょう」
そして、あっさりとそう結論付けた。
「その上で、どうしましょうか?」
「貴女が問題ないならば、その条件で構わないよ」
俺がそう答えると、真央さんも微笑んだ。
「それでは、私は今からこの場所で治癒魔法を使います。そのお礼として、直後の護衛。後は寝心地の良い寝具の提供と、先輩の添い寝でよろしいですか?」
「貴女の望むままに」
俺にとっては害のあることはない。
トルクスタンの反応が気になるが、それぐらいのものだ。
「ああ、あともう一つ気になることがあるのですが……」
俺と共に部屋の奥に向かいながら、真央さんは顔を向ける。
「先輩、高田と繋がりが強化されてませんか?」
「今回のことで少しばかり思うところがあってね。弟だけでは不十分かなと思ったんだよ」
今回のように、主人から離れることになった時、弟の能力頼みでは足りないことが分かっただけだ。
「なるほど、高田と仲良しな弟に嫉妬ですか」
「その感情が全くないとは言わないけどね」
「まあ、先輩の本命は違う方みたいですからね」
さり気なく告げられた言葉。
この魔法国家の王女殿下は相手の体内魔気の状態から、感情まで読み取ってしまう眼をお持ちだと聞いているため、それ自体は驚くことではないだろう。
尤も、あの方のことを俗に言う「本命」として良いのかは自分でも分かっていない。
自分のモノにしたいわけでもなく、ただ幸せに笑っていて欲しいと心から願う感情は、世間で言う恋愛感情とはかなり違う気がする。
それに、同じような意識を、あの小柄な主人にも持っているのだ。
そして、どちらにも肉体的な欲求が働かない点まで同じである。
自分に肉体的な欲望がないわけではないのだから、それを全く抱かない相手というのは、やはり自身にとって恋愛対象外だということだろう。
そんな風に考え込んでいる俺に向かって……。
「それでは始めましょうか」
黒髪の大魔法使いは微笑むのだった。
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