どうしてそこまで信じられる?
我ながら、意地悪な問いかけだと思った。
でも、その答えを知りたくもあった。
「どうして高田はそこまでヤツのことを信じられる?」
「どうしてって……?」
私の質問の意味が本当に分からないのだろう。
高田は目をぱちくりとさせている。
「私は、信じられなくなったよ。自分を組み伏せた男のことを……」
だが、その言葉で理解できたのか、目を見開いた。
私の可愛い後輩は、少し前に自分が最も信頼していた男に裏切られたのだ。
そして、私自身も同じように信じていた男に裏切られ、傷つけられたことがある。
「発情期」というこの世界特有のものによって。
その時の疵は私が最初に襲われた現場に、今も消されることなく、誰にも気付かれることもないまま壁に刻み込まれていた。
襲われた事実は同じ。
それが自分の信頼していた相手からだったということも。
未遂であったことも同じ。
ヤツらはそれぞれの理由からその本懐を遂げることはなかった。
明らかに違うのは、その年齢。
そして、好意の有無……、だろうか?
高田の護衛である九十九は、それでも彼女のことを無自覚のまま想っていて、私を襲った男は、私を姉貴の身代わりとした。
ああ、そこはかなり大きい気がするな。
「それなのに、どうして、高田は信じられる?」
その答えは聞いておきたかった。
同じ傷を持つ者として。
そして、これから向かう先にも同じような状態の……、いや、もっと酷い傷を持つ女の方が多い。
目の前の後輩は目を伏せて考え込む。
「相手が九十九だったから……、でしょうか」
ポツリとそう呟いた。
「見知らぬ人だったら確かにもっと怖かったと思います。実際、見習神官に柱の陰に引きずり込まれた時は、結構、怖かったですから」
「……は?」
なんだそれ?
そんな話は聞いたこともなかった。
見習神官からってことは、その場所は、法力国家ストレリチアしかありえない。
そして、この後輩は「聖女の卵」として、その法力国家ストレリチアに滞在し、決して短くない時を過ごしていたのだ。
その間に起きた悲劇ということだろう。
神官たちの中には、「聖女の卵」……、「聖女」になる可能性がある女は自分のモノにしたいという意識が強すぎるヤツもいる。
多少強引な手段を用いても、手に入れようと画策したヤツがいたのかもしれない。
だが、そんなことよりも……。
「護衛の二人は何してたんだ!?」
先にそちらの方が気になって叫んでしまった。
誰よりも後輩を気にして張り付いている護衛と、後輩に常に気を配りながらも書く場所で暗躍している護衛。
どちらも有能で扱いづらい男たちだ。
そして、私も敵に回したくはないと常々思っている。
そんな二人の目を掻い潜るようなヤツが、あの法力国家ストレリチアにいたということだ。
しかもそれが、見習神官……、だと?
そこが一番、信じられない部分だった。
「いや、その護衛の一人である雄也さんが『見習神官』に扮していたわけですが……」
「何やってんだ、あの男!?」
それは確かに柱の陰に引き込まれてもおかしくはない。
その手口も慣れていることだろう。
仮に、護衛である弟が傍にいても、容易に高田が物陰に引き込まれる図が想像できてしまった。
「気が緩んでいた九十九とわたしに対して忠告……のようなものを少々?」
「……なるほど」
その理由を理解はしたけど、それでも、やり方ってものがあるだろう?
なんで、わざわざ女に恐怖を与えるような手段を選ぶんだ?
その辺りの発想がおかしい。
普通に襲撃するだけでも十分、九十九の警戒心は高まりそうなのに。
「だけど、見知らぬ相手ではなく、九十九だったから、逆に怖かった部分もあるだろう?」
「ありますね」
高田は隠しもせずにそう言った。
それは、あの「ゆめの郷」でも確認したことではある。
あの時の高田は分かりやすく心が折れかけ、殻に閉じこもるほどだったのだ。
だけど、そこからの立ち直りは私が想像していた以上にずっと早く、それどころか、高田は前よりも九十九に気を許してさえいる。
その絆をより強固にして。
そこがどうしても私には理解できなかった。
一度は自分を穢しかけた男を何故、そこまで信用できるのかと。
「確かにあの時のことを思い出すと、今も震えが止まらなくなることもあります。でも、それと今の九十九を結び付けることができないのです。それほど、あの『発情期』の時の九十九と、普段の九十九は違い過ぎるのだと思います」
「違い過ぎる?」
「普段の九十九はわたしの意思を最大限に尊重してくれます。本当は自分でも納得できなくても、わたしの我儘を叶えるためと、できる限りの譲歩も見せてくれるのです」
それは惚れた弱みもあるんじゃないかと言いたくなったが、その言葉をなんとか飲み込む。
その言葉は、もう第三者が不用意に口にしてはならないものとなった。
九十九に自覚がない時期ならともかく、彼は主人への想いに混ざったものまで自覚してしまったのだ。
下手な言葉はその呼び水となりかねない。
「だけど、あの時の九十九は本当にわたしの言葉を聞いてくれませんでした。どんなに抵抗しても、叫んでもその手や口を止めることはなかったです」
まあ、本能に振り回されているのだ。
それが落ち着いて話し合いなどできるはずもないだろう。
しかし、手はともかく、……口……かあ……。
それは恐らく、言葉ではないのだろう。
まあ、それぐらいのことはされているとは思っていた。
あの直後に高田を見た時、その顔色の悪さよりも、全身に「印付け」が行われていたような印象があったことを覚えている。
それは、普通にヤるだけでは飽き足らない、男の独占欲の証だ。
自分が惚れた相手を誰にも奪われないように、所有物のように印付ける。
魔法国家でもそんな人間がたまにいた。
自分の恋人が誰にも奪われないように自分の気配で覆い尽くして周囲を牽制する子供じみた行為。
他人の気配が漂う気配の異性に手を出すなんて、余程の好きものか、他人の物を奪うことが好きな人種ぐらいだから。
尤も、あれだけその全身のほとんどが九十九の気配に包まれていながら、実はヤってないと知った時の方が驚きではあったのだけど、それでも、異性経験のなかった高田には、かなり刺激が強い行為だったことは間違いないだろう。
しかし、同じように異性経験がなかったあの青年が密かに隠し持っていた性癖も見てしまったような気がする。
「まあ、そんな状態でもなんとか踏み止まったのだから、逆に信じられるよな」
そこにどれだけの葛藤があったのかは分からない。
私は男ではないからその苦しさを理解できることもないのだろう。
それでも、人の話を聞かない野獣に組み伏せられ、食われかけたことがある人間としては、飢えている状態で極上の好物を前にしても止まるようなものだと想像はできる。
だが、九十九はそれでも、突き進まないことを選んだ。
本能を揺さぶられ、男としての欲を刺激されても尚、自分の主人を護ろうとしたのだ。
言い換えれば、千載一遇の貴重で希少な機会を思いっきりぶん投げた阿呆でもあるのだが、そこまで意思の強い男など、私も九十九以外に知らない。
「逆に尋ねますけど、水尾先輩。普段の九十九って護衛としてだけじゃなく、男として信用できない人間に見えます?」
「見えない」
それについては即答できた。
あの青年は、ある意味、ほとんどの女性に対しては「安全な男」だ。
自分の主人以外の女性を異性として扱うことに抵抗はなくても、性欲の対象としては見ないような堅物の男だから。
「ですよね?」
でも、その唯一は破顔した。
それはもう嬉しそうに。
はたして、その笑顔は自分の護衛を信じてもらえて喜んでいるのか。
それとも、それ以外の感情が含まれているのかは分からない。
ただ、漠然と、あの護衛青年は、間違いなくこの主人に今後も振り回されるのだろうなと思ったのだった。
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