思い出に感化されて
だが、いつまでもこの状態を見ていたいわけではない。
実の兄貴の行動で、そうしたくなった気持ちも理解はできるけれど、見せつけられているオレにとっては胸糞が悪いだけだ。
「兄貴、そろそろ、栞を解放してやれ」
「ふごっ!?」
オレの声に反応して、栞の奇声が兄貴の腕の中で聞こえた。
それが、あまりにもいつも通り過ぎて、こんな状況だと言うのに妙に安心する。
「無粋な男だな」
兄貴が不敵に笑う。
「無粋でも、野暮でも好きなように言ってくれ」
その兄貴も、オレの手が同じように伸びたことは気付いていただろう。
だから、先に栞を抱き締めることで、オレの手に捕まらないように逃がした。
そして、栞の顔を、いや、その目を隠すことで、オレの表情を見せないようにしたのだと思う。
だが、そのためとはいえ、かなりきつい拘束に見える。
「栞……、息ができるか?」
「む、無理ぃ……」
それでも声が出せると言うことは、呼吸自体はできているのだと思う。
「……だそうだ」
「それなら、仕方ないな」
栞の息苦しそうな声を聞いてまで、捕まえておく理由もないのだろう。
そのまま、兄貴は両腕を開いて栞を解放する。
「……ぷはあっ!!」
顔を赤くした栞が大きく息を吐いた。
「豪快な溜息だな」
「それだけ、苦しかったんだよ」
軽く息を荒げている辺り、本当に苦しかったらしい。
「ごめん、ごめん。でも、それだけ栞ちゃんに言われたことが嬉しかったんだよ」
「わたし、何か言いましたっけ?」
オレたち兄弟を突き動かすようなことを言った本人にその自覚はないらしい。
自分たちが仕え、そして大事に護っている人間から認められ、頼られる。
そのことが嬉しくない護衛や従者がいるはずがないのだ。
「『自分が強く見えるとしたら、それは支えてくれる俺や九十九のおかげだ』と言ってくれただろ?」
「ああ、言いました。でも、本当のことでしょう? わたしの今の生活は、二人のおかげで成り立っていますから」
栞の生活の補助はオレたちの仕事のうちだ。
彼女の身を危険から守ると同時に、この世界にいる限り、不自由なく過ごさせることも任務となっている。
だから、そこまで持ち上げられるものでもない。
それでも、自分が好きな彼女の強さが、自分のおかげとか言われたら嬉しいのだ。
「だから、そこまで喜ばれるほどのことではないのに……」
栞はそう言いながら、俯く。
『シオリ……。自分の仕事を褒められたら、大半の人間は喜ぶと思うぞ』
「ふ?」
『シオリのその台詞は、ユーヤとツクモの仕事を褒めたのと同義だ。雇い主や主人から高評価を受ければ、喜ぶのは当たり前だ』
「なるほど!」
リヒトの言葉に栞は顔を上げて両手を叩く。
「確かにお仕事の頑張りを褒められるのは嬉しいね」
納得したらしい。
「でも、嬉しいのは分かるけど、それで抱き締められるのはちょっと困るなあ」
栞はポツリと呟いた。
本人は小さな声のつもりだっただろうけど、思いのほか、大きく聞こえた。
『ユーヤから抱き締められるのは嬉しくはないのか?』
いや、お前、何を聞いてるんだ?
「喜ばれたのは嬉しいけど、抱き締められると苦しいし、心臓が持たない」
「不快だった?」
いや、当事者も何、聞いてるんだよ?
「不快……とは違うんですけど、ちょっと恥ずかしいです」
もし、オレの手が先に伸びていたら、栞はこんなに可愛いらしい反応をしてくれただろうか?
そんなこと、考えるだけ無駄だな。
この女はオレを寝具か何かと勘違いしているような女だ。
耳元で囁けば、それなりの反応はあるけれど、オレが普通に抱き潰したところで、ここまで可愛らしい反応は望めないことは分かっている。
「俺はキミに感謝の気持ちを伝えたかっただけなんだけどな」
それなら、腕じゃなくその口を使え。
その甘い顔と声で礼を言うだけでも十分、伝わるだろう。
ああ、分かっている。
オレはなんて、小さいんだろう。
兄貴のこれらの行動が、オレに対する牽制だってことも分かっているのだ。
これ以上、栞に踏み込むなと。
何も考えずに手を伸ばせば、待っているのは誰にとっても幸せにならない未来だと、オレと同じ立場である兄貴は知っているから。
そうでなければ、オレの目の前で栞に対してここまで構う必要はないのだ。
『お前たちの仲の良さに割り込む気はないが、それでも、あまりシオリに触れるな。シオリ自身が不快ではなくても、俺が見ていて嫌な気分になる』
リヒトは包み隠さず不快感を伝える。
この男も栞に好意を持っているのだ。
だから、目の前で他の男から抱き締められたりするのは良い気分じゃないのだろう。
「それは失礼した」
兄貴はそう言いながらも笑みを浮かべる。
強者の余裕……。
そんな言葉がオレの頭をよぎる。
栞は、どう思っているのだろうか?
兄貴に対して嫌悪感はなさそうだ。
だが、それが恋愛感情かと言われたら、そこまでではない気がする。
そうでなければ良いと思うオレの期待も入っているかもしれない。
オレの時よりも可愛い反応をしている気がするが、それでも、どこかで何かが違う気がするのだ。
少なくとも、あの赤い髪の……、来島と一緒にいた時ほど揺さぶられているようには見えない。
あの時は、感情を揺らされる場所でもあった。
その効果もあっただろうけれど、それ以外の、いやそれ以上の感情の変化は間違いなくあったとは思っている。
だから、オレは今でもアイツが苦手だ。
その姿を見せなくなった今でも、どこかで無様なオレを笑っている気がしてならない。
『ところで、シオリ』
リヒトの声が耳に届く。
『ここで、「聖歌」を歌ってくれる気はないか?』
「「「え!? 」」」
そんな突然の言葉に、この場にいる人間たちの声が重なった。
『この島で、俺はシオリの「聖歌」を聞きたい』
「で、でも、『聖歌』は禁止令が大神官さまからも、雄也さんからも出て……」
ちょっと待て?
大神官はともかく、兄貴からもってどういうことだ?
「何か気になることでも?」
兄貴が確認する。
『気になることはある。だが、それ以上に、俺自身がシオリの「聖歌」を聞きたいのだ』
「薬を混ぜながらが良いか?」
『それはどちらでも良い』
薬作りに関係はないらしい。
薬作りで「聖歌」の反応も気になるけどな。
「ど、どうしましょう?」
「人前で無暗に歌わなければ問題ないとは思うよ」
つまり、兄貴も聞きたいということだな。
それなら……。
「できれば、ルピエムの樹液を混ぜながら歌え」
「ふわっ!?」
オレの言葉に栞が何故か叫んだ。
どうせなら、それでまた新たな反応が見られるかもしれない。
栞が歌って作った薬は間違いなく、短い時間で完成していた。
このクソ暑い部屋の外に出して暫く置いても、栞の歌を聴いた後の樹液の色は透明のままだったのだ。
そこでまだ眠っている「綾歌族」の女のいう「もんわか」状態というのは、薬になったと考えて間違いないだろう。
「でも……」
「なんだ?」
栞が分かりやすく迷いを見せる。
彼女が「聖歌」を覚えていないはずがない。
大聖堂で昼に流れる3曲以外にも、栞は様々な「聖歌」を練習して歌えるようになったはずだ。
「薬が光っちゃう」
「あ?」
なんだか、奇妙なことを言われた気がする。
「『聖歌』を歌いながら混ぜると、目に視えて薬が変化するんだよ」
「…………」
ああ、なるほど。
オレが記録を見た時に違和感を覚えたのはそういうことか。
あれだけいろいろな歌が並んでいたのに、その中に「聖歌」が入っていなかったのが意外だったのだ。
薬の反応を見るなら、真っ先に効果が出そうな歌なのに。
「それで……、兄貴からも禁止令が出たのか」
兄貴はそれを知っていたわけだ。
栞が書いた記録の一部を隠していやがったんだな。
「兄貴、その薬は?」
「後で見せる。だが、トルクスタンにだけは見つかるな」
「分かった」
確かに、物が物だけに、トルクスタン王子に鑑定させるわけにはいかない。
どんなに隠してもその出所を探り出されるだろう。
だが、兄貴はオレにも隠すつもりだったのか?
そこだけがひっかかったのだった。
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