いなくなってしまうのは嫌だ
「栞ちゃんは彼が言うように、彼を殺したい?」
兄貴はそんな不思議なことを栞に確認した。
あの紅い髪の男が、栞にそう願ったのか?
あの自信家で嫌味な笑いを浮かべながら煽り言葉を吐くような傲慢無礼な男が?
だが、オレは即座に拒絶すると思ったのだ。
そんなことはできない……と。
でも、栞は少し迷いを見せて……。
「分かりません」
と、小さな声で答えた。
「その時は『絶対にしない』と即決しました。でも、今のわたしには、あの人の気持ちも分かる気がして……」
そして、そのまま俯いてしまう。
アイツの気持ちが分かる?
胃ではなく、胸の辺りに奇妙なムカつきがあった。
それはアレか?
数時間前にオレに向かって言った「化け物になったら自分を殺せ」ってやつか?
アイツも自分の中にかなり厄介な代物を飼っているみたいだからな。
冗談じゃねえ。
「栞ちゃん。間違えてはいけない。彼が誰かに自分を殺して欲しいと望むことと、キミが彼を殺したいと願うのは全く別の話だよ」
「え……?」
「本気で死にたいなら自死を選ぶべきだ。自分の運命に他人を巻き込むのは暴慢な考え方だよ」
「傲慢」ではなく、「暴慢」か。
なんとなく分かる気がする。
「確かに『神官』の教義では自死を選べないと聞いている。だが、還俗した以上、我々一般人と変わらない。恐らくは幼い時分から、神官教育を受けた弊害で多少の思い込みはあるかもしれないけどね」
「幼い時分から?」
「あの男は三歳で神官の道に放り込まれたらしい。その年代から神官教養を詰め込まれれば、ある程度、刷り込みはされているだろうな」
そのために、あの男は記憶を消した上で、シオリから離れざるを得なかったと「ゆめの郷」で愚痴られたことがあった。
オレと出会う直前の話だから、多分、三歳で間違いないだろう。
「ライトのことに詳しいね」
「『ゆめの郷』で酒を呑んだ仲だからな」
「『ゆめの郷』でお酒? ああ、あの時、そんな話をしていたのか」
主題は違った。
だが、それを口にする気はない。
今回の話とも微妙に繋がる話題だったことは確かだ。
「その上で、改めて問おうか。栞ちゃんは彼の望みを叶えたい?」
「いいえ」
今度は即答だった。
オレの好きな強く輝く黒い瞳が兄貴へと向けられる。
こんな状況だというのに、それが少し羨ましく、いや、妬ましく思えた。
「正直、彼には自死……、自殺もさせたくないんですよね」
「それは何故?」
「単純に何度も会話した人間が、いなくなってしまうのは、嫌じゃないですか?」
その黒い瞳が不意に揺れた。
それだけなのに、今、誰かを思い出しているんだろうなと分かってしまう。
「生き続けることが死ぬことよりも辛い人だっているよ」
「死んでから後悔する人だっていたと思いますよ。戻れないだけで」
その言葉の返し方に思わず苦笑したくなる。
確かに戻れない相手にその真意は問えない。
まあ、その逆に自分が死んで本当に良かった、救われたと思っていた人間がいないとも言えないのだが。
「それは願望の押し付けだとは思わないかい?」
「思いますよ。でも、相手の『死にたい』も、自分の『生きて欲しい』も、結局はそれぞれの願望ですよね?」
その答えに今度は兄貴が苦笑した。
「でも、生きている方が恐らく彼は苦しむよ」
そんな兄貴の言葉に、栞は一瞬、息を呑んだ。
だが、オレも同じように考えている。
あの男は恐らく、生きている方が苦しむことも多いだろう。
その根が完全なる悪人ではなく、その生き方も、オレの目から見ても不器用だと言わざるを得ないから。
「言動には責任を取る必要がある。それは、本人の意思ではなく、周囲の思惑によるものでも。それだけ、かの国の行いは罪深い。それは理解できるかい?」
「はい。これまでのミラージュの行いの責任を、王族である彼が負う必要があるということですね?」
栞は真っ直ぐに兄貴を見て、そう口にする。
「そうだね。かの国の形態がどうなっているのかは現状では分からないけれど、少なくとも、王族がいることは分かっている。少なくとも、一国を、それも中心国の一角を消失させたことに関して、何の責も負わせないわけにはいかないだろうね」
確かにミラージュの一番の罪は、それだ。
魔法国家アリッサムを文字通り、消失させてしまったこと。
今回、城は発見された。
だが、その周囲にあった都市や、そこに住んでいた人間については、まだ見つかっていないのだ。
「でも、アリッサムに関しては、本来、命令を下したという国王の責では?」
「たった一人の首で、当事者や巻き込まれた周囲が全て納得できればそれで良いよ。でも、恐らく、同じ血筋の人間を生かしておけば、同じことが繰り返される可能性を考えてしまう。人間には『猜疑心』というものがあるからね」
そう「猜疑心」の強い人間は言った。
たった一人の首でどうにかなるはずもない。
そんなことは栞にも分かるだろう。
そして、水尾さんや真央さんの意思だけでの話でもないのだ。
魔法国家アリッサムが消失したことによって、同じフレイミアム大陸の国家を含め、様々な面で影響があることは分かっている。
それが、今回のアリッサム城の発見で少し、悪感情が和らげば、いや、恐らく悪化するな。
その城の使われ方が問題だった。
「尤も、その魔法国家アリッサムの消失の原因は、まだ分かっていない。現時点では、ミラージュの関与を知っている人間が少ない点は、彼にとって救いだとは思う」
「でも、救い……、でしょうか?」
兄貴の分かりやすくも甘い言葉に、栞は釣られなかった。
「あの人自身は、自国の罪を知っていて、恐らく、多少の罪悪感もあるように思えます。それならば、黙っていることは苦痛かもしれません」
その沈痛な表情は、栞にしては珍しい。
だが、そうだろうか?
あの男は寧ろ、関与が公にされていなければ、そのまま逃げを選ぶ気がする。
それぐらいの要領はありそうだ。
アリッサム城で会った時を思い出す。
アイツは、自分の父親を良く思っていないようだった。
それならば、露見した後で、全ての罪を自分の父親に押し付けた上、処刑……、それぐらいはするのではないだろうか?
そして、実際、アリッサム襲撃時には、いなかったとも聞いている。
その証拠となるモノ、証言などがあれば、言い逃れのしようもあるだろう。
「それでも、生きて欲しいと思うのは我儘ですよね?」
栞は上目遣いで兄貴を見た。
「つまり、どうあっても、栞ちゃんは彼に死んでほしくないと思っているということで良いかい?」
「はい」
「それなら、俺たちはキミの意思を尊重するよ」
その言葉に栞だけではなく、オレも驚いてしまった。
栞にとって、いや、この世界にとって、ミラージュは害しかない存在なのだ。
それは、今回のことも含めてよく分かることだろう。
兄貴はそれを承知で、そのミラージュに属しているあの男を見逃すと言っているのだ。
「だが、それでも、彼が死を望んだ時は、どうする?」
「その時は……」
栞が迷いを見せる。
彼女はあの紅い髪の男にあれだけ害のある言動を向けられても尚、アイツに死んでほしくはないと言っていた。
そんな彼女に「死にたいから殺せ」とあの男は言うのだ。
その言葉に別の赤い髪の男を思い出す。
ヤツも同じことを望んだ。
同じミラージュの男が、栞に死を望んだのだ。
「栞にはさせない」
栞が答えるよりも先にオレが割って入る。
「九十九……?」
「そんなに死にたいなら、栞に代わってオレがアイツを殺る」
オレがよく知るあの赤い髪の男だって、栞が駄目ならオレでも良いと言っていたんだ。
本気で死にたければ、誰から殺されても同じだろう。
「そんなっ!!」
「それだけあの男は危険なんだ。内側に飼っている神の性質が、お前とは違い過ぎる」
オレの言葉で、栞の顔が蒼褪める。
栞もオレが何を言っているのかを理解したのだろう。
そして、アイツが死にたがっている本当の理由も。
あのアリッサム城で、水尾さんも同じ結論を口にしていた。
栞の左手に宿るモノと、アイツの全身を蝕むモノは、その性質が全く違うと。
「九十九。勘違いするな」
オレに対して、そう言ったのは兄貴だった。
「栞ちゃんが本気で望むなら、死にたがりの彼には何が何でも生きてもらうに決まっているだろう?」
薄く笑いながらそう続ける。
「俺たちの仕事は、もともと栞ちゃんたちの望みをできる限り叶えることだ」
その言葉にオレの背筋が凍り付く。
それは分かっている。
だけど、オレは栞の負担を軽くしたいだけだ。
だが、兄貴の考えは違う。
「勿論、彼を地獄の業火の中で生かす形でもな」
オレよりももっと、母娘の気持ちを重視する男は、さらに黒い笑みを深めたのだった。
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