全世界が敵になるか?
「リヒトは、栞の言葉に従いたいと思うか?」
『勿論』
オレの言葉にリヒトは迷いなく答える。
だが、その返答に栞がオレの腕を掴んだ。
『だが、それは、精霊族としての血ではない。半分は精霊族ではないようだからな。俺は自分の意思でシオリの意思に添いたい』
「リヒト……」
栞の手が緩む。
『スヴィエートの話では、精霊族が神に従うのは本能のようなものらしい。だから、シオリの言葉で眠らされたと言っていた』
「あ?」
『「子守歌」というらしいな。スヴィエートが気に入った歌は』
ああ、そう言えば、記録の中にあった歌で、やたらと歌われていたのは子守歌だった。
「『揺籃のうた』か。そう言えば、『ねんねこ』って、『眠れ』って意味だった気がするな」
「そうなのか?」
ねんねこが眠れ?
……「眠れ子」が訛ったのだろうか?
もしくは、幼児語の「眠れ」と「子」か?
「なるほど……。だから、何度も歌ううちに眠ったわけだね」
栞は納得しているが、オレはどうにも納得できなかった。
そこで眠っている「綾歌族」の女は単純に、栞の歌声に心も身体も癒されて眠っただけのような気もする。
そう考えてしまうオレは栞の「聖女」の能力を知っていても、本当に「聖女」にはなって欲しくないのだろう。
「精霊族と神の関係はなんとなく分かったけど、神官や王族っていうのはどういうこと?」
精霊族は神に逆らえない。
それはなんとなく知っていたことだが、それは主従ではなく、隷属関係だということは理解できた。
精霊族は自分の意思と関係なく、神に従わされる状態。
「神官も王族も、神には逆らえないってこと?」
『神官の力の源……、法力は、神から力を借りたものだと聞く。そして、王族は皆、大陸神の加護を強く享けるという。神に逆らうということは、それらの力の喪失の可能性もあるのだ。そう簡単にはできまい』
リヒトは溜息を吐きながらもそう口にする。
『どの神がシオリを「聖女」にと望んだのかは分からない。だが、現実的に、シオリは「神力」を使えるようになり、「聖女」の道を歩んでいる。この流れに逆らうのは容易ではない』
ストレリチア城下で「聖歌」を歌ったあの日から、いや、恐らくはもっとずっと前からその流れは始まっている気がした。
それは、船の中で紅い髪の精霊が口にした時か?
いや、ジギタリスで占術師たちが栞に向かって告げた時か?
「面倒な話だね」
「めんどっ!?」
その話を「面倒」の一言で片付けるほど図太い神経を持っているのは、お前ぐらいだ。
「つまり、精霊族視点では、神が今よりもっと強く望めば、王族や神官たちがわたしを『聖女』に仕立て上げる可能性が高いって考え方だよね?」
栞は冷静にリヒトに確認する。
『確かにそれは精霊族から見た話だ。現実は違うかもしれない。だが、もし、それが本当なら、水尾を始めとして、栞の周囲の全てが敵になる』
その流れにゾッとして、思わず、水尾さんの方を見た。
あの人が、栞の……、いや、オレたちの敵になる……、だと?
「その辺りは大丈夫だと思うよ」
だが、栞はあっさりとそう言った。
「は?」
『そうか』
驚くオレに対して、意外にも落ち着いたリヒトの声。
「確かに神官たちから『聖女』にと望まれている自覚はあるけれど、その神官の頂点である大神官さまが神の意思に逆らう先駆者だからね」
『そうだな』
「いや、『そうだな』って……」
そこはそう簡単に納得して良いものか?
確かに大神官からはどことなく、「神嫌い」な雰囲気が漂っている気はしていたが、神の意思に逆らう先駆者まで言うか?
それなのに、神官やってるっておかしいだろ?
「王族たちも大陸神の加護を享けてはいるけど、中心国の王族すら大陸神の血は混ざり合っちゃっているからね。純血主義のシルヴァーレン大陸の中心国セントポーリアですら、過去に光の大陸神の血を受け入れているぐらいだよ」
確かに、昔ならともかく、他大陸の血が混ざっていない王族なんて、ほとんどいない気がする。
「多分、この島の精霊族は人間のことをよく知らないのだと思う。逆にわたしたちは、精霊族のことをよく知らない。その違いが、今回のこと……、なのかな?」
「いや、そんな単純な話でもないだろう?」
確かに人間と精霊族の相互理解はできていない。
今回のことはそれを利用して、人間たちの監視の目を擦り抜けた悪事であったことは否定しない。
だが、それとこれとを同系列に扱うことはできないだろう。
「ただ、確かにリヒトのその心配も分かるよ。実際、神官たちの半分はわたしの敵に回ってもおかしくない。その流れは既に作られているからね」
「なんだと?」
「ミラージュの人間がわたしを狙うって言うのはそういうことでしょう?」
意図的に法力を使う人間たちを育成する国。
そして、その頂点は「導きの聖女」を命令によって捕らえ、国中の男たちに穢させようとするようなとんでもない男だ。
そんな事実に思い至る。
「今は明確に敵対されていないけれど、中心国の王たちも、わたしが『聖女』となる可能性が高いと知れば、変わるんじゃないかな?」
本来は聖女認定のために筆頭となるはずの法力国家ストレリチアの国王陛下については大丈夫だ。
栞の存在を知りつつも、大神官を始めとして、自分の娘や息子に反対されているために手を引いてくれている。
まあ、もう一人の「聖女の卵」を王子殿下がしっかりと確保しているための余裕もあるのだろうけど。
輸送国家クリサンセマム……、アレはだめだ。
敵に回る印象しかない。
魔力の強い栞の存在を知れば、「聖女」認定を選ばせなくても、自分自身で囲おうとするだろう。
剣術国家セントポーリア……、恐らく一番大丈夫だ。
国王陛下は、栞に対する情はあるし、何より母親である千歳さんのことを考えれば、絶対に裏切らない。
幼かった兄貴やオレにすら嫉妬心を抱くほどの執着。
栞は心配していたようだが、オレはあの方については、少なくとも敵に回るとは思っていない。
ただ、王子の方は確実に狙っている。
今も尚、手配書は世界中に回っているのだ。
情報国家イースターカクタス……、あの国は読めない。
自分たちの利になるなら、動き出しそうな気がするが、国王陛下と話した限り、今は見逃してくれていることは分かっている。
だが、あの国の国王陛下は「聖女」としての栞よりも、「千歳さんの娘」としての栞に興味を示しているのが問題だ。
恐らくは、「セントポーリア国王の娘」としてはそこまで興味を持っていない。
まあ、つまり、あの国王陛下もいろいろと拗らせた結果なのだろう。
王族は自分で相手を選べないことの方が多く、周囲のお膳立てにより、婚約が結ばれる。
だから、感情を拗らせやすいのかもしれない。
迷惑な話だ。
そして、その息子も面倒そうな雰囲気を持っていた。
欲しい者は力づくでも手に入れようとする辺り、セントポーリアの王子に似通っているところがある。
弓術国家ローダンセ……は、聖女に対する評価は分からないが、王位継承の問題で揺れている。
「聖女」としても、「魔力の強い娘」としても、栞は魅力的に見えるだろう。
次の目的地として向かっているところだが、厄介ごとに巻き込まれる気がして、兄貴もオレも警戒している所である。
機械国家カルセオラリアは、正しく栞の価値を理解している国だと言える。
「聖女」としての能力も、「魔力の強い娘」としても見ていない。
カルセオラリアの国王陛下も栞を気に掛けている節があり、トルクスタン王子に至っては求婚しているほどだ。
ある意味、一番、厄介な国かもしれない。
ただ大きな借りが栞とその護衛たちにもあるために、表立って強引な手段には出ることができない点が幸いだろう。
そして、謎の国ミラージュ。
ヤツらは頂点から末端まで漏れなく敵だ。
謎が多くても、そこだけは間違いない。
紅い髪の男は少しだけマシだが、それでも、敵であることに変わりはない。
何よりも栞に執着している点が許し難い。
分かっている。
これはただの嫉妬だ。
冷静な目で見れば、あの男はミラージュという頭のおかしい国にあっても、その国や王族としてではなく、自分の意思で栞を求めている。
つまり、オレ個人での敵でしかない。
まあ、栞にとって害のある行動もとる時もあるのだから……、完全なる敵と認識してやりたいのだが、たまに、栞だけでなくオレに対しても忠告めいたものを寄こしてしまうのは本来の性格なのだろう。
残念ながら、悪人になり切れていない。
だから、扱いが難しいのだ。
少なくとも、栞の目に付くところでは始末できない。
オレはそう頭を整理していく。
『ツクモは気付いていないようだが……』
「あ?」
オレの心を読める男は口を開く。
『それらの国々よりも、この世界で一番、「聖女」という存在を手に入れたがっているのは、「大聖堂」なのではないのか?』
そして、そう続けたのだった。
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