対面を前に
ノックもなしに王子の手によってこの部屋の扉が開かれたことに、栞は驚いて思わず雄也を見てしまった。
雄也はといえば、それは慣れたことなのか、涼やかな目のまま平然としている。
考えてみれば相手は王子だった。
しかも自分の部屋だから、中にいる相手のことを考えて合図するという習慣がないのかもしれない。
あるいは、単純に人間界と魔界との文化の違いなのかもしれないと栞は思っていた。
「陛下の反応はいかがでしたか?」
最初に口を開いたのは雄也だった。
「お前が言うように、正面から反対されているという印象は受けなかった。だが、賛成しているわけでもないといった様子だ」
王子は軽く息を吐いた。
「急な話ですからね。陛下も判断しかねたのではないでしょうか」
そう言いながら、雄也は慣れた手つきでお茶の準備を始める。
栞はそれを見て感心していた。
相手を見ながら話をしているというのに、よくお茶を淹れる手順を間違えないものだと。
栞なら、しっかりと集中していても、既にお茶の葉が何かしらの形に変化してしまっている頃かもしれない。
「詳しいことは省く。結論から言えば、どんな娘か見てから決めるそうだ」
「陛下ご自身が直接対面……、ということですか。それは、いつ頃に?」
「今からだ」
「それはかなり早急ですね」
それでも雄也に驚いた様子はなかった。
そうなると予想をしていたか、事前に打ち合わせていたのだろう。
「そういったわけで、ラケシス。行くぞ」
「へ?」
しかし、「ラケシス」と呼ばれた栞の方は、目まぐるしく変わっていく状況についていけなかった。
「お前と陛下が対話して、話が決まる」
王子はそう言うと、栞の返事も待たずにぐいぐいと腕を引いて進み出す。
なるほど、万事がこの調子では確かに上に立つ者としては不安が残ると栞は引っ張られる手をみながらぼんやりとそう思った。
国政に対する知識とかがない自分でもそう思えるのだ。
他の有識者たちの目にはこの王子さまはどのように映っているのだろう、とも。
根は悪い人間ではないようだけれど、相手の都合を全く考えない行動はあまり感心されないだろう。
そして、雄也は黙ってそんな二人の後をついていく。
彼は、この王子の性格から考えて、王が少しくらい反対したところで簡単に引き下がることはないことを理解している。
つまり、国王陛下にはきっぱりと拒絶していただかなくてはならない。
最悪、国王陛下という権威を持って、拒否を願うしか無いだろう。
確かに王子殿下の友人としての地位は悪いものではない。
寧ろ、魔界人の立場としてはそれを望む人間が多いのも事実だろう。
だが、栞にとってはデメリットの方が大きい。
当人に説明したリスク以外にも妬みとかそういった負の感情を、何の関係もないような無責任な人間たちからも受けてしまう。
現にこの少女の母はそれらで苦しんできたのだから。
そんな状況に追い込んでしまうのなら、何のために彼女たちに悲しい顔をさせてまで魔界へ還ってきたのか分からなくなってしまう。
既に弟には連絡している。
いつもなら分かりやすく文句を言う彼の方も、どうやらかなりの取り込み中のようで、通信も慌ただしく、短めだった。
互いに時間もなく、その詳細については雄也に伝わっていないが、断片的な情報だけでも今はあちらも普通ではない状態なのがはっきりと分かっている。
それこそ、この少女に伝えればすぐに戻ると言い出しかねないほどに。
だから、当人には何も話していない。
この事態を知れば、現状を考えずに全てを放り出して、城から飛び出してしまいそうだからだ。
それは、この状況では最悪の選択肢である。
だから、彼女にはなんとかこの場を切り抜けてもらう必要があった。
申し訳ないが、今はこの場に集中してもらいたい。
雄也はそこまで考えて、二人の背中を改めて見つめる。
走りこそしないまでも早足で進んでいく王子と、引き摺られるようにして前を行く着飾られた少女。
それは、どう見ても、女性をエスコートしている状況には見えない。
雄也は大きく息を吐くしかなかった。
このままではあの王子殿下は、一国どころか、一人の女性も導くこともできないのではないかと思える。
尤も、雄也にとってはそんな些末なことはどうでも良かった。
彼には彼の考えがあって、その中に、あの王子の行く末に心を砕くような気持ちは存在しないのだ。
精々、彼の目的のために邪魔をしない程度の我が儘なら許容するつもりであった。
三人は廊下を進み、ある一室の前で足を止める。
栞はゲームに出てくるような大広間に通されるかと思っていただけに、先程までいた部屋とそこまで差がない扉に逆に拍子抜けした。
寧ろ、王子の私室と違って、余計な装飾がないため、彼女の目にはかなり質素に映ったようだ。
普通に考えて、そんな客人を招くような大広間で執務を執り行うような人間はいないはずだが、栞にとっての国王との対面というイベントは、RPGの勇者たちぐらいしかイメージがなかった。
人間界、それも日本で育っているためにそこは仕方がないことだろう。
そもそも、どんなに人間界よりも王族との距離が近いとは言っても、王の執務中に即時、謁見を申し出るような非常識な人間も多くはない。
王子はその扉を4度叩いた。
その様子から、彼にもノックの概念自体はあったらしい。
「陛下、連れてまいりました」
それだけを言うと、相手からの返答を待つこともせずに王子は扉を開く。
そこにノックの意味はあったのか疑問だ。
しかし、部屋の中へと進もうとしていた彼は、急に何故だかその動きを止める。
部屋の主から何かを言われているようだが、その声は栞のところまでは届かない。
そして、何故か王子は、中に入ることもせず、何事もなかったかのようにそのまますっと扉を閉めた。
「どうされました?」
雄也が問いかける。
すると、王子は面白くなさそうな顔をして言った。
「今度は俺が場を外せ、との仰せだ。俺から話は充分聞いたから、もう俺の意見は必要ないだと。ふん。ラケシスが黒髪、黒い瞳だと伝えたからな。多少なりとも動揺する様を息子である俺に見せる気はないってことだ」
「そうですか。すると……、ラケシスさまお一人の対面ということになりますね」
雄也は栞を見ながら言う。
そんな展開を考えてもいなかった栞は、緊張した面持ちになる。
「いや、場を外すのは俺だけだ。ユーヤ、お前は残れ。陛下はお前からの意見も聞きたいらしい」
そう言って、王子はひらひらと手を振りながら言葉を続ける。
「そういうわけだから、できれば、良い方向に転がるように、お前の得意とする話術で仕向けろ。俺は部屋で待機しておくから、後で、しっかり報告しろよ」
「分かりました。後ほど部屋へ参り、子細を報告いたします」
良い方向へ転がるように、という言葉に対しての返事はしていないのだが、王子は気にした様子もなく、部屋へと戻っていった。
「さて、栞ちゃん。覚悟はできたかい?」
と、雄也は無駄に爽やかな笑みを栞へ向ける。
「覚悟も何も……。いろいろなことがいきなり過ぎて現実味が湧かないのですが……」
ここに来るまでにもいろいろとあったが、この状況に比べれば、それも前菜みたいなものだと栞は思っていた。
しかも、何の準備もなかったのだ。
主に心の準備が足りていない。
「まあ、気負わず、いつものように気楽に」
「相手は国王陛下……ですよね?」
そんな相手に対して気負わないなんてできないし、気楽になんてもっとできるはずもないだろう。
一国の王との初対面で、そこまで呑気な人間がいたら見てみたいと栞は思った。
人間界でも天皇陛下なんて雲の上の存在は疎か、自分が住んでいた地域の自治会長だって挨拶する程度だったのだ。
そんな根っからの小市民が、こんな状況で落ち着けるはずもない。
いや、それ以上に……相手は……栞にとって……。
栞がそんな風にごちゃごちゃ考えている間に、今度は雄也が扉を4度叩く。
『入れ』
扉越しに返答があり、雄也と栞は部屋へと入った。
部屋に入るとすぐに大きな長机があり、椅子が並んでいた。
一見、学校にあった会議室のような印象を受ける。
そして、その最奥に、この部屋の……、いや、この城の主と思われる人物が座っていたのだった。
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