【第82章― 今昔之感 ―】血の絆を結ぶ
この話から82章です。
よろしくお願いいたします。
「あれ? リヒト」
わたしが、九十九からの辱め、違った「嘗血」行為が終わって、洗面所から戻ると、そこには雄也さんだけではなく、長耳族のリヒトがいた。
やはり「適齢期」後の彼の姿にはまだ慣れない。
変化があまりにもいきなりすぎて、視覚情報が更新されていない気がする。
それだけ少年時代の彼を長く見ていたということなのだろう。
九十九の時にも小学校卒業を最後に、中学校卒業直前に再会して、実に三年の空白期間があった。
そのため、再会した直後のわたしは、九十九のことが全く分からなかったのだ。
確かに面影はあったが、その顔も背も、声も自分の記憶の中にあるものとは違い過ぎて。
小学校の頃はあれほど九十九のことを見ていたはずなのにね。
尤も、その戸惑いも、その後の怒涛のような展開によって綺麗さっぱり消え去ってしまうわけですが。
そして、今では、その九十九が傍にいることが当然に思えているからいろいろと不思議なものである。
『シオリ、お疲れ様』
リヒトはそう言って笑った。
その顔は、まだ少年の時とそこまで変わらない。
でも、出会った時よりはずっと表情が豊かになっている。
そのことが嬉しい。
「本当に疲れたよ」
「悪かったな」
わたしの疲労の原因となった男は背後からどこか不満そうに言う。
「随分、賑やかだったな」
雄也さんもそう声をかけてきた。
そんなに離れていない場所での騒ぎだった。
つまり、ここまで聞こえてましたよね、ええ。
わたしは、先ほど九十九から「嘗血」行為をされたのだ。
割と恥ずかしい方法で。
いや、冷静になればアレは仕方ないと思う。
それだけ、わたしの防御力が高いのが問題なのだ。
警戒している状態ならば、自分に振り下ろされた刃物すら折ってしまうとかどんな屈強な戦士なのでしょうか?
しかも、生腕ですよ?
生の腕!
鍛えても、人類はそこまでの領域に達しないと思うのです。
それでも、わたしは自分の身体の異常さを知る。
だから、雄也さんも九十九も、それぞれわたしの隙を突いて、「嘗血」行為をするしかなかったのだ。
日を改めるという選択肢がない以上、それは仕方がない。
だけど、有能な護衛たちはどうして、ああもわざわざわたしに恥ずかしい思いをさせるのか?
それ以外の方法はありませんでしたか?
……ないですね。
なかったですね。
異性慣れしてないわたしの隙を突くには、アレらが一番効果的な気がする。
搦め手と言うやつである。
だが、ジャイアントスイングされたかのようにぐるぐるとぶん回されたわたしの乙女心というやつをどうしてくれるのか?
「兄貴の方はどうだ?」
「鋭くはなったよ。正しくはぼんやりしていて掴みにくかったものが浮き出たような感覚だな」
分かりにくい会話だが、先ほどの「嘗血」行為の結果の話だろう。
もともと、その「嘗血」は、わたしとの繋がりを強化することを目的とした行為だ。
決して、わたしを辱めるための行為ではない。
それに、彼らが本気でわたしを辱めると言うのなら、もっといろいろできてしまうだろう。
雄也さんはそれだけ大人だし、九十九はそこまで得意そうではないけれど、「発情期」の行動から、わたしをどうにかする術はちゃんと知っているわけで……。
うん。
これ以上、深く考えてはいけない。
それこそ泥沼思考になってしまう。
「お前の方は?」
「よく分からん。オレはそこまで変化がない気がする」
あれだけ恥ずかしい思いをしたというのに何の意味もなかったとか。
割と酷くないですか?
「お前の方は、始めから鋭かったからな。そうなると、これ以上、進化しないと言うことか」
「つまり、この状態が最上ってことだな」
兄弟はそう結論付けた。
残るは疲れたわたしだけ……。
『そもそも、お前たちはなんで、シオリの血を舐めるという話になったのだ?』
心の声を読める長耳族の青年は、不思議そうに確認してきた。
うん。
そこだけ切り取れば、かなり違和感しかない話だよね。
「一言で言えば、繋がりの強化だな。なんでも、人間は、血の中に魔力が含まれているためか、他人の血液を体内に取り入れると、その相手の気配を掴みやすくなるらしい」
『繋がり……』
リヒトはそう言いながら、雄也さんとわたしを見比べた。
その後に九十九を見て……。
『それは、俺でもできるものだろうか?』
そう口にした。
なんですと?
「どうだろう? この『嘗血』行為自体があまり知られたものではないからな。人間と精霊族との間で成立するかは分からんな」
雄也さんは考え込む。
『俺は半分、人間だ』
リヒトは言い切る。
『だから、精霊族だけではなく、人間の能力もあるのではないか?』
実際、魔界人と人間の混血であるわたし相手でも反応があったわけだ。
リヒトの言葉は分からなくもない。
「栞ちゃんが普通の人間ならな」
今、普通の人間じゃないと言われましたよ。
「彼女には、人間の王族の血が混ざっている。王族はそれだけで出鱈目な存在だ。だから、精霊族にとっては、その血そのものが劇薬にならないとも限らない」
さらには、劇薬……、毒物のような扱いされましたよ?
いや、言いたいことは分かるのです。
わたしも、実際、自分が普通ではないことは分かってきたから。
それでも、劇薬……。
劇薬なのか~。
『劇薬というが、具体的には何が起きる可能性がある?』
「はっきりとは言い切れないが、流れ込む魔力が強すぎれば、普通は器である肉体が耐えきれない。それについては、精霊族の肉体なら大丈夫だと思うが、問題は能力だな」
『能力?』
「今、リヒトは長耳族の血である心を読む能力があるが、人間の血が邪魔してもう一つの伝達能力の方がない。そして、人間の能力……、魔力を抑制することで、通常とは違った形で会話が成立させている状況だ。そこまでは理解できるか?」
『できる』
リヒトは自分の耳にある抑制石に触れながら、雄也さんの問いかけに答える。
「だが、その状態が他の人間の血を取り入れることで、またバランスが崩れる可能性があるのだ」
『つまり、また会話ができない状態に戻る可能性があるということか?』
リヒトの言葉が震えている。
「そうなるな。大丈夫かもしれんが、俺は確証のない状況で気休めを言えん。だが、栞ちゃんの血は僅か一、二滴ほどでも、魔力を変化させてしまう可能性が高い」
それは間違いなく劇薬指定だ。
「実際、俺の方も少しだけ変化があった。ただのきっかけかもしれんがな」
「変化?」
九十九が反応する。
「魔力そのものに大きな変化はないが、風属性が強まった。恐らく風属性の耐性強化もされている」
「属性強化はともかく、属性耐性強化も外からじゃ分からんぞ?」
いや、わたしにはどちらも分からないよ?
「本当に微妙な上昇効果だからな。風属性が0.03パーセント上昇。風属性の耐性強化は0.5パーセントといったところか」
細かすぎる変化!?
いや、それってもう誤差の範囲ではないですか?
「なるほど。その数値変動は外からでは分からんな」
しかも、九十九は納得してるし!!
「だが、俺はもともと風属性が強く、耐性も弱くはない。だが、リヒトは違う。母親がスカルウォーク大陸出身者なら、確実に魔力に変調をきたすだろう」
雄也さんが溜息を吐きながら、さらに言葉を続ける。
「そして、リヒトが着けている魔石、『抑制石』は体内魔気の循環を阻害する『魔封石』と違って、魔力の放出を押さえるものだ。魔法具を扱うカルセオラリアぐらいしか一般的には売られていない」
「オレの血で試すか?」
九十九が事もなげにそう言った。
「栞の血の効果が強すぎる可能性があっても、オレなら多分、そこまでの反応がないだろ?」
その言葉に、雄也さんがさらに悩んだのが分かる。
九十九は、当人に自覚がなくても情報国家の王族の血が流れているのだ。
しかも母親は元神女。
立派に魔界人だ。
ある意味、わたしよりも劇薬指定な気がするけどどうだろう?
でも、それを雄也さんがこの場で告げることができない。
それは、雄也さんがこれまで隠してきたことだから。
『風属性も強く、一般的な人間より魔力が強いツクモでは、結果的に似たようなものではないか?』
「阿呆言うなよ。栞とオレでは雲泥の差だ」
風属性はともかく、魔力的にはそこまで差はないと思う。
『それに俺はシオリと「絆」を結びたいだけだ。誰でも良いわけではない』
「お前……」
リヒトにしては珍しく、力のこもった声だった。
それに反論できるはずがない。
「お前の気持ちはよく分かった」
雄也さんもそう判断したようだ。
「だが、それには何よりの問題がある」
『問題? あ……』
リヒトは雄也さんの心を読んだのか。
その顔を蒼褪めさせる。
「この場にいる誰が、この栞ちゃんを傷つけられるだろうか?」
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




