自分の迷いを断ち切って
「気が進まねえなあ……」
オレは兄貴から預かったモノを収納しつつ、溜息を吐いた。
「女性にとっては最も非人道的な手段」だと脅された割に、正直なところ、話された内容に対して、オレ自身はそこまでの衝撃はなかった。
確かにその方法なら、魔獣に既に渇いてしまっている血を舐めさせ、「嘗血」させた上で狩りに向かう方法とも違った形で、今回の対象者たちを識別できるようになるだろう。
それに、その手段をとるためにご協力願うことになる相手は、死ぬわけではなく、傷付けるわけでもない。
どちらかと言えば、受け取りようによっては癒しと言えなくもない話でもあるのだ。
だから、悪い話ばかりでもないと思ってしまうのは、オレが男だからなのだろう。
確かに、女の立場からすれば、ふざけるな! と叫びたくなるような気はする。
今回、踏みにじられた人間たちに対して、その傷口に塩を塗り込んだ上で利用すると兄貴は言った。
だから、その内容については、協力者たちに全て伝えず、耳触りのよい部分だけを話して納得させることになる。
そして、栞にも話さない方が良いだろう。
潔癖な人間ほど軽蔑する手段。
栞は、潔癖というほどではないが、それでも、今回の行いに関しては眉を顰める気がした。
綺麗事だけでは何も解決しないと理解を示しつつも、道義的に許せないことはある。
使える手段、とれる方法は多いほど良いと分かっていても、誰かを巻き込むことは栞は望まないから。
この場合、オレたちが巻き込まれただけだ。
そして、ここまで関わる必要なんかない。
だが、後顧の憂いをできるだけ早い段階で断っておきたいという兄貴の考えにはオレも同意見なのだ。
栞を狙う相手が、鬼畜な発想を平気で実行できるほど、人間の心を捨てているような奴らだと分かっている今、それらを野放しにしない方法があるのなら、それを積極的に使うべきだろう。
「まあ、この手段はオレの協力があった方が良いから、兄貴も話したんだろうけど」
オレはまた溜息を吐いた。
兄貴が口にした方法は、オレの手を借りなくても、実行可能な手段ではある。
だが、オレの手があった方が、確率が格段に上がるし、恐らく誰も傷が深くなったことに気付かないだろう。
オレと兄貴の悪い意味での業は深まりそうだが。
他の誰が知らなくても、悪い行いは自分自身が一番よく見ていることなのだから。
「九十九」
背後から声がかかった。
近くにいることは分かっていたから、驚きはない。
その声がする方向に顔を向けると、栞が立っている。
「水尾さんとの話は終わったか?」
「うん」
「悪いな。何度も離れて」
「わたしなら大丈夫だよ。雄也さんもいるし、リヒトもいるから」
その言葉に少し複雑なものを覚える。
これは嫉妬というよりも、護衛はオレなんかがいなくて良いと言われているような気分になるからだろう。
「それに、スヴィエートさんもわたしに敵意を向けなくなったからね」
それはオレにとっても驚いたことだった。
オレが水尾さんを探すためにこの島を出る前、あの「綾歌族」の女は、栞に対してかなりの敵意を抱いていたのだ。
だが、戻ってきたら、何故か懐いていた。
しかも、オレがいない間に、同じ建物内で共に過ごし、会話も一対一でできたらしい。
それどころか、歌を熱烈にリクエストされるほどの関係となっていた。
この島の住人でもあるあの「綾歌族」の女は、栞を島の精霊族たちを害した存在として敵意を持っていた。
それだけではなく、自分が「番い」と見定めた男であるリヒトが好意を持っている相手として一度は殺意を抱いたほどだ。
それが、全くなくなっていた。
あの「綾歌族」の女からはもう栞に対する敵意も警戒も一切ない。
兄貴やリヒトがあの女に対して何かしたのかもしれないが、こればかりは分からなかった。
「九十九は……、大丈夫?」
栞が上目遣いでオレを心配してくれる。
これだけで、心境的には大丈夫ではない。
「水尾さんもいるからな。まだ魔法は万全ではないようだが、彼女にとっては勝手知ったる元居城だ。十分、心強い」
水尾さんにとって、今から向かう場所は、敵地ではなく本拠地だ。
どれぐらいその頃の気配が残っているかは分からないが、この前の動きを見ている限り、間取りは頭にあるようだ。
それに、彼女の体内魔気の状態も、この場所よりは、あの城の方が回復する気がする。
あの城の中で、オレに向かって、火属性魔法を連発したせいか、火属性魔法だけならかなり回復傾向にあった。
「わたしの『祈り』は要らない?」
その言葉を聞いて、思わず、生唾を飲み込んだ。
栞からの「祈り」。
それがあれば、かなり気分的にも楽だろう。
何より、そのためには栞からキスをされるという大きな特典があるのだ。
だが、自分の煩悩をなんとか封じ込める。
「命を削る可能性があるなら不要だ」
「命を削った感覚はなかったんだけど……」
ぐらりとオレが惑うようなことを言うが、当人に自覚がないだけかもしれないのだ。
だから、オレは首を振る。
「アレはなくても、大丈夫だ」
オレは自分の迷いを断ち切るかのように力強く口にする。
そうでもしないと流されそうだった。
「それとも、アレがなければ、ダメなほど、オレが無能に見えるか?」
見えると即答されたら、心は折れそうだが。
「九十九が有能なのは十分過ぎるぐらい知ってるんだよ」
栞は大きく息を吐きながら、答える。
「でも、それでもわたしが心配するのは駄目なの?」
……主人が的確に護衛を殺しに来ます。
オレを持ち上げた上、上目遣いをしながら、頬を膨らませ、口を尖らせて、心配だと言ってくれる。
そんな見事な連続攻撃だった。
「それなら、普通に無事を祈っとけ。だが、聖女としての『祈り』は要らん」
「分かった」
だが、何故か栞はぐっと構えた。
「普通に祈る」
その言葉に嫌な予感を覚えるのはオレだけか?
「行きます!!」
「いや、待て? お前は、どこに行こうと言うんだ?」
そして、その妙な気合はなんだ?
「『魔法攻撃無効』!!」
「あ?」
栞の叫びに、オレは我ながら間の抜けた声を出したのだと思う。
「『物理攻撃無効』!! 『魔法攻撃力上昇』!! 『物理攻撃力上昇』!! 『治癒効果上昇』!! 『行動速度上昇』!! 『状態異常無効化』!! 『魔法力回復上昇』!! 『疲労軽減』!! 後は……、えっと確か、『環境最適化』!!」
次々と告げられる言葉。
そして、オレを中心に激しい風が巻き起こり、身体が宙へと跳ね上げられた。
「うおっ!?」
久しく体感していなかった、栞の風魔法。
最近は空気砲で的確に吹っ飛ばされてばかりだったが、こちらも健在だったようだ。
無駄に強大な風の渦に巻き込まれ、空の高さを思い知る。
これだけ飛ばされても、あのアリッサム城にすら届かないのだけど。
並の人間なら、最初の渦に吹っ飛ばされた衝撃で意識を飛ばしてもおかしくはない。
だが、オレは風属性にはかなりの耐性を誇る男。
しかも、栞の魔力には一番馴染みがあると自負しているぐらいだ。
これぐらいなら、耐えられる。
ある程度の高さまで上がり、空中で一度、静止した身体は重力に従って、大地に向かう。
そこで、反転して、地面の衝突に備えて身体強化を使おうとした。
「ん……?」
その瞬間、分かりやすい変化を感じた。
栞から「聖女の守護」とやらを受けた時ほどではないが、オレの能力が底上げされている感覚がある。
「まさか……」
ありえない。
だが、栞はもともと一言でかなりの効果が出る魔法を使えるようになっていた。
そして、先ほどの息を吐く間もないほどの言葉の全てに、それなりに効果があるとしたら?
さらに、あれだけ一気に吐き出された言葉の一つ一つに一定の効果があったとしたら?
それはこれまでに例がないほど、かなり効率的な強化魔法だということではないだろうか?
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