完全に失念
完全に失念していた。
「話題の中心であるアリッサム城は今、どこにある?」
兄貴からのその言葉を聞いて、オレは思い出したのだ。
自分が行けるからと言って、他の人間が誰しもその場所を自由に出入りできるわけではない。
だからこそ、オレは、その中にいる人間たちを救うことができなかったのだから。
「アリッサム城は、宙にあります」
栞が答えてくれるが、単純に空中に浮いているだけという話ではない。
遥か上空、高度1万メートルを超えるような場所に存在しているのだ。
宙に浮いているアリッサム城を一歩出れば、浮遊系魔法や飛翔魔法など、空中静止ができるような魔法を使えない限り、重力に従って落下するしかない。
しかも、移動魔法を使うには距離もある。
「人を救うために救助隊を結成しても、結局は人海戦術以外の手がない。だが、高度1万メートルを超えるような場所への移動魔法、飛翔魔法は誰でも使えるものでもないんだよ」
オレも栞による「聖女の守護」があったから、思った以上に楽ができたことは間違いない。
「雄也さん。10キロを超える移動魔法を使える人って、結構、いるのではないんですか?」
栞は疑問をそのまま口にする。
「栞ちゃんは、周囲の人間が使える人間が多いからあまりピンとこないだろうけど、10キロを超える距離の移動魔法を使える人間がまず限られている。一般的な人間は数キロの距離を移動することも難しい」
「そうなのですか!?」
驚きながら、栞はオレと兄貴をそれぞれ見ている。
それは、意外でも何でもない話だ。
空属性のスカルウォーク大陸の人間までは分からないが、普通の人間は建物の出入り、買い物の距離ぐらいしか移動をしない。
長距離移動をするのは行商人、巡礼する神官や捕り者をする兵たち、あとはオレたちのように訳アリ……、いや物好きな人間たちだ。
セントポーリアも城から城下へ移動魔法を使える人間は城下に住居を構えていたが、その間にある城下の森ぐらいしか距離はない。
その城下の森だって、城門から直線距離で最短なら3キロで抜けられる程度だった。
「加えて、高度1万メートルを越えれば、気温や気圧も下がるし、酸素も薄いため、自分の身体の護りを強化する必要がある。アリッサム城内に環境調整系の機能が働いているかは分からないけれど、そこに行きつくまでは自力で体内魔気の調整をしなければならない」
「うわあ……」
それだけで栞が疲れたような声を出す。
高度1万メートルと言えば、地球では気温はマイナス50℃以下。
この蒸し暑い部屋と真逆の極寒の世界だ。
気圧は……、地球なら0.26気圧ぐらいか。
だが、この星では分からん。
恐らく、計った奴もいないだろう。
そして、酸素濃度も同じく4分の1ぐらいだったはずだ。
そんな状態では、何の対策もしなければ、酸欠症状によって気を失うことは避けられないだろう。
だが、それらを「聖女の守護」という奇跡を起こすことで、あっさりと解決できてしまった女が、オレの目の前にいる。
勿論、彼女の手を借りずとも、オレ自身だけでも自分の身体の周囲に対して体内魔気を使って護ることで、環境の変化に耐えることはできただろうが、文字通り、常に気を張った状態となる。
「そこまで無事に行きついても、常に体内魔気を巡らせて、不測の事態に備えなければならない。そんな器用なことをできる人間となればもっと数が減るね」
そんな兄貴の言葉に、栞が吐息を漏らした。
オレや兄貴のように様々な事態を想定していなければ、争いが少ない今の世で、複数の魔法を一人で同時に使用しようなんてことは考えないだろう。
魔法国家と言われているアリッサムですら、騎士団などに所属していれば、基本的に集団での訓練だったと聞いている。
人間、どうしても向き不向きというものがあり、万能型よりも、特化型の方が大成もしやすいのだ。
そして、集団となれば、個々の能力を重視しても、人員配置を考えることにより、互いに不足を補い合い、攻撃型、守備型、補助型、治癒型などに分かれ、それぞれの得意分野で動くこともできる。
だが、オレたち兄弟にはそんな余裕なんかなかった。
常に複数の事態に即、対応できるよう教育、指導をされてきたのだ。
だから、複数のことに対して一人で同時に対処することなんて、当然ながら最低限の話だった。
そして、今は、そんな単純作業だけでは足りず、さらに強力で高精度な技術として高める必要が出てきている。
それほどにまで自身の能力を引き上げなければ、呼吸をするかのように複数の極大魔法を同時に展開することが自然にできる「王族」と呼ばれる人間たちによって、一方的に蹂躙されるだけとなる。
「本当に、九十九も雄也さんも優秀な護衛ってことですね」
栞はそう言ってくれるが、オレも兄貴も「優秀」には届いていないのが現状だ。
魔法に関して言えば、兄貴は攻撃も守備もできるが、基本は補助型だ。
しかも、治癒系魔法はほぼ使えない。
オレは攻撃、補助もできるが、基本的に自分を強化することしかできない。
幸いにして治癒魔法の適性はあったが、他者の強化が苦手なために、守備に関しては、自分の身体を張ることしかできないのだ。
それを思えば、本当に優秀なのは、キラキラした眼差しでオレと兄貴を見ている女の方だろう。
彼女はもともと自分の護りに関してはオレたちも呆れるほど攻撃的であったし、王族らしくバカでかい魔力を存分に注ぎ込んだ攻撃魔法のバリエーションも増え、さらに「神力」の能力も見え隠れしている。
他者に対する治癒系魔法も吹っ飛ばしのおまけはついているものの広範囲に効果がある上、解毒もできるようになった。
何より、今回のことで強力なまでの他者の能力の引き上げが可能なことを証明してくれたのだ。
王族とはいえ、ここまで反則級の能力を持った人間なんて、この世界にはいないかもしれない。
だから、そんな彼女を護るために、オレはもっと自分を磨く必要があるのだが。
「つまり、現状、アリッサム城は容易に行き来できるような場所ではないことも理解できたかい?」
「はい」
兄貴の言葉に栞は素直に頷く。
「アリッサム城を奪い返すこと自体は反対しない。寧ろ、あらゆる場所への牽制を考えれば、推奨したいぐらいではあるのだけどね」
オレもそう思っている。
まずは、事態の発端であるミラージュのヤツらに対して、いつまでもお前たちの好きにはさせないという単純な意思表示ができる。
そして、「穢れの祓い」と称して好き勝手やっていた神官たちへ警告もできる。
悪事はいずれ露見する……、と。
城の発見に対しては、この世界のどこかにいるアリッサムの国民たちも力づけることができるだろう。
情報国家を差し置いて公表できる点も大きい。
そして、無人の城だったと公表できれば、アリッサムの王族を探している他国の王族たちを諦めさせることにも繋がる。
だが、一番注目すべき点は、「聖女の卵」を狙うヤツらに牽制できることだ。
少なくとも、暫くは阿呆な行動を自粛してくれるだろう。
数年は望み過ぎだが、セントポーリアの王子が王位を継げる年齢まで、今は時間を少しでも稼ぎたい。
「そのアリッサム城を……、再び、地上に下ろすことは可能でしょうか?」
栞は当然の問いかけをする。
「現時点ではどんな原理で浮いているかが分からないから難しい……、と返答しようか」
兄貴は笑顔で返答する。
それについては、オレも同じ意見だ。
あんな巨大なものを数年もの間、空の彼方に浮かせ続けていること自体が普通ではあり得ない話だ。
そして、意味もないと言い切れる。
多くの魔法力を費やして、他者の目から逃れようとするならば、結界で包み込んだ方がずっと効率的なのだ。
そして、当然ながら、アリッサム城にそんな機能はなかったはずだと水尾さんも言っていた。
仮にそんな機能を付けていたとしたら、誰が、何のために? という話になる。
他国から攻め込まれた時に、王族たちが逃げる手段として用意していたとしても、城ごと移動するとか無駄でしかない。
いや、巨大な城の移動とか、変形とかは一種の男のロマンではあるのだけどな。
「そうですか」
栞も分かりやすく落ち込む。
彼女だって理解はできているのだろう。
何も知らなかった頃と違って、今は魔法を知っているのだから。
「アリッサム城を地上に下ろせない以上、そこにいる人間たちの数が多すぎることが問題となる。九十九が感じ取っただけでもかなりの数だ。しかも、衰弱している人間しかいない」
それも、気配を感じ取っただけの判断だが、下手に動かせないような状態の人間が多かったのだ。
「水尾さんの話では、その多くは男性恐怖症となり、心神耗弱や心神喪失状態だったらしい。九十九が一人も連れ帰れなかったのは、それが理由だよ」
その確認は、オレの魔法で姿を隠した水尾さんがしてくれたのだ。
そして、水尾さんの話では、あの場に捨て置かれたのは、神官たちによって酷い目に遭わされた女たちばかりだったらしい。
そのために、連れ帰るという理由があっても、男がその女たちを運ぼうとすれば、確実に相手の状態を悪化させる。
失敗が許されない状態で、そんなリスクが高い選択が、オレにはできなかったのだ。
「さて、栞ちゃんなら、そんな状況でどんな選択をするかい?」
兄貴は微笑みながら、その選択を主人に委ねるのだった。
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