二度と逃げられない
「魔獣に……『嘗血』だと?」
オレは兄貴の口から信じられない話を聞いた気がする。
「そうなれば、その魔獣からはもう二度と逃げられない」
兄貴はそう言って、嬉しそうに笑った。
いや、そこは全く笑う所じゃねえよな?
確かに逃げられない気がするけど、それってどうなのだろうか?
「本来は生き血の方が良いのだけどな。今回に限り、それは贅沢というものだ」
それはつまり……。
「血の付いた衣服や手袋、懐紙を酒に浸けろってか?」
「あ?」
何故かオレの言葉に奇妙な返事をする兄貴。
「いや、『嘗血』って、養子縁組の儀式だろ?」
確か、養子縁組の儀式の一つで、酒に互いの血を数滴、落として混ぜ合わせた後、それを飲み合うことで相手との「血の絆」を結ぶ……というやつだったと記憶している。
つい最近、例のアリッサム城で、それについて水尾さんからも確認された覚えがある。
確か、「『嘗血』って言葉を知ってるか? 」という内容だったと思う。
でも、オレの答えに対して、「合っている」とも「違う」とも言われなかったな。
あの時、傍にいた男でさえも。
いや、あの男はその前に、オレに向かって「過去にシオリの血を呑んだことがあるか? 」と聞いてきた気がする。
それから、「嘗血」の話になったわけだが……。
「違うのか? オレは大神官から聞いたんだぞ?」
「それは確かに『契血の儀』と呼ばれる『嘗血』ではあるが……」
どこか兄貴の言葉の歯切れが悪い。
「あ? 『嘗血の儀』じゃないのか?」
正しい儀式名称まで確認しなかったが、違ったのか?
だが、あの時の大神官の言葉には嘘を感じなかった。
だから、それ以上確認しなかったのだ。
「神官たちの用語までは、俺も知らん。だが、養子縁組の中に『嘗血』行為を取り入れた『契血の儀』と呼ばれるものがあることは知っている」
あの場には栞もいなかった。
誰もいない場でオレは聞かれたのだ。
だから、あの時の大神官との会話の確認は誰にもできない。
そうなると、自力で思い出すしかないのか。
「大神官の言葉は、『主人を護るために「嘗血」という儀式を行ったことがあるか? 』という問いかけだった気がする。そのついでのような形で養子縁組の儀式の一つだと習った」
「ふえ?」
すぐ近くにいた栞がオレの言葉に反応した。
そして少し考えた後……。
「えっと、わたしも大神官さまから聞いたことがあるけど、『嘗血』って、相手の血を舐めるってやつじゃなかったっけ?」
「あ?」
栞の口から意外な言葉が出てきた。
相手の血を……、舐める?
「だから、わたしは自分の血に気を付けろって言われたんだよ。『聖女の卵』を傷つけて、血を舐められたら、変装も意味が無くなるって」
栞の言葉に、紅い髪の男の台詞がチラつく。
―――― あんた、過去にシオリの血を呑んだことは?
さらに、その後に……。
―――― あの女の傷を舐めたりとかは?
アイツは確かにそうオレに確認した。
「ち、血を舐められたらどうなるんだ?」
それを思い出し、思わず、栞に対して強めの声が出てしまった。
「確か、居所を掴まれやすくなる? とか?」
「なんで疑問形なんだよ!?」
「自信がなくて……」
栞もそんなにそこまで深く考えなかったようだ。
だが、それが本当なら栞の護衛であるオレにこそ言ってください、大神官様!?
何より、栞の血を誰かに舐められるとか、冗談じゃない!!
「それに、わたしが出血したら、九十九がすぐ治癒してくれるし」
そこでオレは少しだけ落ち着く。
確かに、そうだ。
目の前で栞が傷を負っていたなら、このオレが治癒魔法を使わないはずがない。
思い起こせば、栞は二回目のストレリチア滞在時期では、ちょっとの傷で治癒魔法を使うことも許してくれるようになっていたな。
だが、それは、カルセオラリア城の崩壊に巻き込まれ、自己治癒能力が追い付かず、容易に治らないほどの怪我を負ったためだと思っていた。
だからこそ、治そうとするオレに対する無駄な抵抗を諦めたのかと思えば、実は、そんな理由だったのか。
血の出ない炎症、打撲傷とかでは今でもなかなか治させてくれないもんな。
そして、そんなオレの行動を知っていたから、大神官はそこまで深くは教えなかったのか。
放っておいても大丈夫だと判断して。
「兄貴……、オレは『嘗血』については、養子縁組の儀式だと思い込んでいた。正しくはどういった状態なんだ?」
「大方は栞ちゃんが言ったとおりだ。相手の血を舐めることで、その気配を察知しやすくなる」
「ああ、それで……」
大神官は確認したのか。
オレが栞の血を舐めたことがないか? と。
それだけ、オレが栞限定で気配察知が鋭くなっていることに気付いているわけだ。
言い方が遠回し過ぎるし、その「嘗血」の知識がなかったために、オレがそれを理解することができなかっただけだ。
そして、水尾さんも恐らく、その「嘗血」というものを知っている。
「聖女の卵」としての栞に大神官が自ら忠告するほどのことだ。
魔法国家の王族であるあの人だって、他の王族から注意を受けている可能性はある。
だからこそ、あの場での質問だったのだろう。
そして、まあ、当然ながら、あの紅い髪の男も知っていやがったんだろうな。
だが、あの時も言った通り、オレは栞の血も昔のシオリの血を呑むどころか、舐めた覚えなど全くない。
どんな吸血鬼だ?
それでも、あの大神官の眼にすらそう映るほどの何かがオレたちの間にあるのは何故だろうか?
「実際、養子縁組の儀式の一つにもある。酒を通して互いに『嘗血』することによって、血の絆を結ぶ。それが、『契血の儀』と呼ばれる儀式だ。だが、縛りが強すぎて解消はできなくなるため、近年ではあまり話を聞かないな」
大神官は嘘を言っていなかった。
ただ、なんとなく、上手く誘導されてしまった感はある。
まるで、オレがそれ以上詳しく知ることを避けさせるかのように。
「ゆ、雄也さん。確認なのですが……」
栞が兄貴に恐る恐る確認する。
「先ほど、その『嘗血』をした魔獣からは二度と逃げられないとおっしゃられましたが、その『嘗血』って、効果が長期に亘るってことでしょうか?」
「その追跡用に飼育された魔獣なら、間違いなくその魔獣の一生涯だと言われているかな」
その追跡用の魔獣に心当たりはある。
「追跡する獣」と言う名の……、オオカミによく似た魔獣だ。
平均寿命は13年前後。
基本は対象の匂いを覚えさせ追いかけるはずだけど、その「嘗血」とかいう方法も使えるのか。
「人間なら?」
「その含んだ血の量によるとは思うけど、かなり長い期間だと思われるよ」
「うわぁ……」
何故か、栞はげんなりとした声を出した。
普通に考えれば、誰かの血を好んで口にするはずはない。
「神官たちに舐められたことでもあるのかい?」
「ないです」
兄貴の問いかけに即答する。
そんな悍ましいこと、オレが許すはずがない。
「九十九から舐められたことは?」
なんて、こと聞きやがる!?
「……記憶している限りではないです」
心なしか、栞の視線が冷えたものに変わった気がする。
「今も昔も一度もねえよ!!」
「……だよね」
どこかほっとしたような栞。
冤罪だ!!
いくら何でも、いろんな人間からオレは疑われ過ぎじゃねえか?
あれ?
それだけ、オレの気持ちが分かりやすいってことか?
それも、自分が自覚する前から?
なんてこった。
「でも、そっか。『嘗血』しちゃったら、逃げられないのか」
栞はそう呟く。
「それなら、わたしはもっと気を付けないといけないね」
さらにそう続けながら、力なく笑うのだった。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。




